「気をつけて帰れ」
 そう言い残して去っていった藤堂部長の背中が、ずっと胸に焼きついていた。
 冷たい拒絶と、不意の優しさ。
 突き放されているのに、守られているようで。
 ――どうして、あんなふうに優しくするの。

 答えのない問いを抱えたまま迎えた翌日。
 私はオフィスで、いつになく静かに仕事をしていた。
 心ここにあらずの私に気づいたのは、やはり彼だった。



 「西園寺さん、大丈夫?」
 隣の席から声をかけてくれたのは、同僚の佐伯。
 柔らかい笑顔が、張りつめていた心を少しだけ緩ませる。

 「え……あ、はい」
 慌てて笑顔を作るけれど、彼は首を傾げてこちらを覗き込んだ。

 「無理してるでしょ。顔色、よくないよ」
 その言葉に、胸が詰まる。
 昨夜の涙を、見抜かれている気がした。



 昼休み、机に突っ伏していたら、コトリと何かが置かれた。
 顔を上げると、温かいスープのカップが視界に入る。

 「冷えた身体にはこれが一番。食べなよ」
 にっこり笑う佐伯の手には、もうひとつ同じスープ。

 「……佐伯さん」
 胸の奥に熱いものが込み上げた。

 誰にも言えない孤独を抱えていたのに、こうして自然に寄り添ってくれる人がいる。
 ただそれだけで、涙が出そうになる。



 「何かあった?」
 小さな声で尋ねられ、私は首を振った。
 「いえ……大丈夫です」

 けれど彼は追及せず、優しく笑った。
 「そっか。じゃあ、無理だけはしないこと。困ったら、いつでも俺を頼って」

 その声は温かく、穏やかで。
 藤堂部長の冷たい拒絶とは、あまりにも違っていた。



 夕方、エレベーターの前で一緒になったとき。
 「今日は送るよ。ひとりで帰すの、心配だから」
 佐伯の一言に、胸が震える。

 雨に濡れた夜、傘を差し出した彼とは違う。
 けれど、佐伯の隣に立つと、不思議な安心感に包まれた。

 ――この優しさに甘えてしまったら、私はどうなるのだろう。
 揺れる心に問いかけながら、私は彼の横顔を見つめていた。