パーティーの夜から一日が経った。
 けれど、胸の奥に残る熱はまだ冷めていなかった。
 あのときの悠真の言葉――
 「君は、誰のものだ?」
 冷たい眼差しの奥に覗いた強い感情は、どう考えてもただの「副社長」と「社長令嬢」の距離感ではなかった。

 ……でも。
 それを嫉妬だと断じるには、怖かった。
 私の初恋を知ってしまうことが、何よりも怖かった。



 翌日の午後。
 私は本社ビルの会議室で、各部署から集まった資料を整理していた。
 窓から差し込む光が、ホワイトボードに反射して白く眩しい。
 分厚い資料を両手で抱え込んだ瞬間、ドアが開いた。

「そのまま置け。俺が見る」

 悠真だった。
 黒のスーツに身を包んだ姿は、昨日のパーティーの煌めきとは正反対で、ただ冷徹な副社長の顔をしていた。
 私の胸は一瞬だけ疼き、けれど彼に悟られぬよう、微笑を形だけ作った。

「昨日は……お疲れさまでした」
「社交界の雑音は時間の無駄だ。君もそう思うだろう?」

 抑揚のない声。
 その言葉に胸が少しだけ痛む。
 私が「雑音」の中で微笑んでいたことを、彼は見ていたのだ。

「雑音でも、立場上は必要ですから」
「必要なら、俺が処理する」

 その言葉に思わず彼を見つめてしまう。
 強い瞳。
 けれど、その奥にほんの一瞬だけ影のようなものが揺れた。

 昨日の夜と同じだ。
 視線が交差するだけで、心臓が暴れる。

「悠真さんは……どうして、あんなことを?」
 勇気を振り絞って口にした。

「何を指している」
「……“君は誰のものだ”って」

 一瞬、彼の目が鋭さを帯びる。
 けれど、すぐに冷たい光へ戻った。

「言葉の綾だ。社交界での不用意な誘いに釘を刺しただけだ」

 ――そう、片づけられてしまうの?
 胸がぎゅっと痛み、喉が詰まる。

「私は……誰のものでもありません」
 絞り出した声は震えていた。

 悠真は一歩近づき、低い声で言った。
「その言葉を、誰にでも向けるな」

「え……?」

「俺以外に、そんな視線を向けるな」

 吐き出すような言葉に、心臓が跳ねた。
 でも、次の瞬間、彼はふっと視線を逸らす。

「……会議に遅れる。準備を整えておけ」

 踵を返し、ドアの向こうへ消えていく背中。
 残された私は、胸に両手を当て、乱れる鼓動を必死で抑えた。

 ――結局、何も言えない。
 視線が交わるたびに心は揺れるのに、言葉はすれ違う。

 冷徹な副社長と、社交界の花。
 互いの立場と誤解が、またひとつ厚い壁を作ってしまった。