深い深い海の底を流れるままに揺蕩う。
ぼんやりと目を開けば、暗闇にほんわりと浮かぶ今にも消えてしまいそうな淡い光の中に『誰か』の姿が見えた。
ゆらゆら、ゆらゆら。
あれが誰なのか、私には分からない。人影は複数人いるのだろうか。
一人がこちらへ手を伸ばしてくる。どこか戸惑いながら、ひどく躊躇いがちに。
けれど彼は、触れるか触れないかのところでその手を引っ込めてしまった。
──どうして?
私は思わず手を伸ばす。
『…いつかその時が来たら、必ず迎えに行く』
ああ、行ってしまうのか。
私を置いて。
そうだ、みんな何処かへ行ってしまうのだ。
私を置いて。
いつか…なんて時間はないと、私は知っている。
この世界に信じられるものなんてないと、私は知っている。
──だから。
ぷつん、と細く長い糸がこと切れるように目が覚めた。
寝起きそうそう浅く溜め息をつきながら重たい瞼を持ち上げると、ボヤけた視界に真っ白な天井と不自然に伸びた自分の腕が映り込む。
ああまた、と思うのはもう何度目か。
私にとって、夢と現実の境目はひどく曖昧だ。夢自体はぼんやりとしているのに、目覚めたとき妙にリアルな感覚がまとわりつく。こうして夢の中と同じ動きをしている時もあるし、酷い時には自分が全く知らない場所にいることもある。
いい加減、噂の夢遊病とかいうものを疑った方が良いのかもしれない。
「変な夢……」
脱力するように頭の上に腕を下ろしながら、私はもう一度、ゆるく瞼を伏せる。
……いつも以上に、訳の分からない夢だった。
ただ、不思議といつものような『予感』はない。どちらかと言えば、誰かの昔の記憶をこっそりと覗き込んだような、妙な懐かしさを感じる夢。とはいえ、あの乙女ゲームのセリフに出てきそうなむず痒い台詞を考えれば──万が一ではあるけれど、ここ数年良い出逢いに恵まれなかった私の欲求不満なんてことも有り得るのかもしれない。
起きたばかりなのに、どっと疲れが押し寄せる。
これ以上考えても仕方がない。例えこれが〝いつもの夢〟だとしてもそうでないとしても、私に出来ることは何もないのだ。
気だるい身体を起こしてベッドを降り、私はカーテンを一気に引いて窓を開け放った。
朝の清々しく澄んだ空気が、私の鬱な気分を取り払うように部屋に舞い込んでくる。柔らかく射し込んだ白ばんだ陽に目を細めながら深く息を吸い込むと、ようやく頭の中を埋め尽くしていた濃霧が晴れてきて、私は大きく腕を上げて伸びをした。
私の住むアパートの二階から一望出来る遅咲きの桜たちは、長い坂の頂上へ向かって途切れることなく続いている。最低限の家具だけが並べられた質素な部屋を、この時期特有のほのかな甘い香りが駆け抜けて思わず頬が緩んだ。
そんな思いに浸っていると、ベッドサイドに置かれている目覚まし時計からテレーンテレーンと七時を告げるアラームが鳴った。
制服に着替え、朝ご飯を飲み込んだ。
私が通う桜ヶ丘中学校に行くまでの通学路には並木通りがある。春になると満開の桜が見られるのだ。
通学路の並木通りに足を踏み入れると、桜の花びらがひらひらと舞い落ち、私の肩や髪にやさしく触れた。
「うん、今日も良い天気……!」
ひとりごとのように呟きながら歩いていると、突然、頭上から声が降ってきた。
「天音たーん!おはよ〜」
目線を上げると、木の上で白色と赤色の狩衣姿の男の子が手を振っていた。
私はその声を聞かなかったことにして歩き出した。
「あーん、天音たん辛辣ぅ〜!」
くねくねしている男の子。
知らない。こんな変な神なんか知らない。
「ねぇねぇ、無視ー?もしかして昨日冷蔵庫に入ってたチョコ食べたから怒ったの?」
つんつんと頬をつついてくる。
―――って、ちょっと待って!!
「チョコ食べたの康親様なの!?」
「え…あっ」
ようやく自分の失言に気付いたらしい康親様を半目で睨み付けながら、肩を掴んで揺さぶる。
「私のチョコ〜!!」
「ご、ごめんね天音たん!本当に美味しそうだったんだもん……」
康親様はしょんぼりしつつも、顔を赤くして必死に「お腹が空いてた」だの「美味しそうだったから」だの言い訳を並べる。
「最後の一個だったのに〜!絶対許さないから…!あと何で家に勝手に入ってんの!?不法侵入だからね!?」
「俺が食べちゃダメだったのかぁ〜。家は、まぁまぁまぁ…気にしないで☆」
ヘラヘラと頭を搔いている康親様。全然反省してないよね…。
その時、空気がひんやりと変わった。
「二人共、五月蝿いぞ」
ふっと風が吹き、枝の間から長髪の男の子が現れる。
麻呂眉をしかめながら長髪を簪でひとつに結っており、一見すると女の子に見えるが、れっきとした男の子である。その正体は雷を司る龍神。
「天音、朝っぱらから何騒いでいるんだ」
「げっ、紗霧様…」
康親様は注意されている私を見ながらにやにや笑う。
(コイツ…!!)
「康親も馬鹿なのか?」
紗霧様は麻呂眉をピシッと動かし、私達を睨む。その視線だけで、ちょっとした稲妻が落ちそうな雰囲気だ。
めっちゃ怖い…。
「だって天音たんが可愛いんだもーん!」
康親はまだヘラヘラしている。
「……可愛いからって何やっても許されると思うな」
そーだそーだ、もっと言ったれ!!
「許されたいよぉ〜」
あっ、康親様が嘘泣きした。
ぼんやりと目を開けば、暗闇にほんわりと浮かぶ今にも消えてしまいそうな淡い光の中に『誰か』の姿が見えた。
ゆらゆら、ゆらゆら。
あれが誰なのか、私には分からない。人影は複数人いるのだろうか。
一人がこちらへ手を伸ばしてくる。どこか戸惑いながら、ひどく躊躇いがちに。
けれど彼は、触れるか触れないかのところでその手を引っ込めてしまった。
──どうして?
私は思わず手を伸ばす。
『…いつかその時が来たら、必ず迎えに行く』
ああ、行ってしまうのか。
私を置いて。
そうだ、みんな何処かへ行ってしまうのだ。
私を置いて。
いつか…なんて時間はないと、私は知っている。
この世界に信じられるものなんてないと、私は知っている。
──だから。
ぷつん、と細く長い糸がこと切れるように目が覚めた。
寝起きそうそう浅く溜め息をつきながら重たい瞼を持ち上げると、ボヤけた視界に真っ白な天井と不自然に伸びた自分の腕が映り込む。
ああまた、と思うのはもう何度目か。
私にとって、夢と現実の境目はひどく曖昧だ。夢自体はぼんやりとしているのに、目覚めたとき妙にリアルな感覚がまとわりつく。こうして夢の中と同じ動きをしている時もあるし、酷い時には自分が全く知らない場所にいることもある。
いい加減、噂の夢遊病とかいうものを疑った方が良いのかもしれない。
「変な夢……」
脱力するように頭の上に腕を下ろしながら、私はもう一度、ゆるく瞼を伏せる。
……いつも以上に、訳の分からない夢だった。
ただ、不思議といつものような『予感』はない。どちらかと言えば、誰かの昔の記憶をこっそりと覗き込んだような、妙な懐かしさを感じる夢。とはいえ、あの乙女ゲームのセリフに出てきそうなむず痒い台詞を考えれば──万が一ではあるけれど、ここ数年良い出逢いに恵まれなかった私の欲求不満なんてことも有り得るのかもしれない。
起きたばかりなのに、どっと疲れが押し寄せる。
これ以上考えても仕方がない。例えこれが〝いつもの夢〟だとしてもそうでないとしても、私に出来ることは何もないのだ。
気だるい身体を起こしてベッドを降り、私はカーテンを一気に引いて窓を開け放った。
朝の清々しく澄んだ空気が、私の鬱な気分を取り払うように部屋に舞い込んでくる。柔らかく射し込んだ白ばんだ陽に目を細めながら深く息を吸い込むと、ようやく頭の中を埋め尽くしていた濃霧が晴れてきて、私は大きく腕を上げて伸びをした。
私の住むアパートの二階から一望出来る遅咲きの桜たちは、長い坂の頂上へ向かって途切れることなく続いている。最低限の家具だけが並べられた質素な部屋を、この時期特有のほのかな甘い香りが駆け抜けて思わず頬が緩んだ。
そんな思いに浸っていると、ベッドサイドに置かれている目覚まし時計からテレーンテレーンと七時を告げるアラームが鳴った。
制服に着替え、朝ご飯を飲み込んだ。
私が通う桜ヶ丘中学校に行くまでの通学路には並木通りがある。春になると満開の桜が見られるのだ。
通学路の並木通りに足を踏み入れると、桜の花びらがひらひらと舞い落ち、私の肩や髪にやさしく触れた。
「うん、今日も良い天気……!」
ひとりごとのように呟きながら歩いていると、突然、頭上から声が降ってきた。
「天音たーん!おはよ〜」
目線を上げると、木の上で白色と赤色の狩衣姿の男の子が手を振っていた。
私はその声を聞かなかったことにして歩き出した。
「あーん、天音たん辛辣ぅ〜!」
くねくねしている男の子。
知らない。こんな変な神なんか知らない。
「ねぇねぇ、無視ー?もしかして昨日冷蔵庫に入ってたチョコ食べたから怒ったの?」
つんつんと頬をつついてくる。
―――って、ちょっと待って!!
「チョコ食べたの康親様なの!?」
「え…あっ」
ようやく自分の失言に気付いたらしい康親様を半目で睨み付けながら、肩を掴んで揺さぶる。
「私のチョコ〜!!」
「ご、ごめんね天音たん!本当に美味しそうだったんだもん……」
康親様はしょんぼりしつつも、顔を赤くして必死に「お腹が空いてた」だの「美味しそうだったから」だの言い訳を並べる。
「最後の一個だったのに〜!絶対許さないから…!あと何で家に勝手に入ってんの!?不法侵入だからね!?」
「俺が食べちゃダメだったのかぁ〜。家は、まぁまぁまぁ…気にしないで☆」
ヘラヘラと頭を搔いている康親様。全然反省してないよね…。
その時、空気がひんやりと変わった。
「二人共、五月蝿いぞ」
ふっと風が吹き、枝の間から長髪の男の子が現れる。
麻呂眉をしかめながら長髪を簪でひとつに結っており、一見すると女の子に見えるが、れっきとした男の子である。その正体は雷を司る龍神。
「天音、朝っぱらから何騒いでいるんだ」
「げっ、紗霧様…」
康親様は注意されている私を見ながらにやにや笑う。
(コイツ…!!)
「康親も馬鹿なのか?」
紗霧様は麻呂眉をピシッと動かし、私達を睨む。その視線だけで、ちょっとした稲妻が落ちそうな雰囲気だ。
めっちゃ怖い…。
「だって天音たんが可愛いんだもーん!」
康親はまだヘラヘラしている。
「……可愛いからって何やっても許されると思うな」
そーだそーだ、もっと言ったれ!!
「許されたいよぉ〜」
あっ、康親様が嘘泣きした。



