〇自宅、椿の部屋(夜)

月明かりが差し込む部屋で、椿がベッドに座りスマホを見つめている。

画面には、昨日届いた謎のメッセージ。

『今日も、とても素敵でした』

椿「この送り主、結局分からないまま……いったい、誰なんだろう」

指でスクロールすると、その下に蒼太からの新しいメッセージが表示される。

蒼太『明日も、良い一日になりますように』

椿(先輩、本当に優しい……)

二つのメッセージを見比べる椿。胸の中で、温かさと小さな違和感が混ざり合っていた。

椿(この謎のメッセージ……なんだか、影山先輩の文体に似ている気も……気のせいかな?)

頭を振って、考えを払う椿。

椿(考えすぎだよね。先輩みたいに紳士的な人が、変なことするはずない)

スマホを胸に抱きしめ、椅子に座って宿題のテキストを開くが、シャーペンは止まりがち。

椿の脳裏に、昨日の雨の中で蒼太に体を引き寄せられた瞬間がよみがえる。
あの温かい手の感触、間近で見た横顔。

椿(また先輩に会えるかな……)

自然と笑みが浮かぶ椿。


〇翌朝、学校への道

椿が一人で登校していると、後ろから声がかかる。

涼真「椿! おはよう」

振り返ると、幼なじみの篠原(しのはら)涼真(りょうま)が爽やかな笑顔で手を振っていた。
椿より少し背が高く、スポーツ刈りのサッカー少年。

椿「涼真、おはよう」
涼真「今日も早いね。生徒会の仕事?」
椿「うん。文化祭の準備があって」
涼真「相変わらず、椿は頑張り屋さんだな」

涼真が椿の頭を軽くポンと叩く。幼なじみならではの、自然なスキンシップ。

椿「もう、子供扱いしないでよ」
涼真「ははっ、悪い悪い」

歩きながら、涼真がふと椿を見る。

涼真「でもさ、椿……なんか最近、雰囲気変わった?」
椿「え?」
涼真「なんていうか……良いことでもあった?」

椿の頬が、ほんのりと赤らむ。

椿「そ、そんなことないよ」
涼真「嘘つけ! 顔に出てるって」

涼真の鋭い指摘に、椿は慌てて視線を逸らす。

椿(涼真は、昔から何でもお見通し。幼なじみって、こういうものだよね)


〇校門前、朝

椿が生徒会の挨拶運動をしている。清々しい朝の空気の中、生徒たちに笑顔で声をかけていた。

椿「おはようございます!」
実咲「椿ちゃん、おはよう!」
椿「実咲、おはよう。今日も頑張ろうね」

椿(先輩、今日も来るかな……?)

椿が視線を動かしたその時、通学路の向こうから蒼太が歩いてくる。椿と目が合った瞬間、蒼太の表情がパッと明るくなった。

蒼太「椿さん、おはようございます」
椿「影山先輩! おはようございます」

椿の心臓が大きく跳ねる。

蒼太「今日も、お元気そうで良かったです」
椿「はい。先輩も……」

蒼太の柔らかな笑顔に、椿は思わず見とれてしまう。

ニヤニヤ顔の実咲が、椿の袖をこっそり引っ張る。
実咲(椿ちゃん、完全に恋してる顔だわ!)

蒼太「それでは、また後で」
去っていく蒼太の背中を、椿は名残惜しそうに見つめていた。


〇昼休み、生徒会室

椿が文化祭の準備資料に囲まれ、肩を回している。

椿「はぁ……思ったより大変」
実咲「椿ちゃん、完全にお疲れモードね」
椿「ふう……なんか、甘いものでも飲みたいな」
実咲「購買、行く?」
椿「ううん、大丈夫。もう少し頑張るよ」

実咲が席を外した数分後、ドアがノックされる。

蒼太「失礼します」
椿「影山先輩!」

椿の表情がパッと明るくなる。蒼太の手には、温かい抹茶ラテのペットボトルが握られていた。

蒼太「お疲れさまです。文化祭の準備、大変そうでしたので」
椿「え、うそ。抹茶ラテ……!」

驚きと嬉しさが入り混じった表情の椿。

椿(ちょうど、甘いものが飲みたいって思っていたところに……)

蒼太「よろしければ、どうぞ」
椿「ありがとうございます。私、抹茶ラテ好きなんです」
蒼太「ええ、知っています」
椿「え?」
蒼太「あ……以前、椿さんが購買で買っているところを見かけたことがあって」

にこやかに答える蒼太。

椿「そうなんですか」
椿(先輩、私のことよく見てくれてるんだな)

蒼太「椿さんの頑張る姿、とても素敵です。でも、無理はしないでくださいね」
椿「はい。ありがとうございます」

抹茶ラテを口にして、ほっと息をつく椿。
椿「美味しい……」

蒼太はその様子を、優しい眼差しで見つめている。

蒼太「椿さんが笑ってくれると、僕も嬉しいです」
椿「先輩……」

頬が熱くなる椿。

蒼太「あの、もしお時間があれば……放課後、音楽室で一緒にピアノを弾きませんか?」
椿「ピアノ……ですか?」
蒼太「ええ。椿さんが文化祭で伴奏をされると聞いて。微力ながら、練習のお手伝いができれば、と」
椿(え……先輩、私が文化祭で伴奏すること、どうして知ってるんだろう?)

一瞬の戸惑いを感じる椿だが、蒼太の温かな笑顔を見て、その疑問は消えていく。

椿「はい。ぜひお願いします」


〇放課後、音楽室

夕日が差し込む音楽室で、椿が一人ピアノに向かっている。楽譜は『雨だれ』

椿「うーん。この部分、難しいな……」

途中で手が止まり、深いため息をつく椿。
その時、ドアが静かにノックされる。

蒼太「失礼します」
椿「影山先輩!」

蒼太がゆっくりと椿に近づく。

蒼太「『雨だれ』ですね。ショパンの……僕の好きな曲です」
椿「えっ! この曲、先輩もお好きなんですか?」
蒼太「はい。特に椿さんが弾くと、心が安らぎます」

その言葉に、椿の心臓が跳ねる。

蒼太「よろしければ、一緒に弾きませんか?」
椿「でも……私、まだ下手で……」
蒼太「そんなことありません。椿さんの音楽は、温かくて美しい」

蒼太がピアノベンチに座る。二人の距離が、ぐっと縮まった。

椿(ち、近い……)
蒼太「この部分は……こう」
蒼太の長い指が、椿の手を包むように導く。
椿「あ……」
手の温かさ、大きさ。確かな存在感。

蒼太「ここは、もう少し優しく……」
低く響く声が耳元で。蒼太の吐息が首筋にかかり、椿の心臓が激しく跳ねる。

椿「はっ、はい……」
椿(先輩の手、大きくて温かい。この距離……先輩の良い香りがする……)

蒼太「緊張してますか?」
椿「ちょっと……だけ」
蒼太「僕も、です」
椿「え?」

椿が顔を上げると、蒼太の頬がほんのり赤らんでいた。

蒼太「椿さんがこんなに近くにいると……僕も、ドキドキして」

蒼太の率直な告白に、椿の胸が温かくなる。

椿(先輩も、同じ気持ちなんだ……)

二人で連弾を始める。美しいハーモニーが音楽室に響き渡った。
椿の繊細な音色と、蒼太の確かな技術が見事に調和する。

椿「わあ、初めてこんなに綺麗に弾けました! 先輩、とてもお上手ですね」
蒼太「椿さんの演奏が、素晴らしいからです」

蒼太の深い視線が椿を見つめる。

蒼太「僕、椿さんにだけは……特別でいたいんです」
椿「先輩……」

二人の顔が、自然と近づいていく。夕日が差し込む音楽室に、ロマンチックな空気が流れる。

その時、けたたましいチャイムが鳴り響いた。最終下校を告げる無情な音が、音楽室の美しいハーモニーを、あっけなく打ち破る。

椿「あ……」

ハッと我に返る二人。

蒼太「すみません……つい」
椿「いえ……私こそ」

顔を赤らめる椿。

蒼太「それでは、また明日」
椿「はい……今日は、ありがとうございました」

去っていく蒼太の背中を、椿は胸を押さえながら見つめる。

椿(今の……もう少しで、キスしちゃうところだった……)


〇帰り道

校門を出た椿が、ふわふわとした足取りで歩いている。

涼真「椿!」
後ろから涼真が追いかけてくる。

涼真「お疲れ。部活、遅くなっちゃった」
椿「涼真! お疲れさま」
椿(涼真を見ると、なんかホッとする)

涼真「椿、またなんか嬉しそうだな」
椿「え? そう?」
涼真「ああ。椿、分かりやすいから。何かあった?」

椿の頬が赤らむ。

椿「別に……何も」
しかし、隠しきれない笑顔。

涼真「ははっ、ぜったい嘘だな」

街路樹の金木犀が甘い香りを漂わせる中、涼真は椿の髪についた小さな花びらをそっと取ってあげる。

涼真「はい、金木犀がついてたよ」
椿「ありがとう。いい香りだね」
涼真「そうだな」

しばらく並んで歩く二人。

涼真「……なあ、椿」
椿「ん?」
涼真「最近、影山先輩とよく一緒にいるよな」
椿「うん。先輩、すごく優しくて……」

椿の表情が、自然と柔らかくなる。

涼真「そっか。椿が楽しそうなら、いいんだけど」
椿「どうしたの? 急に」
涼真「いや……影山先輩って、なんか椿のこと、すごく真剣に見てるなって」
椿「見てる?」
涼真「うん。なんていうか……視線が、深いっていうか」

椿の足が、わずかに止まる。

椿(視線が深い……?)

涼真「別に、悪い意味じゃないんだ。ただ……もし何かあったら、俺に相談してな」
椿「うん。ありがとう、涼真」
椿(涼真は、いつも私を心配してくれる。本当に、いい幼なじみだ)


〇蒼太の部屋、夜

蒼太が机に向かい、ノートに丁寧に文字を綴っている。

***

『椿さん観察日記 367日目』

今日、彼女が笑ってくれた回数 : 12回
特に嬉しそうだった瞬間:ピアノを一緒に弾いたとき
手が触れた時間 : 4分23秒
二人の距離が最も近づいた瞬間 : 17時42分(あと少しで……)

***

蒼太(もっと、椿さんを笑顔にしたい)

ノートには、椿の好きな曲、好きな食べ物、よく使う言葉まで、細かく記録されている。

別のページを開くと、椿の一日のスケジュールが分刻みで書かれていた。

【7:44 登校
12:20 昼休み(生徒会室)
16:30 音楽室で練習】

蒼太「そうだ。明日は……椿さんの好きな花を用意しよう」

スマホで、花言葉を検索する蒼太。画面には『ガーベラ:希望、前向き』の文字。

蒼太(うん、椿さんにぴったりだ)

窓の外の月を見上げる蒼太。

蒼太「椿さん……君が僕だけを見てくれるようになるまで、絶対に諦めないから」

蒼太の目に、深い愛情と静かな決意が宿る。

蒼太「明日は、もっと彼女との距離を縮めよう。椿さんが、僕の優しさなしでは、笑えなくなるくらいに……」

そっと、椿のスケジュールが書かれたページを撫でる蒼太。


〇翌朝、音楽室

椿が音楽室に入ると、ピアノの上にオレンジ色のガーベラの花束と、小さなメモが置かれている。

メモ『昨日の連弾、すごく楽しかったです。椿さんと、もっと一緒に音楽を奏でたい。S』

椿「先輩からだ……!」

嬉しそうに花を手に取る椿。

椿(ガーベラ、私の好きな花……でも、先輩にそんな話したっけ?)

小さな疑問が、椿の頭をよぎる。
その時、背後から静かな足音が聞こえる。

蒼太「椿さん、おはようございます」
椿「先輩! おはようございます。お花、ありがとうございます」
蒼太「気に入っていただけましたか?」
椿「はい、とても。でも……どうして私がガーベラが好きだって?」

蒼太の表情が、一瞬だけ固まる。

蒼太「それは……椿さんのイメージに合うと思ったので」

すぐに笑顔に戻る蒼太。

蒼太「前向きで、希望に満ちた椿さんには、ガーベラがぴったりだと」
椿「そう……なんですか」
椿(確かに、そう言われれば……)

蒼太「今日も、良い一日になりますように」

優しく微笑む蒼太。その笑顔に、椿の疑問は溶けていく。

椿「はい。先輩も」

蒼太が音楽室を出ていく。
椿は花を見つめながら、胸に手を当てる。

椿(先輩、本当に優しい。だけど……)

ふと、以前スマホに届いた謎のメッセージのことを思い出す。

椿(この花束も、あのメッセージも……まさか)

頭を振る椿。

椿(考えすぎだよね。先輩がそんなことするはずない)


〇学校の廊下

音楽室を出て、廊下を歩く椿。窓から中庭を見ると──
蒼太と涼真が、向かい合って話している。

涼真の表情が、みるみる強張っていく。何か、真剣な話をしているようだった。

椿「先輩と涼真が……? なんで……」

その時、蒼太がゆっくりと振り返る。窓越しに椿と目が合った。
蒼太の目が、一瞬だけ──今まで見たことのない、深い色に染まっていた。

椿「……え?」

瞬きする間に、蒼太はいつもの優しい笑顔に戻っている。

椿(今の……何?)

椿の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。

それは、ときめきなのか。それとも──。

中庭では、涼真が険しい表情で立ち尽くしていた。