春の花祭の日。
校庭には白いテントが並び、花の香りと人の声が混じり合っていた。
青空の下、色とりどりのブーケが風に揺れ、
どこか遠い場所のように、世界がきらめいて見える。
桐山瑠奈は、花壇の前に立っていた。
淡いピンクのカーネーションを整えながら、
胸の奥ではずっと別の鼓動を感じていた。
(……今日、渡すつもりだった)
鞄の中には、まだ封をしていない手紙が入っている。
けれど、それを渡す勇気は出なかった。
“今さら”という言葉が、頭の中で何度もこだまする。
その時、校舎側から歓声が上がった。
「一条くん、来栖さん、お似合いー!」
「写真撮っていい?」
見れば、花壇の中央で悠真と麗華が並んでいた。
麗華は白いワンピース姿で、胸元には真紅のコサージュ。
悠真の手には、同じ色のリボンが結ばれたブーケ。
「麗華、似合うよ」
「ほんと? 嬉しい」
彼女の笑顔は完璧で、周囲の視線を独り占めにしていた。
瑠奈は、遠くからその光景を見つめていた。
心臓が静かに痛む。
風の音と拍手の音が混じり、
世界から自分だけが切り離されたような気がした。
「……また見てるの?」
後ろから声がした。
振り返ると、拓也が立っていた。
シャツの袖をまくり、少し苦い笑みを浮かべている。
「見てないよ」
「見てた」
瑠奈は俯いた。
「……ねえ、拓也くん。
人って、どうして好きになった人のこと、
嫌いになれないんだろうね」
拓也は一瞬、言葉を失った。
そして、静かに答えた。
「それが、“本気”ってやつだから」
放課後。
花祭の片づけが終わるころ、
瑠奈は花壇の隅でひとり、散った花びらを拾い集めていた。
「桐山」
背後から呼ばれて振り向くと、悠真が立っていた。
「これ、余った花。持って帰る?」
差し出されたのは、白いカスミソウの束。
「……ありがとう」
受け取った瞬間、手が少し触れた。
けれど、悠真はすぐに手を引いた。
沈黙。
いつもみたいな笑顔は、そこにはなかった。
「麗華、嬉しそうだったね」
瑠奈がそう言うと、悠真は少し戸惑った顔をした。
「え? ああ……まぁ、みんなが盛り上がってただけだよ」
「ううん、よかったよ。すごく似合ってた」
無理に笑う瑠奈の声は、少しだけ震えていた。
悠真はそれに気づきながらも、何も言えなかった。
“泣いた理由を聞けなかった”あの日から、
彼はまた、何も聞けないままだった。
そのあと、麗華がやって来た。
「悠真くん、探したの」
彼女の手には、記念撮影の写真。
「せっかくだから、二人で撮ったやつ、あげる」
「ありがとう」
その笑顔を見つめる瑠奈に、麗華は気づいた。
わざとらしく、優しく言う。
「瑠奈ちゃんも一緒に写ればよかったのに」
「私は……いいの」
「遠慮しないで。
でも、こうして見ると――“三人”って難しいね」
言葉の意味を理解した瞬間、
胸の奥で小さく音がした。
壊れるような、沈むような、乾いた音。
「……そうだね」
瑠奈は小さく笑って答えた。
その笑顔があまりに静かで、
悠真は何も言えなかった。
夜。
帰宅した瑠奈は机に座り、
花祭で受け取ったカスミソウを花瓶に挿した。
テーブルの上には、まだ封をしていない手紙。
けれど、もう書き足す言葉もなかった。
「渡せなかった手紙が、
この想いを静かに閉じ込めてくれたのかもしれない」
彼女はそう呟いて、ペンを置いた。
窓の外、庭の花が夜風に揺れていた。
その花びらの一枚が、
ゆっくりと舞い上がり、机の上の手紙に触れた。
まるで、
「さよなら」という言葉を代わりに伝えるように。
校庭には白いテントが並び、花の香りと人の声が混じり合っていた。
青空の下、色とりどりのブーケが風に揺れ、
どこか遠い場所のように、世界がきらめいて見える。
桐山瑠奈は、花壇の前に立っていた。
淡いピンクのカーネーションを整えながら、
胸の奥ではずっと別の鼓動を感じていた。
(……今日、渡すつもりだった)
鞄の中には、まだ封をしていない手紙が入っている。
けれど、それを渡す勇気は出なかった。
“今さら”という言葉が、頭の中で何度もこだまする。
その時、校舎側から歓声が上がった。
「一条くん、来栖さん、お似合いー!」
「写真撮っていい?」
見れば、花壇の中央で悠真と麗華が並んでいた。
麗華は白いワンピース姿で、胸元には真紅のコサージュ。
悠真の手には、同じ色のリボンが結ばれたブーケ。
「麗華、似合うよ」
「ほんと? 嬉しい」
彼女の笑顔は完璧で、周囲の視線を独り占めにしていた。
瑠奈は、遠くからその光景を見つめていた。
心臓が静かに痛む。
風の音と拍手の音が混じり、
世界から自分だけが切り離されたような気がした。
「……また見てるの?」
後ろから声がした。
振り返ると、拓也が立っていた。
シャツの袖をまくり、少し苦い笑みを浮かべている。
「見てないよ」
「見てた」
瑠奈は俯いた。
「……ねえ、拓也くん。
人って、どうして好きになった人のこと、
嫌いになれないんだろうね」
拓也は一瞬、言葉を失った。
そして、静かに答えた。
「それが、“本気”ってやつだから」
放課後。
花祭の片づけが終わるころ、
瑠奈は花壇の隅でひとり、散った花びらを拾い集めていた。
「桐山」
背後から呼ばれて振り向くと、悠真が立っていた。
「これ、余った花。持って帰る?」
差し出されたのは、白いカスミソウの束。
「……ありがとう」
受け取った瞬間、手が少し触れた。
けれど、悠真はすぐに手を引いた。
沈黙。
いつもみたいな笑顔は、そこにはなかった。
「麗華、嬉しそうだったね」
瑠奈がそう言うと、悠真は少し戸惑った顔をした。
「え? ああ……まぁ、みんなが盛り上がってただけだよ」
「ううん、よかったよ。すごく似合ってた」
無理に笑う瑠奈の声は、少しだけ震えていた。
悠真はそれに気づきながらも、何も言えなかった。
“泣いた理由を聞けなかった”あの日から、
彼はまた、何も聞けないままだった。
そのあと、麗華がやって来た。
「悠真くん、探したの」
彼女の手には、記念撮影の写真。
「せっかくだから、二人で撮ったやつ、あげる」
「ありがとう」
その笑顔を見つめる瑠奈に、麗華は気づいた。
わざとらしく、優しく言う。
「瑠奈ちゃんも一緒に写ればよかったのに」
「私は……いいの」
「遠慮しないで。
でも、こうして見ると――“三人”って難しいね」
言葉の意味を理解した瞬間、
胸の奥で小さく音がした。
壊れるような、沈むような、乾いた音。
「……そうだね」
瑠奈は小さく笑って答えた。
その笑顔があまりに静かで、
悠真は何も言えなかった。
夜。
帰宅した瑠奈は机に座り、
花祭で受け取ったカスミソウを花瓶に挿した。
テーブルの上には、まだ封をしていない手紙。
けれど、もう書き足す言葉もなかった。
「渡せなかった手紙が、
この想いを静かに閉じ込めてくれたのかもしれない」
彼女はそう呟いて、ペンを置いた。
窓の外、庭の花が夜風に揺れていた。
その花びらの一枚が、
ゆっくりと舞い上がり、机の上の手紙に触れた。
まるで、
「さよなら」という言葉を代わりに伝えるように。

