パーティー会場を出ると、
 冬の夜風がひやりと頬を撫でた。

「……帰るぞ」

 短く言って、
 悠真は志穂の腕を軽く取った。

 強引ではない。
 けれど、離す気のない指の力だった。

 会場のスタッフに会釈をして、
 ふたりは夜の車に乗り込んだ。

 ドアが閉まると、
 世界が一気に静寂に変わる。

 エンジンの低い振動だけが響く。

 なのに空気は張りつめていた。



 しばらく、誰も口を開かなかった。

 後部座席の空気は冷えていて、
 志穂は自分の手を膝の上で固く握りしめた。

(……さっきの悠真さん……
 どうしてあんな顔を……)

 思い出すだけで胸が震える。

 肩に触れた武流の手を、
 悠真はあんなにも強く嫌った。

 触れただけで、
 あんな目を向けるなんて。

「……腕、大丈夫か」

 突然、前から低い声がした。

「え……?」

「さっき……強く掴んだ」

 志穂は少し遅れて、自分の腕を見た。
 悠真の指の跡が、うっすらと赤く残っていた。

「大丈夫です。痛くないから」

「……そうか」

 短い返事。
 でも、その声はどこか硬かった。

 違う。
 本当は、痛むのは腕じゃない。

(言いたいことはあるのに……
 どうして、言えないんだろう)



 沈黙が、また車内を支配する。

 やがて信号で車が止まった時、
 悠真がぽつりと言った。

「……あの男」

「武流くんのことですか?」

「名前はどうでもいい。
 ……なぜ呼んだ」

 前を向いたままの声。
 表情は見えない。

「呼んでません。偶然です」

「偶然じゃなかっただろ」

「じゃあ……何が言いたいんですか?」

「……」

「武流くんと話すの、だめなんですか?」

 そう言った瞬間、
 悠真の指がハンドルを握る音が強くなった。

「だめだ」

「っ……どうして……」

「——俺が嫌だからだ」

 その声は静かなのに、
 言葉は鋭く胸を打った。

 志穂は息を呑んだ。

「私は……ただ……
 誰かと話したかっただけです」

「俺とじゃ、だめなのか」

 静かだけど、ひどく真剣な声。

 志穂の心が大きく揺れた。

(ずるい……そんなふうに言うの……)

「悠真さんは……」

 

 沈黙。
 息を詰めたような静寂が流れる。

 信号のライトがフロントガラスに反射し、
 赤い光が二人を照らした。

「……他の男に頼ることだ。」

「頼ってなんか……」

「じゃあ、なんだ」

「……やさしくされたいだけです。
 誰でもいいわけじゃなくて……」

 声が震えていた。

「あの時みたいに……
 私にだけ優しくしてほしいのに……」

「……志穂」

 後部座席の暗がりの中で、
 悠真が振り返る。

 その目は、夜の光を映して揺れていた。

「……俺は、君を大切に思っている」

「じゃあ、……」

「俺は——」

 そこまで言ったとき、
 信号が青に変わった。

 悠真は言葉を飲み込み、
 再び前を向いた。

「……悪い。」

「そうやって……また黙るんですか?」

「……すまない」

 謝罪はあるのに、
 心は届かない。

 車は動き出した。

 距離は近いのに、
 心はまだ遠いまま。

(どうして……
 あと一歩が届かないんだろう……)

 夜の街を走る車内は、
 確かに近く、
 そして残酷なほど冷たかった。