君に届く春

春の午後。
委員会の顔合わせの日。
窓の外には、薄い桜の花びらがまだ少しだけ残っていた。
羽春は、手帳を片手に新しい名簿を確認していた。
新年度最初の委員会は、いつも独特の静けさがある。
自己紹介を終えたあとも、教室の空気は少しだけ固いままだった。
そんな中で、ひとりの先輩が静かに話し出した。
「三年の、佐倉孝太です。副委員長をしています。よろしくお願いします」
低くて落ち着いた声。
それだけで、なんだか場の空気が少し柔らかくなった気がした。
羽春は、思わず顔を上げた。
短く切られた髪。少し日に焼けた肌。
彼の視線はまっすぐ前を見ているのに、どこか遠くを見ているようで、
心のどこかにぽっかり穴が開いたような気がした。
「二年の、桐谷羽春《はる》です。よろしくお願いします」
声がほんの少しだけ震えた。
自分でも理由がわからなかった。
胸の奥が、じんわり熱くなるのを感じる。
——この人、なんだか特別だ。
その日から、羽春の中で、佐倉孝太という名前が少しずつ形を持ちはじめた。
***
委員会の仕事は、放課後の体育館で行われることも多い。
隣ではバレー部の掛け声、ボールの弾む音。
そして少し離れたコートからは、バスケ部のシューズの音が響く。
その音が混ざるのが、羽春は好きだった。
理由なんて、特になかった。
ただ、孝太がその中にいる気がして、
胸の奥が温かくなると同時に、わずかに寂しさも感じる。
「今日も、バレー来てるんだ……」
練習を終えた後、羽春は小さくつぶやいた。
もう引退しているはずなのに、孝太は変わらず真剣に後輩のスパイクを見ている。
「……好きなんだな、バレー」
そう呟いた自分の声が、体育館の音に溶けて消えていく。
その瞬間、触れられない時間の長さや、卒業までの限られた日々を思って、
胸がぎゅっと締め付けられた。
その日の帰り道。
靴を履き替えていたとき、ふと背後から声がした。
「桐谷さん」
「っ、あ、佐倉先輩……!」
「おつかれ。バスケ、今日も遅くまでやってたね」
「はい。先輩も……部活、もう終わってるのに」
「うん。でも、なんか、離れられなくてさ」
その言葉に、羽春は少し笑った。
心の中のざわつきが、ほんの少しだけ静まった気がした。
「わかります」
「え?」
「体育館の音、好きなんです。
 みんなの声とか、ボールの音とか。
 なんか、ここにいると落ち着くんですよね」
孝太は小さく頷いた。
「……それ、ちょっと似てるかも」
二人の間に沈む小さな沈黙。
でも、それは気まずさじゃなかった。
なんとなく、心地よい静けさだった。
そして、気づけば夜風が春の匂いを運んでいた。
昇降口を出たとき、
校舎の窓に残った明かりが二人の影を並べた。
「じゃあ、また委員会で」
「はい。また」
その短い会話が、なぜかずっと耳に残った。
羽春は帰り道、手の中のスマホを見つめながら、
ただ一言だけつぶやいた。
「……また、話したいな」
そして、手が届かない時間の長さを思い、胸の奥で小さな痛みが広がった。