〇学校の屋上、放課後
(前回のつづき)
夕日が校舎を美しく染め、秋の風が二人の髪を優しく揺らしている。椿と蒼太が向かい合って立つ屋上は、まるで二人だけの特別な世界のよう。
蒼太の表情は今までにないほど真剣で、その目の奥に深い悲しみが宿っている。
蒼太「それでも……聞いてくれますか?」
椿「……はい。聞かせてください」
蒼太の視線に一瞬寂しさが過ぎると、椿はそっと一歩前に歩み寄る。
椿「大丈夫です。お話、ちゃんと聞きますから」
椿の優しさが、長い間凍りついていた蒼太の心を溶かしていく。
蒼太「僕は……小さい頃から、誰からも必要とされない子でした」
【蒼太の過去回想】
〇深夜、蒼太の家のリビング(10歳)
両親の激しい怒鳴り声で目を覚ました幼い蒼太が、階段の途中で毛布にくるまって震えている。
父親「もうこんな家庭、うんざりだ! お前とあの子のせいで、俺の人生は滅茶苦茶だ!」
母親「それは、こっちのセリフよ!」
皿の割れる音、ドアの叩きつける音。そして、幼い蒼太の小さなすすり泣き。
蒼太(幼少期)「二人とも、ケンカはやめて……お願い」
震える声は、両親の怒鳴り声にかき消される。
〇翌朝、リビング
蒼太が起きると、父親の荷物が全て消えている。母親は目を真っ赤に腫らし、慌ただしく仕事の準備をしている。
母親「蒼太……お父さんは、もう帰ってこないの」
母親の声は震え、目には涙が浮かんでいる。
母親「お母さん、今日から仕事でもっと忙しくなるけど……蒼太、一人でも大丈夫よね?」
蒼太(幼少期)「うん……」
泣きそうになりながらも、必死に我慢する蒼太。
蒼太(幼少期)(お父さんがいなくなったのは……僕のせい?)
〇3年後、蒼太の部屋(蒼太・13歳)
母親の帰宅は、毎晩深夜となった。中学生の蒼太が一人、独学でプログラミングを覚えている。
目元は長い前髪で隠れ、痩せた体は制服の中で小さく見える。
机の上には、蒼太が一人で食べた冷えた夕食の跡。
中学生の蒼太(母さん……最近、全然僕のことを見てくれない。話しかけても「忙しい」ばかり。僕って、本当に必要ないんだ)
〇ある深夜、リビング
母親の勤務先で大規模なシステム障害が発生し、母親がパソコンの前で頭を抱えている。
母親「どうしよう、会社に何千万円もの損害を……このままじゃクビになる。蒼太をどうやって育てていけば……」
廊下から、心配そうに見つめる蒼太。母親のこんな弱い姿を見るのは初めてだった。
恐る恐る、母に近づく蒼太。
中学生の蒼太「ねえ、母さん。僕がやってみるよ」
母親「蒼太? これは大人でも解決できないような、複雑な……」
中学生の蒼太「いいから。僕にやらせて」
徹夜でシステムと格闘し、見事に完全復旧を果たす蒼太。パソコンの画面に『復旧完了』の文字が表示された時、母親の表情が変わった。
母親「信じられない……蒼太が、会社を救ってくれたのね!」
涙ながらに、蒼太を抱きしめる母親。
母親「あなたって、すごい技術を持ってるのね」
母親は蒼太の顔ではなく、パソコンのモニターに視線を移す。
中学生の蒼太(母さんが、初めて僕を必要としてくれた……嬉しい)
しかし翌日から、母親はまた忙しい日常に戻る。あの夜の温かさは、まるで夢だったかのように。
〇中学校の昼休み、中庭(蒼太・14歳)
蒼太が一人でお弁当を食べていると、数人の同級生が取り囲む。
いじめっ子A「影山ってさ、マジでキモいよな」
いじめっ子B「友達もいないし」
蒼太が大切にしていたUSBメモリを奪われ、地面に叩きつけられる。
中学生の蒼太「やめて……それは……!」
涙を浮かべながら、必死に手を伸ばす蒼太。しかし同級生たちは笑いながら、さらにUSBを踏みつける。
中学生の蒼太(僕が一生懸命作ったプログラム……誰かに認めてもらいたくて、必死に作ったのに)
〇その夜、蒼太の家のリビング
パソコンに向かう母親に、相談しようとする蒼太。
中学生の蒼太「母さん、今日学校で……」
母親「ごめんね。お母さん、今日は疲れてるのよ。また今度にしてちょうだい。仕事もまだ残ってるし」
パソコンの画面から、目を離さずに答える母親。
中学生の蒼太「でも、大事な話なんだ」
母親「蒼太、お母さん本当に忙しいの」
ため息をつく母親。
母親「蒼太、あなたには技術があるじゃない。それで、何でも解決できるでしょ?」
※疲れ切った声で、無意識に。
中学生の蒼太「……」
母親「あなたは賢い子なんだから、大丈夫よ」
そう言って、再びパソコンの画面に向かう母親。
中学生の蒼太(母さん……僕のことは、技術でしか見ていないんだ)
〇蒼太の部屋、夜
部屋に戻った蒼太は、机に突っ伏す。
中学生の蒼太(僕は……技術でしか、価値がないんだ……)
部屋で一人、パソコンに向かう蒼太。
モニターの青白い光が、彼の涙に濡れた頬を照らしている。
中学生の蒼太「誰も、僕を助けてくれない……だったら、自分で解決するしかない」
蒼太は夜通しプログラミング技術を駆使して、いじめっ子たちの問題行動を学校に報告。
翌日、いじめは止んだ。
中学生の蒼太(技術があれば、僕も身を守れる。これが僕の力なんだ)
【回想終了】
〇屋上、現在
蒼太「僕は……技術でしか、人と繋がることができなかった。ありのままの僕は、誰からも愛されないんだと……」
俯きながら、声を絞り出すように話す蒼太。
蒼太「でも、椿さんは違った。僕が何もできない惨めな時でも、優しくしてくれた」
椿の目に涙が浮かび、思わず蒼太の手に自分の両手をそっと重ねる。
椿「先輩……そんなに辛い思いを……」
声が震えている椿。
蒼太が驚いて顔を上げると、椿の温かい手が自分の手を包んでいる。
蒼太「椿さん……」
驚きと感動で、声が上ずる蒼太。
椿「先輩は一人じゃありません。私がいます」
真っ直ぐ蒼太を見つめる椿。
蒼太の目が潤む。
蒼太「あの雨の日、あなたは、技術も何もない僕を救ってくれた」
※第1話の、1年前の雨の日のシーンが、二人の脳裏に浮かぶ。
蒼太「だから……僕は、椿さんを守りたい。椿さんの笑顔のためなら、何でもします」
椿の手を両手で包み返す蒼太。その手は温かいが、少し力が強い。
椿「先輩……」
ドキドキしながら、蒼太を見上げる椿。
蒼太「椿さん……僕は、あなたに出会えて……」
その時、椿のスマホにメッセージの着信音。画面には『影山蒼太』の文字。
椿「あれ? 先輩、今目の前にいるのに……」
困惑してスマホを見る椿。
メッセージ内容:『椿さんといると、世界が輝いて見えます。あなたは僕の希望です。ずっと、ずっと一緒にいてください』
蒼太「あ、それは……予約送信機能で、さっき送ったものです」
慌てながら、頬を赤らめる蒼太。
蒼太「気持ちを整理してから、送ろうと思って……だけど、直接言えて良かったです」
椿「そうだったんですか……」
椿(さっき送った……? 着信の時間は、今なのに?)
小さな疑問を覚えながらも、蒼太の照れた様子に心が揺れる椿。
椿「素敵なメッセージですね。『僕の希望』だなんて……」
蒼太の表情が、パッと明るくなる。
蒼太「本当に……椿さんは僕の希望です。椿さんなしでは、僕は……」
そこまで言いかけて、蒼太は言葉を切る。
椿「先輩?」
蒼太「いえ……何でもありません」
しかし、その目には深い感情が渦巻いていた。
涼真「椿!」
涼真が、肩で息をしながら屋上に現れる。二人の手が重なった親密な雰囲気を目にして、表情が強張る。
椿「涼真!」
慌てて手を離す椿。
涼真「影山先輩もいらっしゃったんですね」
爽やかに振る舞うが、蒼太への視線は鋭い。
涼真「影山先輩。椿と、何を?」
蒼太「涼真くん……僕の過去を、話していました」
涼真の表情が険しくなる。
涼真「なあ、椿。ちょっと話があるんだけど」
椿「何?」
涼真「二人だけで……いいですよね?」
蒼太を見つめながら話す涼真。蒼太の表情が一瞬険しくなるが、すぐに穏やかな笑みに戻る。
蒼太「それでは、僕はこれで失礼します。椿さん、また明日」
去り際、蒼太が椿の手首をそっと掴む。その力は優しいけれど、強い。
椿「先輩……」
ドキッとする椿。
蒼太「一人で帰るときは、気をつけてくださいね」
その言葉には、どこか切なさが込められていた。
椿(先輩の手……離したくなさそう)
名残惜しく感じながら、椿から手を離して去っていく蒼太。
〇屋上、蒼太が去った後
涼真と二人きりになる椿。
涼真「椿……影山先輩のこと、どう思ってる?」
椿「優しい人だよ。私のことを、いつも気にかけてくれて。それに、あんな辛い過去があったなんて……」
涼真「それが心配なんだ」
椿が振り返る。涼真の表情は、真剣そのもの。
涼真「先輩が椿を見る目……やっぱり普通じゃない」
椿「どういうこと?」
椿(確かに、先輩の愛情は深いけど……それは辛い過去があるからじゃ?)
涼真「この前、先輩と話したんだ。中庭で」
椿「え?」
──以前、廊下の窓から見た光景が、椿の脳裏に蘇った。(※第2話ラスト)
蒼太と涼真が向かい合い、涼真の表情が強張っていた、あの日の夕暮れ。
涼真「先輩、椿の好きなもの全部知ってた。俺も知らないような、細かいことまで」
椿「それは……」
椿(確かに……先輩は、私のことをよく知りすぎている)
涼真「『彼女を一番理解してるのは、これから僕になる』って言われた。あの時の、先輩の目……」
涼真が言葉を切る。
涼真「あれは、普通の恋愛感情じゃなかった。もっと、深くて……重い」
椿の心に、小さな疑問の種が芽生える。
椿「でも、先輩の過去を知った今……彼を疑うなんて」
涼真「疑えって言っているんじゃない。俺はただ、気をつけてほしいんだ」
涼真が、スマホを取り出す。
涼真「俺のスマホ……最近、椿に連絡しようとすると、なぜか圏外になることが多いんだ」
椿「え?」
涼真「昨日も、今日も。椿と連絡を取りたい時間帯が、ピンポイントで圏外になる」
椿「それって……偶然じゃ?」
涼真「偶然にしては、頻度が高すぎる」
椿(言われてみれば、最近涼真からの連絡が少なくなっているかも)
涼真「俺は、影山先輩が悪い人だとは思わない。だけど……念のため気をつけて」
言葉を濁す涼真。
涼真「あの人、椿への愛が深すぎて、普通じゃない可能性があるから」
椿の心が、大きく揺れる。
〇帰り道、夜
街灯に照らされた道を、椿が一人で歩いている。
椿(先輩の過去……あんなに辛い思いをしていたなんて)
椿(今まで誰にも理解されずに、たった一人で戦ってきたんだ)
蒼太の手を包みこんだ時の温かさを思い出し、胸がキュンとする椿。
椿(だけど、涼真の言葉も引っかかる。完璧すぎるタイミング、私のことを知りすぎていること……)
コツ、コツ、コツ。
後ろから、規則正しい足音が聞こえる。まるで自分の歩幅とぴったり合っているように。
椿が振り返ると、街灯の光に長い影が映っている。
椿「……?」
立ち止まって後ろを凝視する椿。しかし、人影は素早く街角に消えてしまう。
椿(今、誰かいた? 気のせいかな)
椿が歩き始めると、また足音が聞こえる。今度は、はっきりと。
椿(誰かに……つけられてる?)
心臓がドキドキと鳴り始める。急ぎ足で歩くと、後ろの足音も速くなる。
椿(やだ。怖い、怖い……どうしよう)
その時、前方から蒼太が現れた。
蒼太「椿さん!」
息を切らせながら、椿に駆け寄る蒼太。
椿「せん……ぱい……」
声が震え、言葉にならない。
蒼太「大丈夫ですか?」
椿「先輩、どうしてここに?」
蒼太「君のことが心配で……この辺り、最近物騒だから」
蒼太が椿の後ろを見やると、人影はすでに消えている。
椿「あれ?」
蒼太「……? 誰かいましたか?」
椿「……わからない。だけど、確かに足音が……」
蒼太「それは心配ですね」
蒼太が、ぽんと優しく椿の肩に手を置く。
蒼太「もう大丈夫です。僕がいますから」
蒼太の温もりに、張りつめていた緊張が解けていく椿。
椿「ありがとうございます……先輩がいてくれて、良かった」
蒼太の腕に、そっと手を添える椿。
蒼太「家まで送らせてください」
椿「はい……お願いします」
二人並んで歩きながら、椿は複雑な気持ちでいた。
椿(先輩が、私を守ってくれた。でも……どうして私がここにいるって分かったんだろう?)
〇椿の家の前
蒼太「無事にお送りできて良かったです」
椿「今日は本当に、ありがとうございました」
椿、何かを決意したような顔で。
椿「あの、先輩。どうして私があの道にいるって……」
蒼太の表情がわずかに緊張する。
蒼太「椿さんがいつも使われる帰り道だから、心配になって。前に一度、家までお送りしたことがあったでしょう?」
椿「あ……」
蒼太に言われ、雨の日に彼に送ってもらったことを思い出す椿。(※第1話)
椿「私の帰り道……覚えていてくれたんですね」
蒼太「はい。僕、記憶力はいいんです」※ニコッと
蒼太「それに、もし椿さんに何かあったら、僕は……」
言いかけて止まる蒼太。その表情には、深い愛情と不安が混在している。
椿「先輩?」
蒼太「いえ、何でもありません。おやすみなさい」
蒼太が去っていく後ろ姿を見つめながら、椿は疑問を抱えたまま家に入る。
〇椿の部屋、夜
部屋で一人、今日の出来事を振り返る椿。
椿(先輩の過去を聞いて、胸が痛くなった。あんなに辛い思いをしてきたなんて……)
スマホを見ると、蒼太からメッセージが届いている。
メッセージ『今日は僕の話を聞いてくれて、ありがとうございました。椿さんのお陰で、心が軽くなりました』
椿「先輩……」
スマホを胸に抱く椿。
椿(先輩は私を守ってくれる。だけど、涼真の言葉も気になる)
窓際に近づき、カーテンを閉めようとする椿。
夜空を見上げると──遠くに、小さな光が見えたような気がした。
椿「……?」
目を凝らすが、もう何も見えない。
椿(気のせい……だよね)
カーテンを閉める椿。
椿(先輩の愛情は、きっと本物。でも……)
ベッドに座り、天井を見つめる。
椿(この完璧すぎる守り方。いつも私のことを知っていること。本当に……偶然なのかな)
スマホの画面を見つめる椿。
蒼太からのメッセージと、涼真の『気をつけて』という言葉。
椿の心は、大きく揺れ動いていた。
椿(私、先輩のこと、好きになりかけてる。でも、この気持ちは……信じていいの?)
〇同時刻、蒼太の部屋
窓の外を見つめる蒼太。遠くに、椿の部屋の明かりが見える。
蒼太「椿さんを守れて良かった……」
机の上には、痴漢や空き巣など、地域の安全情報を表示したパソコン。
蒼太(これからはもっと、注意深く彼女を見守っていかないと)
スマホを手に取る蒼太。画面には、椿とのメッセージ履歴。
蒼太「明日も、椿さんが笑顔でいられるよう……」
窓の外の夜空を見上げる蒼太。その目には、椿への深い愛と──ほんの少しの、危うさが宿っていた。
蒼太(技術は、人を傷つけるためのものじゃない。大切な人を守るためのもの)
ノートを開く蒼太。そこには、椿の一日のスケジュールが几帳面に記されている。
蒼太「椿さんが安心して過ごせる世界を……僕が作ってあげたい」
蒼太がページをめくると、そこには──椿の写真と、細かなメモがびっしりと書き込まれていた。



