「西園寺さん、資料ありがとう。すごく助かったよ」
 佐伯の明るい声に、思わず笑みを返す。
 そのやり取りを見ていた誰かの視線が、背中を突き刺した。

 会議室の隅。
 藤堂部長――蓮の瞳が、冷たく鋭く光っていた。



 「……っ」
 心臓が大きく跳ねる。
 さっきまでの柔らかな空気が、一瞬で張りつめたものに変わる。

 会議が終わると同時に、蓮の声が飛んできた。
 「西園寺。少し残れ」

 他の社員たちが出ていく中、私は机の前に立ち尽くした。
 佐伯が心配そうに振り返ったが、蓮の一瞥に押し戻される。



 ドアが閉まり、二人きりになった会議室。
 「……なんですか」
 恐る恐る尋ねると、彼は低い声で切り出した。

 「……最近、佐伯とよく一緒にいるな」

 「え……」
 予想外の言葉に目を見開く。

 「業務上のことです。佐伯さんは同じチームで――」
 必死に説明しようとするが、彼は遮るように机に手をついた。

 「必要以上に親しくするな」



 冷たいはずの声に、確かな苛立ちが混じっていた。
 「ど、どうして……そんなこと言うんですか」
 声が震える。

 彼は一瞬、言葉を詰まらせた。
 だがすぐに、表情を固くして告げた。
 「俺の部下だからだ。余計な噂を立てられても困る」

 ――それが本音なの?
 それとも。



 「……噂なんて、もう広がっています」
 思わず口にすると、彼の瞳が大きく揺れた。

 「っ……」
 彼は視線を逸らし、奥歯を噛みしめるように沈黙する。
 そして、吐き捨てるように言った。

 「……勝手にしろ」

 そのまま部屋を出て行こうとする背中に、胸が締めつけられる。



 「部長……」
 呼びかけた声はかすかに震えていた。
 けれど彼は振り返らない。

 ただ、その手がドアノブにかかる直前、一瞬だけ止まった。
 小さな揺らぎを残したまま、彼は会議室を出ていった。

 残された私は、深く息を吐いた。
 ――苛立ちの理由が「噂」なのか、それとも……。

 答えのない疑問が、心をさらに掻き乱していく。