部活の音が響く放課後の校舎は、
昼間よりもなぜか温度が低く感じる。
委員会の仕事が終わって、
私はひとり廊下を歩いていた。
夕焼けの光に照らされた床がオレンジ色に染まり、
窓の外では男子バレー部の掛け声が聞こえる。
体育館の横を通るたび、
少しだけ胸がざわつくのは――
そこに、蒼士先輩の姿を探してしまうから。
副委員長として委員会に顔を出す日は決まっているのに、
なぜか私は毎回“偶然会えるかもしれない”と期待してしまっていた。
そんなときだった。
「ゆりー!待って!」
大きな声が響いて、振り返る。
バレー部のジャージ姿の春斗が、こちらへ走ってきていた。
頬が少し赤くて、汗で髪が額に張りついている。
それなのに笑顔で近づいてくる姿が、
なんだか眩しかった。
「また委員会だったの?今日ずっと探してたんだけど」
「探してたって…どうして?」
「教科書、借りたやつ返したくて」
少し照れたように春斗が教科書を差し出す。
その声色は軽く聞こえる。
でも、
心の奥では“それだけじゃない”ことに、私はうすうす気づいていた。
「ありがとう」
「うん……あ、あのさ」
春斗が言いかけたその時――
「春斗ー!!まだスパイク練習あるってば!!」
体育館から仲間の声が響いた。
「あっ……くそ、行かなきゃ……!」
「いいよ、行ってあげて」
「……また、後で話してもいい?」
春斗の声は、
どこか言葉を選んでいるように聞こえた。
「うん」
返事をすると、
彼はホッとしたように笑って戻っていった。
その背中を見送りながら、
私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
春斗は優しい。
近くにいると心があたたかい。
でも、
それは“恋”とは少し違う気がした。
──その時だった。
「……何してるの?」
静かな声が聞こえ、振り向く。
廊下の角から、
蒼士先輩が歩いてくるところだった。
今日の先輩は委員会の仕事があったはず。
だけど資料を片手にしているから、済ませて帰るところなのだろう。
蒼士先輩は春斗の背中が見えなくなった方向を一度見て、
それから私に視線を戻す。
「仲いいんだね、春斗と」
「え? あ、いや……そんなにでも……」
「そっか」
蒼士先輩は淡々としている。
けれどその一言には、
言葉以上のものが含まれていた。
嫉妬、というほど強くはない。
でも確かに、そこには“感情”があった。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
「帰るなら、駅まで一緒に行こう。
資料、職員室に戻したら行くから」
「えっ……あ、はい」
自然に隣を歩くように促されて、
私の心臓は落ち着かない鼓動を打ち続ける。
委員会の説明、
名前を呼ばれたあの日、
そして今日。
蒼士先輩はいつも、
“そっと寄り添うように近くにいる”。
なのに、
その距離は絶対に0にはならない。
手を伸ばしたら届く気がするのに、
本当は届かない場所にいる人。
歩くたびに、
その背中に“大人の影”が落ちて見えた。
駅までの道は夕焼けが少しだけ残っていて、
空気は春なのに冷たかった。
蒼士先輩は何も話さない。
ただ歩幅を合わせてくれる。
それだけなのに、安心できる。
信号待ちの時だった。
「……さっきの」
急に先輩が口を開く。
「春斗。君のこと、気にしてるよ」
「え……」
「わかるよ。ああいう目は」
蒼士先輩の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
でも、その奥には触れられない何かがある。
「君のこと好きなんだと思うよ、あいつ」
心臓が一瞬止まりそうになる。
そんなふうに誰かの恋を語る先輩の声は、
優しいのに、どこか遠かった。
「……そうなんですかね」
なんとか返すと、
蒼士先輩は私の方を一瞬見て、
ふっと息を漏らした。
「君も……気をつけてね」
その“気をつけて”は、
第1章で言われたそれとは違うニュアンスだった。
春斗に?
それとも――
私自身の心に?
聞き返そうとした瞬間、
先輩は歩き出してしまった。
問いが喉の奥に残ったまま、
私はただ後ろからついていく。
夕焼けも、冷たい風も、
全部が胸に染み込んでいくようだった。
その日の帰り道、
気づいてしまった。
――この先輩を好きになったら、
きっと、簡単には戻れない。
自分でも驚くくらい、
心がゆっくりと痛い方向へ傾いていった。
昼間よりもなぜか温度が低く感じる。
委員会の仕事が終わって、
私はひとり廊下を歩いていた。
夕焼けの光に照らされた床がオレンジ色に染まり、
窓の外では男子バレー部の掛け声が聞こえる。
体育館の横を通るたび、
少しだけ胸がざわつくのは――
そこに、蒼士先輩の姿を探してしまうから。
副委員長として委員会に顔を出す日は決まっているのに、
なぜか私は毎回“偶然会えるかもしれない”と期待してしまっていた。
そんなときだった。
「ゆりー!待って!」
大きな声が響いて、振り返る。
バレー部のジャージ姿の春斗が、こちらへ走ってきていた。
頬が少し赤くて、汗で髪が額に張りついている。
それなのに笑顔で近づいてくる姿が、
なんだか眩しかった。
「また委員会だったの?今日ずっと探してたんだけど」
「探してたって…どうして?」
「教科書、借りたやつ返したくて」
少し照れたように春斗が教科書を差し出す。
その声色は軽く聞こえる。
でも、
心の奥では“それだけじゃない”ことに、私はうすうす気づいていた。
「ありがとう」
「うん……あ、あのさ」
春斗が言いかけたその時――
「春斗ー!!まだスパイク練習あるってば!!」
体育館から仲間の声が響いた。
「あっ……くそ、行かなきゃ……!」
「いいよ、行ってあげて」
「……また、後で話してもいい?」
春斗の声は、
どこか言葉を選んでいるように聞こえた。
「うん」
返事をすると、
彼はホッとしたように笑って戻っていった。
その背中を見送りながら、
私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
春斗は優しい。
近くにいると心があたたかい。
でも、
それは“恋”とは少し違う気がした。
──その時だった。
「……何してるの?」
静かな声が聞こえ、振り向く。
廊下の角から、
蒼士先輩が歩いてくるところだった。
今日の先輩は委員会の仕事があったはず。
だけど資料を片手にしているから、済ませて帰るところなのだろう。
蒼士先輩は春斗の背中が見えなくなった方向を一度見て、
それから私に視線を戻す。
「仲いいんだね、春斗と」
「え? あ、いや……そんなにでも……」
「そっか」
蒼士先輩は淡々としている。
けれどその一言には、
言葉以上のものが含まれていた。
嫉妬、というほど強くはない。
でも確かに、そこには“感情”があった。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
「帰るなら、駅まで一緒に行こう。
資料、職員室に戻したら行くから」
「えっ……あ、はい」
自然に隣を歩くように促されて、
私の心臓は落ち着かない鼓動を打ち続ける。
委員会の説明、
名前を呼ばれたあの日、
そして今日。
蒼士先輩はいつも、
“そっと寄り添うように近くにいる”。
なのに、
その距離は絶対に0にはならない。
手を伸ばしたら届く気がするのに、
本当は届かない場所にいる人。
歩くたびに、
その背中に“大人の影”が落ちて見えた。
駅までの道は夕焼けが少しだけ残っていて、
空気は春なのに冷たかった。
蒼士先輩は何も話さない。
ただ歩幅を合わせてくれる。
それだけなのに、安心できる。
信号待ちの時だった。
「……さっきの」
急に先輩が口を開く。
「春斗。君のこと、気にしてるよ」
「え……」
「わかるよ。ああいう目は」
蒼士先輩の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
でも、その奥には触れられない何かがある。
「君のこと好きなんだと思うよ、あいつ」
心臓が一瞬止まりそうになる。
そんなふうに誰かの恋を語る先輩の声は、
優しいのに、どこか遠かった。
「……そうなんですかね」
なんとか返すと、
蒼士先輩は私の方を一瞬見て、
ふっと息を漏らした。
「君も……気をつけてね」
その“気をつけて”は、
第1章で言われたそれとは違うニュアンスだった。
春斗に?
それとも――
私自身の心に?
聞き返そうとした瞬間、
先輩は歩き出してしまった。
問いが喉の奥に残ったまま、
私はただ後ろからついていく。
夕焼けも、冷たい風も、
全部が胸に染み込んでいくようだった。
その日の帰り道、
気づいてしまった。
――この先輩を好きになったら、
きっと、簡単には戻れない。
自分でも驚くくらい、
心がゆっくりと痛い方向へ傾いていった。


