王位を継いだら最強でした~17歳の末姫が、王位に就いたら国が救われたようです~

王都セレナリアの街角に、かつてない規模で祈りの声が響いていた。

春先の風が緩やかに通りを撫で、王都の空には柔らかな雲が浮かんでいた。商人たちの声が交錯する市場の広場。その一角、噴水を囲むようにして集まったのは、純白の衣をまとった男女だった。

彼らは輪になって手を取り合い、揺れるように立ち、呼吸を揃えて小さく旋律を奏でるような祈りの言葉を唱えていた。声はあくまで静かで、耳を澄まさなければ聞こえぬほどの低さであったが、確実にその場を支配していた。

「調和を、慈愛を、導きを」――繰り返されるその響きは、音よりも空気に刻まれるように周囲を包んでいた。

信者たちは整った微笑みと慎ましさを湛え、肌寒い季節に凍える孤児には温かいパンを、通りすがる高齢者には膝掛けを差し出し、身寄りのない女には湯気の立つスープを渡していた。

彼らは誰に命じられたわけでもなく、声高に誇示することもなく、ただ当たり前のように「善行」を重ねていた。

――彼らは、「光導の会」と名乗った。

ここ数年で急速に王都を中心に台頭した新興宗教団体である。

その表層は、理想的な市民運動のように見えた。規律正しく、貧困層への支援を惜しまず、粗暴な言動を一切排し、王国の各地で「道徳的刷新」を唱えていた。

教義は柔らかく、主神も偶像も持たず、「世界は調和へと向かうべし」という漠然とした理念がすべての根幹だった。敵を作らず、明確な断罪も行わず、どこまでも穏やかだった。だが、それが却って人々の心に染み込む速度を早めていた。

特に、職を失った労働者や、新興中流階級の主婦層に信者が多く、「生き方の再構築」を掲げた教義と自己啓発的な語り口が、多くの孤独を癒していた。

しかし、アウレリアの下に届いた調査報告は、その柔らかく見える表面を支える“構造”の異様さを抉り出していた。

報告書には、精緻な筆致で次のように記されていた。

──現在、光導の会は貴族議員三十一名、市議五十七名の選挙活動に直接関与。
──資金援助、組織的な投票動員、支援者登録による選挙区調整。
──教団は非営利団体として登録されており、政治団体との法的境界は極めて不明確。

教団の幹部たちは「教義の共有者」として、自発的に信者たちが候補者を支援していると主張していたが、その裏では詳細な“選挙対応マニュアル”が配布され、信者の役割は候補者との契約に近い形で割り振られていた。

報告書の添付資料には、選挙カーの運転担当名簿、集会の設営スケジュール、寄付額別の信者リストまでが克明に記録されていた。

また、「信者への教義講話」として配布される冊子には、さりげなく「推奨される候補者」の名が記され、「神意に沿う判断を」という一文が添えられていた。

選挙直前には、教団の集会所が“内輪の祈りの儀式”の名目で外部の立ち入りを拒み、実質的な政治戦略会合が行われていたことも、複数の証言によって明らかになっていた。

王国の法体系では、宗教団体の政治活動は“自発的支援”である限り問題視されてこなかった。しかし、光導の会のように宗教と政が一体化した運用を行う団体の出現は、制度そのものの限界を浮き彫りにしていた。

政と宗が、水面下で手を結びながら、堂々と広場に祈りを捧げていた。そしてそれに対して、王国の制度は“善意の壁”に阻まれ、干渉の術を持たずにいた。

アウレリアは、王宮の執務室で静かにその報告書を閉じると、しばし沈黙した。

夕暮れが差し込む窓の外、広場では祈りを捧げる信者たちが手を重ねていた。風に揺れる白衣。虚空を仰ぐような眼差し。献身と善意が表層を彩っていたが、その内側には、無数の“沈黙する意思”が折り重なっているように感じられた。

アウレリアはゆっくりと口を開く。

「信仰の名を掲げて、誰かの意思を封じるなら、それはもう“祈り”ではない」

その声音は、温度を持たぬ静謐な剣のようだった。



王宮執務室の長机には、分厚い法務文書と宗教団体の活動報告書が無数に積み上げられていた。朝の光がまだ冷たい窓を透かして差し込むなか、アウレリアは椅子に座りながら、法務局長を筆頭とする三人の高官と向かい合っていた。

その場には、ページをめくる音さえ遠慮がちに響くほど、重たい沈黙があった。

「問題は、彼らが宗教か政党か、という線引きではありません。“信仰”を楯に政治を揺るがしているかどうか。それが焦点です」

アウレリアの言葉は端正で柔らかい響きを帯びながらも、確固たる意志を孕んでいた。

法務局長は額に深いしわを刻み、苦悶の表情で答える。

「陛下……現行法では、“布教”と“政治的表現”の境目が曖昧です。裁定の余地がなく、摘発すれば“信教の自由”への干渉と見なされかねません」

若手の法務官吏も重ねて言う。

「光導の会が行っている『信者への教義指導』は、実態としては“政治教育”に近いものですが、名目上はすべて“信仰啓発”です。形式上の問題を指摘できるだけの法的根拠が……」

アウレリアは短くうなずいた。

「……ならば、形式ではなく“効果”を問うべきでしょう。語られた言葉が、どれだけの票を動かしたのか」

しかし、それは制度上前例のない挑戦だった。

すでに光導の会の信者である議員は王国議会に少なくとも十数名。さらに彼らに連なる地方議会の議員や補佐官を含めれば、信者のネットワークは王国の法制度そのものへ浸透していた。

アウレリアが提示した案文は、すぐに“信教の自由の侵害”として修正要求が付き、法務局から提出された草案には核心がすべて削ぎ落とされていた。

「祈ること」は無罪。
「語ること」もまた自由。

だが、その祈りが誰かの思想を縛り、言葉が群衆を誘導し、結果として“支配”が生まれていたなら?

その問いに、制度は答えを持っていなかった。

一方で、光導の会は巧みに法の網をくぐりながら、「神の正義に従う政治」というスローガンのもと、地方自治体で法案を次々と通過させていた。

“敬神教育補助金”――道徳性を基準とする教員評価制度。
“祈祷保護条例”――宗教施設の税制優遇。
“家庭祈念奨励金”――礼拝を行う家庭への補助金制度。

それらはすべて、生活の中に“信仰の形”を組み込む政策だった。

一見して害はなく、実際に制度の恩恵を受けた家庭はその“信仰の恩義”に沈黙で応えた。

アウレリアは一切の介入を控え、静かにそれを見つめていた。

「力は、過剰な時より、過小な時にこそ静かに支配を始める」

彼女が記録帳に書き記した一節だった。

そしてある夜。

王宮裏門に現れた一人の影。防寒のケープに身を包み、顔を半ば隠した男は震える声で名乗った。

「私は……光導の会の元・教理顧問です」

その名は記録にあった。初期の布教網を設計し、信者向けの誓詞と講義書を作成した中心人物のひとり。

「もう……あれは信仰ではありません。支配です」

彼は白い封筒をアウレリアに差し出した。重く、分厚く、何かが詰まったその感触は、それ自体が証拠であるかのようだった。

「これが……私の知るすべてです。国が、祈りで縛られてしまう前に」

アウレリアは封を切らずに男を見つめた。その目には、悔恨と恐怖、そして救済を求める希薄な祈りが滲んでいた。

封筒の中には、信者に強制された忠誠の誓詞、教団内部で行われていた閉鎖的な儀式の記録、そして政党に近い形で交付された政治献金のリスト。

それは、“信仰による忠誠”と“金銭による序列”が一体となった、構造的な支配の証だった。

「儀式で名が呼ばれた者は、翌日から信者として“神意に沿った票”を集め始める……。名簿の順が、政治家への支援優先度なんです」

アウレリアは一枚一枚、資料に目を通し、そして封を閉じた。

蝋燭の炎が微かに揺れ、執務室の空気が変わった。

「……祈りが選挙を決め、金が信仰を選ぶなら、そこに政はない。ただの儀式と市場だわ」

低く、鋭く、言葉は空間を斬った。

アウレリアは静かに立ち上がると、記録帳に新たな一行を書き記した。

『聖と俗が重なった時、失われるのは“自由”である』

そして、帳を閉じた。



王国議会、大会議室。

冬の名残が漂う石造りの大広間は、いつもよりも厳かだった。高天井には神聖文字がびっしりと彫り込まれ、魔晶灯がまばゆい光を放っていたが、光が届かぬ場所に潜む空気はどこか張り詰めていた。重厚な紅の絨毯の上に、百二十を超える議員が整然と並び、議長席の前で静まり返っていた。

その空気を断ち切るように、ひとつの足音が響いた。

銀刺繍の礼装に身を包んだ少女、アウレリア・セラフィーナ・ヴァレリアが、まっすぐに壇上へと進む。

彼女の一歩ごとに、絨毯がわずかに沈み、そのたびに議場の空気は重みを増していく。椅子の軋む音すら止み、視線が一斉に集中する中、彼女は壇の中央に立った。

「本日は、信仰と政の分離に関する法案を提出します」

その一言で、空気が震えた。ざわめきは控えめだが確かなものだった。議員たちは互いに顔を見合わせ、その意味を量るように視線を交わす。

アウレリアは動じず、革張りの法案書を開くと、清澄な声で読み上げる。

「第一条。宗教団体によるいかなる政治献金も、全面的にこれを禁止する」
「第二条。宗教施設内における政治活動、演説、宣伝行為を禁ずる」
「第三条。宗教指導者の政党関与、選挙活動に関する倫理指針を策定し、違反時の制裁を明記する」
「第四条。政教分離の原則に基づき、王室直属の『透明資金管理局』を設置し、宗教関連献金の記録と開示を義務化する」

その声は決して大きくなかったが、一語一句が剣のように研ぎ澄まされていた。

読み終えた瞬間、沈黙。

時間が凍ったかのように、場内に静寂が満ちる。

やがて、議席の右奥で老年の貴族が立ち上がる。彼は宗教団体の長年の支援者であり、法案に激しく反対していた人物だった。

「この国は信仰によって民心を支えられてきたのです! これは信教の自由に対する明確な弾圧ではないのか!」

声は堂内に響いた。別の議員も続く。「祈る者を疑うことは、民そのものを疑うことだ!」

その言葉に同調するかのように、一部の議席から怒声に近い抗議の声が上がる。

だがアウレリアは、わずかに目を細めて壇の前方に一歩踏み出した。そして、ひとことだけ、こう述べた。

「“祈り”とは、誰かの心を縛るためのものではなく、自由を守るためのものであるべきです」

静けさが返ってきた。だが今度の沈黙は、理解と尊重を伴うものだった。

その言葉に、一人の若い議員が立ち上がり、静かに拍手を送った。

最初の一拍。次いで、二人、三人と賛同の音が連なり、波のように拡がっていく。

その拍手は、声を荒げた者たちの主張をゆるやかに包み込み、議場を新たな空気に変えていった。

議長が槌を打つ。

「――信仰と政の分離法案、賛成多数により可決」

拍手が本格的に沸き起こる。反対派の数人が無言のまま席を立ち退席するなか、残った者たちはそれぞれの胸にさまざまな思いを抱えて沈黙を守っていた。

その夜。

王宮。

執務室に戻ったアウレリアは、誰もいない静かな部屋で灯を落とし、窓辺の机に向かった。月光が机を斜めに照らし、手元の記録帳の縁を銀白に浮かび上がらせている。

彼女は筆を取り、迷いなく墨を走らせた。

『信じるとは、支配されることではない。声なき自由の上に、初めて祈りは咲く』

書き終えると、筆を置き、しばし夜空を見上げた。静けさのなか、遠く教会の鐘がひとつ鳴った。

信仰は否定されない。だが、その名が他者を縛る手段になるとき、祈りは毒へと変わる。

アウレリアはその真実を胸に刻み、再び記録帳を閉じた。