リビングの灯りが、ふたりの影を長く落としていた。

 志穂の胸は、もう限界だった。

「……ねえ、悠真さん」

 声は震え、喉が痛む。
 それでも止められなかった。

「どうして、“好き”って言ってくれないんですか?」

 悠真の肩がわずかに震えた。

「志穂……今は、その話じゃ」

「今じゃなかったら……いつ言ってくれるんですか?」

「……」

「いつまで待てばいいんですか?
 私が安心するまで?
 私が諦めるまで?
 私の気持ちが、冷めるまで?」

「そんな意味で……言ってない」

「じゃあどういう意味で黙るんですか!?」

 志穂の声が、部屋に響く。

 

「……俺は、言葉に責任を持ちたいだけだ」

「責任? “好き”って言葉に責任!?
 じゃあ私はどうなるの!?
 毎日あなたの横にいて、不安で、不安で……
 いつかあなたが離れて行くかもしれないそんな気持ちでいつも私は……!」

「志穂、そんなこと……!」

「あるよ!!」

 涙が頬に落ちる。

「あなたは私のことどう思ってるの?
 嫌いじゃない?
 大事にしてる?
 気にかけてる?
 そんなぼんやりした言葉でも誤魔化せるのに……
 “好き”だけは言わない……!!」

 息が詰まるほど苦しい。

「これじゃ……私だけが必死みたいじゃない……
 私だけが、恋してるみたいで……」

「志穂……」

「惨めなんだよッ……!!」

 その言葉に、悠真が息を呑む。

「おまえが……そこまで苦しんでいるとは……」

「言わなくてもわかってほしいよ……!!
 だって夫婦なんだよ!?
 どうして気づいてくれないの……?」

「……」

「どうして私だけ、こんなに苦しまなきゃいけないの……?」

 涙を拭いもせず、志穂は顔を上げた。

「言えない理由があるなら……
 言ってよ……
 私のせい?
 私のどこが足りないの……?」

「違う!!」

 悠真が初めて声を荒げた。

「君は十分だ……!
 足りないなんて……一度も思ったことはない!」

「じゃあ言えるよね……?
 “好きだ”って。
 “愛してる”って。」

「……言えないんだ……!!
 言ったら……戻れなくなる!!」

「戻れないって……何!?
 私とは……戻りたいの?
 離れたいの?」 

「違う!!」

「じゃあどうして!?
 どうして言ってくれないの!?
 好きなら言えるでしょ!?
 言えないなら……好きじゃないのと同じだよ……!」

 志穂の言葉が、悠真の胸に深く突き刺さる。

「……そんなこと、言うな……」

「言うよ……!
 だって……あなたは言葉で言ってくれない……
 行動も優しさも……
 あなたの全部が……中途半端に見えるの……!」

 悠真は、拳を握りしめた。

 本心を言いたい。
 本当は叫びたいほど彼女を想っている。

 でも、どうしても言えない。
 怖くて、言葉が喉を詰まらせる。

「志穂……」

「……今日はもう、無理です」

 志穂はゆっくり後ずさり、
 涙をこぼしながら自室へ歩き出した。

 悠真は追いたいのに、追えない。
 言いたいのに言えない。

 ただ、一歩も動けなかった。

 ドアが閉まる音が響き、
 その静けさが二人の間に深い溝を作った。

 志穂は枕に顔を押しつけ泣き、
 悠真はリビングの床に膝をつき、顔を覆った。

(どうして……
 どうしてこんなふうにしか……
 愛せないんだ)

 夜風が窓を揺らし、
 心を閉ざした二人の夜が、静かに深まっていった。