夜道を歩きながら、
新堂晶司はとくに急いでもいなかった。
濡れたような黒髪が、
街灯を受けて鈍く光る。
足取りは一定。
呼吸も乱れていない。
志穂が涙で震えていたあの顔を、
数分に一度——
脳裏で静かに思い返していた。
「……柔らかい目をする」
ぽつりと、ひとりごとのように呟いた。
怒りでも、嫉妬でも、恋でもない。
ただ——
“興味”の色だけが深く沈んでいく。
真理の瞳とは違う。
真理は強かった。
硬質で、揺れなくて、
自分に対しても迷いがなかった。
だが志穂は。
「……脆い」
その言葉を、
晶司はまるで宝石を愛でるように呟く。
「壊れそうなのに……
懸命に立とうとする……あの目」
足を止める。
街灯の下で、
晶司の横顔だけが白く照らし出される。
無表情。
だがその眼差しだけは、
わずかに光っている。
それが人を惹きつける光か、
崩す光かは誰にもわからない。
「……悠真さん、でしたか」
晶司は静かに首を傾けた。
「妻を守る、と。
永遠に。
他の誰でもない。
……ふむ」
口調は淡々としている。
怒りも、妬みもない。
だが、
その静けさが狂気より怖い。
「あの程度の感情で……
志穂さんは救えない」
街灯の光がわずかに揺れる。
「繊細な人間は……
“愛してる” の言葉ひとつで吸い込まれていく」
淡々とした声に、
寒気すら宿る。
「言えないのなら——
いずれ、誰かに奪われる。」
晶司はその“誰か”が自分とは言わない。
言わないが。
心の奥では静かにそう思っていた。
ふと、
胸ポケットの中でスマホが震える。
画面には、新堂家の叔父からの名前。
晶司は無表情のまま通話を取り、
少しも急がず歩きながら話す。
「……はい、晶司です」
『——三者会談の件だがな。
志穂さんには“妹としての責務”を理解していただきたい』
「責務、ですか」
『ああ。
真理さんと破談になった以上、
妹さんのほうで話をまとめるべきだという意見が強い』
「……そうですか」
晶司の声は冷たい。
『我々は、志穂さんを悪いようにはしない。
嫁いできていただければ——』
「叔父上」
晶司が歩みを止めた。
「志穂さんは……
そういう女性ではありません」
『なに?』
「“家の利益”で動く人ではない。
あの人は……心で動く」
『……心?』
「ええ」
晶司の唇が、
かすかに笑った。
「だから……興味深い」
『……おまえ、まさか——』
「いえ。
ただの観察です」
晶司の声には、
熱はない。
ただし、温度がないのに——
どこか濃密な“執着”が漂っていた。
(志穂さん……)
(あの涙……あの震え……
あの儚さは……)
(真理さんとは、本当に違う)
(あの目は……
“求めている目”だ)
愛を。
安心を。
存在を認められる言葉を。
「……ああいう目の女性は……
簡単に、誰かの言葉で崩れる」
晶司の声は静かで、
風より柔らかい。
「そして。
崩れる瞬間が……一番、美しい」
狂気ではない。
恋ではない。
ただの“美意識”。
しかしそれが何よりも危険だった。
晶司はゆっくりと歩き出す。
マンションの影へ、
志穂がいる方向へではなく、
——志穂の“心”がある方へ。
(また……会いたい)
(もう一度、あの目を見たい)
(あの震えを……間近で見たい)
その欲望は、
愛ではない。
恋ではない。
救いでも、興味でもない。
ただ——
“壊れる瞬間を知りたい”
という静かな狂気。
それだけが、
新堂晶司の足を進めていた。
新堂晶司はとくに急いでもいなかった。
濡れたような黒髪が、
街灯を受けて鈍く光る。
足取りは一定。
呼吸も乱れていない。
志穂が涙で震えていたあの顔を、
数分に一度——
脳裏で静かに思い返していた。
「……柔らかい目をする」
ぽつりと、ひとりごとのように呟いた。
怒りでも、嫉妬でも、恋でもない。
ただ——
“興味”の色だけが深く沈んでいく。
真理の瞳とは違う。
真理は強かった。
硬質で、揺れなくて、
自分に対しても迷いがなかった。
だが志穂は。
「……脆い」
その言葉を、
晶司はまるで宝石を愛でるように呟く。
「壊れそうなのに……
懸命に立とうとする……あの目」
足を止める。
街灯の下で、
晶司の横顔だけが白く照らし出される。
無表情。
だがその眼差しだけは、
わずかに光っている。
それが人を惹きつける光か、
崩す光かは誰にもわからない。
「……悠真さん、でしたか」
晶司は静かに首を傾けた。
「妻を守る、と。
永遠に。
他の誰でもない。
……ふむ」
口調は淡々としている。
怒りも、妬みもない。
だが、
その静けさが狂気より怖い。
「あの程度の感情で……
志穂さんは救えない」
街灯の光がわずかに揺れる。
「繊細な人間は……
“愛してる” の言葉ひとつで吸い込まれていく」
淡々とした声に、
寒気すら宿る。
「言えないのなら——
いずれ、誰かに奪われる。」
晶司はその“誰か”が自分とは言わない。
言わないが。
心の奥では静かにそう思っていた。
ふと、
胸ポケットの中でスマホが震える。
画面には、新堂家の叔父からの名前。
晶司は無表情のまま通話を取り、
少しも急がず歩きながら話す。
「……はい、晶司です」
『——三者会談の件だがな。
志穂さんには“妹としての責務”を理解していただきたい』
「責務、ですか」
『ああ。
真理さんと破談になった以上、
妹さんのほうで話をまとめるべきだという意見が強い』
「……そうですか」
晶司の声は冷たい。
『我々は、志穂さんを悪いようにはしない。
嫁いできていただければ——』
「叔父上」
晶司が歩みを止めた。
「志穂さんは……
そういう女性ではありません」
『なに?』
「“家の利益”で動く人ではない。
あの人は……心で動く」
『……心?』
「ええ」
晶司の唇が、
かすかに笑った。
「だから……興味深い」
『……おまえ、まさか——』
「いえ。
ただの観察です」
晶司の声には、
熱はない。
ただし、温度がないのに——
どこか濃密な“執着”が漂っていた。
(志穂さん……)
(あの涙……あの震え……
あの儚さは……)
(真理さんとは、本当に違う)
(あの目は……
“求めている目”だ)
愛を。
安心を。
存在を認められる言葉を。
「……ああいう目の女性は……
簡単に、誰かの言葉で崩れる」
晶司の声は静かで、
風より柔らかい。
「そして。
崩れる瞬間が……一番、美しい」
狂気ではない。
恋ではない。
ただの“美意識”。
しかしそれが何よりも危険だった。
晶司はゆっくりと歩き出す。
マンションの影へ、
志穂がいる方向へではなく、
——志穂の“心”がある方へ。
(また……会いたい)
(もう一度、あの目を見たい)
(あの震えを……間近で見たい)
その欲望は、
愛ではない。
恋ではない。
救いでも、興味でもない。
ただ——
“壊れる瞬間を知りたい”
という静かな狂気。
それだけが、
新堂晶司の足を進めていた。

