窓を打つ雨音が激しさを増していた。
 稲光が夜空を裂き、ガラス越しに白い閃光が差し込む。
 雷鳴が重なり、オフィス街全体が嵐に揺さぶられているようだった。

 残業を終えた私は、一人で資料をまとめていた。
 社員たちはすでに帰宅し、フロアは静まり返っている。
 外の嵐に足を止められ、私は帰る勇気を失っていた。

 そのとき。
 エレベーターホールから足音が響いた。

「……まだ残っていたのか」

 悠真だった。
 濡れた髪に雨粒をまとい、黒い傘を手に持っている。
 いつもの冷徹な顔立ちなのに、目の奥に熱を孕んでいた。



「こんな天気ですから……少し落ち着くのを待とうと思って」
「嵐は夜通し続く。無駄だ」

 短く言い切る声。
 彼は私の机の前に立ち、見下ろしてきた。

「莉子。昨日の涙の意味を、まだ聞いていない」
「……」
「忘れていない、と言ったな。なら、なぜ黙っていた」

 また問い詰められる。
 胸が痛い。
 “初恋だった”と告げる勇気は、まだ持てなかった。

「……言えなかったんです。立場があって、過去があって」
「言えない理由は、俺ではなく“立場”か」

 雷鳴が轟く。
 その瞬間、彼の手が机を叩いた。

「俺を拒む理由が、それだけなら——もう待てない」



 気づけば腕を掴まれていた。
 強く、逃がさぬように。
 次の瞬間、嵐の音をかき消すように、唇が重なった。

「……っ」
 抵抗しようと両手で彼の胸を押す。
 けれど、嵐のように熱い力に抗えない。
 震える呼吸が混ざり合い、涙が滲む。

「やめて……」
 小さく声を絞り出すと、彼は荒い息を吐きながら額を寄せてきた。

「やめられるものか……十年も待ったんだ」

 その言葉に、胸が震える。
 十年前の、雨の日。
 私が「忘れる」と告げたあの日の記憶。



「悠真さん……」
「俺はあの日から、ずっと君だけを見てきた」
「でも……私は……!」

 言葉が涙にかき消される。
 拒絶したいのに、心の奥では渇望が溢れて止まらなかった。
 ——本当は、彼を求めている。

「莉子。もう一度だけ聞く」
 低い声が耳元で囁く。
「君は、誰のものだ?」

 答えられない。
 雷鳴がまた響き、嵐が窓を揺らす。
 私の沈黙は、また誤解を生むのだろうか。

 それでも、胸の奥でははっきりと答えが叫んでいた。
 ——あなたのもの。

 けれど声にはできず、ただ涙だけが頬を濡らした。