春の光がやわらかく降り注ぐ、一条家の広い庭。
 芝の向こうで白い花びらが揺れ、木漏れ日が小さな影をいくつも地面に落としている。

 その真ん中で――幼い志穂は、つま先をきゅっと揃えて立っていた。

「ゆうまくん、みて! お花の指輪つくったの」

 小さな手のひらには、摘んだクローバーを編んだ指輪。
 志穂は誇らしげに胸を張る。ふわふわのワンピースが風に揺れた。

 青年のように背が高くなりつつある少年・悠真は、顔をそむけながら言った。

「……そんなの、子どもの遊びだろ」

 でも、その耳の先がほんのり赤い。
 志穂はその変化に気づかず、嬉しそうににっこり笑った。

「じゃあ、ゆうまくんにあげるね?」

「いらないって言ってるだろ。おまえはすぐ、変なもの作るんだから」

 素っ気ない声。
 けれど、志穂が手を引っ込めようとすると、悠真はふいにその手首をつかんだ。

「……せっかく作ったんだろ。落とすなよ」

 それだけ言って、そっぽを向く。
 志穂は目を瞬かせ、そのまま手に指輪を残した。

「ありがとう、ゆうまくん」

 ぱっと花開くような笑顔。
 少年はまぶしそうに目を細め、見るともなく空を見あげる。

 庭の奥では、志穂の姉・真理が本を抱えて歩いてくる。

「志穂、転ばないようにね。クローバーばっかり見てると危ないわよ」

「はーい、お姉ちゃん!」

 真理がふわりと笑うと、志穂は嬉しそうに手を振った。

 その様子を横目で見ていた悠真は、少しだけ視線を落とした。

「……真理さんみたいに、ちゃんと歩けよ」

「え? わたし、ちゃんと歩いてるよ?」

「いつも転んでるだろ。……気をつけろって」

 少年らしくない、不器用な優しさ。
 志穂は気づかず、ただ笑うだけだった。

 やがて、真理が二人のもとへ近づき、頭をなでる。

「まったく。悠真くんは本当に優しいわね」

「優しくなんかないです」

 悠真は眉をひそめたが、真理は楽しそうだ。

「ねえ、志穂。将来は誰と結婚するの?」

「えっとね……ゆうまくん!」

「はあ!?」

 即座に大きな声を上げる悠真。
 志穂はきょとんとしながら、草の指輪を胸元で大事そうに握る。

「だって、だいすきだもん。いっしょにおとなになりたい」

「バ、バカ言うな。……そんなの、知らないからな」

 顔を真っ赤にして背を向ける悠真。
 真理は「ふふっ」と小さく笑い、春の風が三人の間を通り抜けた。

 ――その瞬間、志穂は気づいていなかった。

 彼が背中を向けたのは、照れ隠しのためで。
 真理へ向けた視線は、志穂の“位置”を確認するためで。
 たった一言が言えない少年は、すでに誰より志穂を目で追っていたことに。

 しかし、幼い記憶はいつだって曖昧で、残酷だ。

 そして十数年後――
 志穂はあの日の笑顔を思い出すたび、胸が少しだけ痛むようになる。

 “本当は、私じゃなくて……お姉ちゃんを見ていたんだよね?”

 そう思い込むようになる未来を、まだ何も知らないまま。