君に届く春

校舎の時計が、朝の8時を告げる。
今日が、孝太さんの卒業式。
空気は冷たいけれど、どこか凛とした光に満ちていた。
羽春は制服のスカートを整え、鏡の前で深呼吸する。
胸の奥に、言葉にならない気持ちが渦巻いていた。
——もう、今日しかない。
——伝えなきゃ、何も残らない。
体育館に向かう廊下。
すでに多くの生徒たちが集まっていて、華やかなざわめきが広がる。
その中で、孝太を探す。
目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
孝太は、制服姿のまま、少し緊張したように座っていた。
でもその横顔は、いつもの優しさに満ちている。
名前を呼ぶと、すぐに笑顔で返してくれた。
——ああ、この笑顔を覚えておきたい。
***
式が始まる。
校歌が流れ、先生方の話が続く。
羽春は胸の中で、何度も言葉を練習した。
“好きです”“ありがとう”“さようなら”
どれも、言えないまま、喉の奥に溜まっていく。
座席の隣を見ると、美咲がいた。
落ち着いた顔で、孝太を見ている。
その表情を見ただけで、羽春の胸は苦しくなる。
——私は、あの人に届かないのかもしれない。
でも、諦められない。
たとえ届かなくても、この気持ちは伝えたい。
***
卒業証書授与の順番がやってきた。
孝太の名前が呼ばれる。
壇上に上がるその姿を、羽春は息を詰めて見つめる。
「佐倉孝太」
拍手の中、彼が一歩前に出る。
そして、壇上で深呼吸をひとつ。
そのとき、孝太の視線がふと、羽春の方を向いた。
——その一瞬で、心が張り裂けそうになった。
——全部、言えなかった想いが、一気に溢れそうになる。
***
式が終わり、校庭に出る。
卒業生たちが友達や先生と笑顔を交わす中、羽春は孝太を探した。
人ごみの中で、やっと見つけた。
美咲と少し話してから、彼は羽春の方に歩いてくる。
「羽春、最後にちょっと話せるか?」
小さくうなずき、二人は人の少ない校庭の端へ歩く。
風が冷たくて、頬を赤く染める。
「……羽春」
名前を呼ぶその声に、羽春は胸が熱くなる。
言葉を飲み込み、深呼吸をする。
「先輩……卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
孝太は少し笑いながら、でも真剣な眼差しで羽春を見る。
「……羽春、最後に言わせてくれ」
胸が高鳴る。
言葉が出るかどうか、震える唇を噛みしめる。
「……好きだよ。羽春」
その言葉は、風に乗って羽春の心を震わせた。
涙が自然にこぼれる。
——届いたんだ、私の気持ちも、先輩の気持ちも。
羽春も小さく笑いながら、答えた。
「私も……先輩のこと、好きです」
風が二人の間を通り抜け、
夕陽が校庭を金色に染めた。
***
その後、美咲が静かに近づいてきて、微笑む。
「二人とも、よかったね」
その笑顔は嫉妬ではなく、優しさで満ちていた。
羽春はその場で深呼吸し、心が少し軽くなるのを感じた。
——切なかったけど、これが最後じゃない。
——新しい春が、もうすぐ始まるんだ。
二人で歩き出す。
背中に残る冬の冷たい風も、夕陽の温かさも、全部一緒に抱きしめて。
最後の春。
それは、切なくて、温かくて、忘れられない日になった。