君に届く春

放課後の委員会室。
窓の外では、夕陽がゆっくりと沈み始めていた。
机の上に積まれたプリントの山を見つめながら、羽春は小さくため息をつく。
「羽春」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
その声の主は、もちろん孝太。
相変わらず落ち着いた声。けれど、自分の名前を呼ぶその響きが、胸の奥に静かに落ちていく。
「はい、これ次の資料。ちょっと確認お願いしてもいい?」
「あ、はい……!」
手を伸ばして受け取った瞬間、指先が少し触れた。
ほんの一瞬なのに、鼓動が早くなる。
でも、孝太は気づいていないように、自然な仕草でペンを取り直した。
「助かる。最近、他の仕事が多くてさ」
「先輩って、忙しいですよね」
「まぁ、副委員長って名前だけは立派だからな」
そう言って笑う孝太の横顔を、羽春は見つめてしまう。
その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわり熱くなっていく。
——この距離が、もう少しだけ近かったら。
そんなことを思ってしまって、すぐに目を逸らした。
「羽春って、真面目だよな」
突然の言葉に、息をのむ。
顔を上げると、孝太が優しく微笑んでいた。
「えっ、そんなことないです……!」
「あるよ。
 いつも最後まで残って、みんなの分まで片づけてるだろ」
「それは……」
言葉を探しているうちに、孝太が視線を窓の外へ向けた。
柔らかい光が彼の横顔を照らす。
「……そういうとこ、いいと思う」
その一言で、胸が熱くなる。
嬉しいのに、切ない。
“いいと思う”って言葉が、まるで遠くから響いてくるようだった。
***
委員会が終わったあと、
体育館の隣を通り抜けるとき、羽春は少し足を止めた。
バレー部の声が聞こえる。
でも、孝太の姿はもうない。
彼の残した声や笑顔が、空気の中にまだ残っている気がした。
「……羽春って、真面目だよな」
その言葉が、何度も頭の中でリピートする。
そのたびに、胸の奥が締め付けられた。
——名前で呼ばれるたびに、好きになっていく。
——でも、それを言葉にできるほど、私は強くない。
外に出ると、夜風が頬をなでた。
空気が少し冷たくて、
息を吐くたびに、自分の気持ちの輪郭がくっきりしていく。
「……先輩、ずるいです」
そう呟いて、羽春は校門を出た。
その声は風にかき消されて、誰にも届かないまま消えていった。