〇月曜の朝、通学路

黄色く色づき始めたイチョウ並木の下を、椿が一人で歩いている。

椿(昨夜、窓の外に見えた人影……気のせいだよね)
頭を振って、考えを払う椿。

実咲「椿ちゃん!」
明るい声とともに、実咲が駆け寄ってくる。

実咲「おはよう! 昨日の先輩とのデート、どうだった?」

ワクワクした表情で尋ねる実咲。

椿「とても楽しかった……先輩、すごく優しくて」

頬をほんのり染めながら、自然と笑みがこぼれる椿。昨日の猫カフェでの時間を思い出す。
蒼太の温かい笑顔、猫を愛でる優しい手、自分を見つめる真剣な瞳。

実咲「顔が輝いてるよ! もしかして、恋?」
椿の頬を人差し指でつつく実咲。

椿「恋って……まだよく分からないけど、先輩といると心がポカポカするの」
困ったような、でも嬉しそうな表情の椿。

実咲「椿ちゃんのそんな表情、初めて見る! やっぱり恋よ」
椿「そうかな……けど、先輩、いつも私のことを知っているのが不思議で」

椿の表情が、ほんの少し曇る。

実咲「え? どういうこと?」
首をかしげる実咲。

椿「私が疲れている時に、いつも現れたり……それに、昨日の猫カフェの子、あまりにも昔飼っていたミルクに似すぎてて」
実咲「それは、先輩が椿ちゃんのことを真剣に見てくれてるからでしょ? 素敵じゃない」
椿「それは、そうかも。でも……」
椿(どうしてあの時、電波が悪くなったんだろう? 涼真からの電話、タイミングが悪すぎる)

椿「なんとなく引っかかることが多くて。気にしすぎかもしれないけど」
実咲「考えすぎだよ。先輩、椿ちゃんのことそれだけ本気で好きなんだと思う」


〇放課後、生徒会室

机には、文化祭準備の資料が山積み。付箋だらけの企画書、予算表、業者リストが散乱している。

夕日が窓から差し込み、椿の疲れた顔を照らしている。
椿が一人、几帳面に資料を整理していると、スマホに蒼太からメッセージが届く。

メッセージ『お疲れさまです。今日も遅くまで頑張っていらっしゃいますね。体調は大丈夫ですか? 無理しすぎないでくださいね』

椿(わざわざ、気にかけてくれるなんて……でも、どうして私がここにいるって分かるんだろう?)

そっと窓の外を見上げる椿。校舎の向かいに、3年生の教室がある。しかし、もう生徒の姿は見えない。

――コンコン。

ドアを叩く音がし、蒼太が小さな包みを持って入ってくる。

蒼太「椿さん、お疲れ様です。これ、良かったらどうぞ」
穏やかに微笑みながら、小さな包みを差し出す蒼太。

椿「先輩! えっと……何ですか、これ?」
驚きと興味深そうな表情を浮かべる椿。

蒼太「差し入れです。……あ、お菓子じゃなくて、音楽データですが」

椿が包みを開けると、中にはUSBメモリと手書きのメッセージカードが入っている。

カードには丁寧な文字で『椿さんへ。雨の日の音楽プレイリスト。疲れたとき、心が落ち着かないときに、ぜひ聴いてください。S』

椿「音楽のプレイリスト……」
カードを読みながら、胸が高鳴る椿。そっと、そのカードを制服のポケットにしまう。

蒼太「心への栄養というか、椿さんが疲れたときに、聴いてもらえればと思って」

椿(手書きのカード、嬉しい。しかも、私が好きな雨の日の音楽……)

蒼太「大丈夫ですか? 少し疲れているように見えますが……」

心配そうに、椿の顔を覗き込むように近づく蒼太。彼の顔がすぐ近くにあり、椿の心臓がドキッとする。

椿「お気遣いありがとうございます。でも……どうして私が、雨の日の音楽が好きだって分かったんですか?」

困惑しつつも、嬉しそうな表情の椿。

蒼太「あ、えっと……この前、音楽室で『雨だれ』を練習されていたので、雨の音が好きなのかなと思って」
少し慌てて答える蒼太。

椿「そうだったんですね……ありがとうございます」

USBを大切そうに握りしめる椿。

蒼太「椿さんの頑張る姿、とても素敵です。でも、無理はしないでくださいね」

椿の頬が、ほんのり赤く染まる。

蒼太「椿さんが笑顔でいてくれることが、僕にとって何よりも大切ですから」
椿「はい……こんなに素敵なプレゼント、ありがとうございます」

椿(先輩の言葉に、心が温かくなる。だけど、この完璧すぎるタイミング……偶然が重なりすぎてない?)

疑問に思いながらも、蒼太の穏やかな眼差しに微笑む椿。


〇翌日の昼休み、生徒会室

椿が資料を整理していると、突然ドアが勢いよく開かれる。

生徒会メンバーA「藤堂さん、大変! テント設営業者から連絡が来なくて!」

息を切らしながら駆け込んでくる、女子生徒。
椿の手が止まり、整理していた資料を危うく落としそうになる。

椿「え?」
青ざめた顔で振り返る椿。

生徒会メンバーB「前金で5万円も払ったのに、今朝から全然連絡が取れないんです」
椿「そんな……」
椿の顔から、血の気がサッと引いていく。資料を持つ手がわずかに震える。

椿「どうしよう。5万円って……私が選んだ業者なのに」
呟くように言う椿。

生徒会メンバーC「副会長が選んだ業者だから、責任はあるけど……誰も責めたりしないよ」
生徒会メンバーA「だけど、このままじゃ、文化祭のテント設営ができない……どうしよう」

生徒会メンバーたちの視線が椿に集中するが、責めるような目ではなく、心配そうな表情。
椿は立ち上がり、震える拳を握りしめる。

椿「……必ず、何とかします。私が責任を持ちます」
椿(みんなは優しいけど、これは私の責任。副会長として、絶対に解決しなくちゃ)

部屋に、重苦しい空気が流れる。


〇放課後、生徒会室

時計の針が、20時を指している。夜の静寂に包まれた生徒会室で、椿がたった一人、代替業者を探し続けている。

机には資料の山、電話帳、空になったペットボトルが散乱。椿の目は、疲労で少し充血している。

椿「10社目もダメ……でも、ここで諦めちゃいけない」

目をこすりながら、電話帳をめくる椿。

椿「すみません、急な依頼で申し訳ないのですが……はい……そうですか……分かりました」

電話を切って、深くため息。電話を切るたび、椿の肩が少し落ち込むが、すぐに次の業者の番号をダイヤルする。

実咲が心配そうに、生徒会室のドアをノックする。

実咲「椿ちゃん、今日はもう帰ろう。疲れてるでしょ?」
ドア越しに心配そうな声。

椿「まだダメ……もう少し頑張る」
実咲「でも……」
椿「実咲は先に帰って。私なら、大丈夫だから」
無理に笑顔を作る椿。

実咲が心配そうに去ったあと、椿は再び電話を手に取る。
椿「もしもし……」
椿(こういうとき、お父さんだったら『最後まで責任を取れ』って言うはず。一人は辛いけど、やらなきゃ)


〇蒼太の部屋、夜10時

蒼太がスマホで、学校のSNSアカウントをチェックしている。
画面に『生徒会、業者トラブルで困ってます。誰か情報ください』という投稿を発見。

蒼太「えっ!?」※目を見開く
すぐに、実咲に電話をかける蒼太。

実咲『影山先輩? どうしたんですか?』
蒼太「SNSを見て……椿さんは……今、大丈夫ですか?」
実咲『それが、まだ学校で一人で頑張ってて……代替業者が見つからないみたいで』

電話を切った蒼太の表情が一変する。

蒼太「椿さん、一人で抱え込んで……」

拳を強く握りしめる蒼太。

蒼太(椿さんを、一人にしておけない。彼女のために、僕ができることは……)

蒼太はパソコンで複数のサイトを同時に開き、情報収集を開始する。指は休むことなく、キーボードを叩き続ける。

時間が経つにつれ、蒼太の目元には隈ができ、机の上にはエナジードリンクの空き缶がいくつも転がる。

蒼太「椿さんのためなら……」

深夜3時まで、ネット上の情報を解析し続けた蒼太。業者情報、代金回収の方法を完璧にまとめ上げた。

蒼太「よし。これで、椿さんを救える……!」
疲労の表情の中に、深い満足感を浮かべる蒼太。

蒼太(椿さんを守りたい。僕の技術で、椿さんを笑顔にしたい)


〇翌朝、椿の部屋

スマホの着信音で、目を覚ます椿。昨夜は生徒会室で限界まで頑張り、深夜に帰宅して制服のままベッドで眠ってしまっていた。

寝起きの椿の髪は乱れ、制服もしわだらけ。目は腫れぼったく、疲労の跡がくっきりと残っている。

椿「今、何時だろう……」

椿の生徒会共有メールアドレスに、差出人『生徒会OB』からのメールが届いている。送信時刻は午前3時15分。

件名『テント業者の件について』
内容『生徒会の皆さん、お疲れさまです。業者トラブルの件、SNSで拝見しました。私は数年前の生徒会OBで、現在教育関係の仕事をしています。信頼できる業者の情報をお送りします。きっと解決できます。頑張ってください。』

添付ファイルには、丁寧にまとめられた業者情報と手続きの詳細資料。

椿「すごい……こんなに詳しい情報。でも……」

椿(送信時刻が午前3時って……普通の人が、起きてる時間じゃない。それに、この文章の丁寧さ……どこかで見たような)

半信半疑で、リストの最初の業者に電話をかける椿。

椿「もしもし、テント設営の件で急なお願いなのですが……はい……本当ですか!? ありがとうございます!」

電話を切った椿の表情が、曇り空から晴天のように明るくなる。しかし、喜びと同時に疑問も湧き上がる。

椿「やった! 何とかなりそう……でも」

椿(この完璧すぎる情報……まるで、私の状況を全部知っている人からみたい。それに、この文章……影山先輩の文章に似てる気がする)


〇昼休み、生徒会室

生徒会メンバーたちが、椿を囲んでいる。

生徒会メンバーA「藤堂さん、あれからどうなりました?」
椿「みんな、心配かけてごめん。でも、何とか解決しそう」

椿がメンバーに報告する。皆の表情が安堵に変わっていく。

生徒会メンバーA「すごいじゃない! どうやって、こんな短時間で?」
椿「実は……『生徒会OB』という方からの情報で」
生徒会メンバーB「生徒会OB? 誰だろう……」
椿「詳しく調べてみたけど、全部本物の情報でした。だけど……」

椿(誰がこんなに詳しい情報を? それも、たった一晩で。それに、生徒会の共有アドレスを知っている人は……)

実咲「きっと、椿ちゃんの味方がいるのよ!」
椿「そうかもね……」

口角を上げるも、椿の表情には小さな疑問が残る。

椿(送信時刻が午前3時って、やっぱりおかしい。それに、あの丁寧な文章……先輩のメッセージやカードの文章と、書き方がすごく似ている)


〇廊下

椿が生徒会室を出ると、廊下で涼真とすれ違う。

涼真「椿」
椿「涼真! お疲れさま」
涼真「業者トラブルの件、大変だったな。解決したって聞いたよ」
椿「うん……何とかなりそう」
涼真「良かったな」
涼真が優しい眼差しで、椿の頭をぽんぽんとなでる。
涼真「お疲れ。今夜は、ゆっくり休めよ」
椿「……うん」

微笑みながら、涼真の背中を見送る椿。


〇放課後、屋上

夕日が校舎を美しく染めている。椿が手すりにもたれて、複雑な表情を浮かべている。

椿「業者の件、何とかなって良かった……だけど、なんかモヤモヤする」

そこに、蒼太がそっと現れる。夕日を背負ったシルエットが、椿の影と重なり合う。

蒼太「椿さん、問題が解決したと聞きました」
椿「あ、先輩」

振り返って微笑むが、表情には疑問が残っている。

蒼太「さすがです。本当によく頑張りましたね」
椿は蒼太の言葉に心を打たれる一方で、心の中でためらっていた。

椿「ありがとうございます。あの……私、先輩に聞きたいことがあるんです」

蒼太の表情が、一瞬こわばる。

椿「先輩って、どうしていつも私が困ってるときのことをご存知なんですか? まるで、いつも私のことを見てくれているみたい」

椿(勇気を出して、聞いてみよう。もしかしたら、考えすぎかもしれないし)

蒼太「それは……学校は狭いですから。それに、学校のSNSにも載ってましたし」
慌てて、視線を逸らす蒼太。

椿「本当に? それだけですか?」

椿がじっと蒼太を見つめる。

椿「実は、匿名の方からメールが届いたんです。午前3時に」

蒼太の顔がわずかに青ざめる。

椿「その文章が……先輩の書く文章にすごく似てて。丁寧で、優しくて。まさかとは思うんですが……」
椿(もし先輩だったら、嬉しい反面、どうして正直に言ってくれないのか分からない)

蒼太は一瞬動揺するが、意を決したように椿を見つめる。

蒼太「椿さん……」
一歩、椿に近づく蒼太。

蒼太「あなたが僕にとって、とても大切な人だから……つい気にかけてしまうんです」
椿「大切な人……」
蒼太「僕には、人を愛するということがどういうことか、よく分からなかった時期があるんです」
椿「え?」
蒼太「ですが、椿さんに出会って……初めて『この人を守りたい』『この人のためなら何でもしたい』と思えたんです」

椿の心が激しく高鳴る。しかし同時に、今日の匿名メールや、これまでの様々な疑問も頭をよぎる。

椿(嬉しい気持ちと、不安な気持ちが混ざっている。先輩の想いは伝わるけど……何か隠してない?)

蒼太「椿さん」
真剣な眼差しで、椿を見つめる蒼太。

椿「はい……」
ドキドキしつつも、混乱している椿。

蒼太の手が、椿の肩にそっと触れる。温かい手の感触に、椿の息が止まる。

蒼太「僕の過去の話を……聞いてくれますか?」

椿(過去の話……先輩が全部話してくれるなら、私の疑問も晴れるかもしれない)

椿「はい……先輩のお話、聞かせてください」

蒼太の手が、椿の頬にそっと触れる。

蒼太「全部話したら……椿さんは僕を怖いと思うかもしれません」

その目に、不安と切なさが宿っている。

椿「怖い……って?」

椿の心臓が大きく跳ねる。

蒼太「僕の愛し方は……普通じゃないかもしれないから」

その言葉に、椿の背筋に冷たいものが走る。

しかし同時に、蒼太の切ない表情に心が揺れる。

椿「先輩……」
蒼太「それでも……聞いてくれますか?」

夕日が二人を赤く染める中、椿は蒼太の深い視線に吸い込まれそうになる。

椿(先輩の目……今まで見たことのない、深い色)

椿「……はい。聞かせてください」

蒼太の表情が、わずかに和らぐ。

蒼太「ありがとう、椿さん」

その声は、安堵と──ほんの少しの、危うさを含んでいた。