あの日から、美琴は少しずつ悠真との時間を減らしていった。
 会う予定が入っても、母や友人との約束を理由に短時間で切り上げる。
 電話やメッセージも、必要最低限のやり取りだけに留める。

 ――これは、嫌いになったからではない。
 ――むしろ、好きだからこそ。

 彼の負担になるくらいなら、そっと隣から離れたほうがいい。
 そう信じ込むことで、胸の痛みを無理やり押し込めていた。

 秋も深まり、街路樹の葉が色づき始めた頃。
 ある日曜の午後、美琴は実家の庭でバラの手入れをしていた。
 白い手袋の指先に小さな棘が触れた瞬間、胸の奥の痛みがよみがえる。
 ――あの日の言葉も、こうして心に刺さったまま抜けない。

 そこへ、母がテラスから声をかけた。
「美琴、朝倉さんからお電話よ」
 一瞬、躊躇してから手袋を外し、受話器を取る。
「もしもし」
『今、近くまで来てる。少し会えるか?』
「……今日は、これから予定があるんです」
『そうか。じゃあまた今度』
 短いやり取りのあと、通話が切れた。

 受話器を置いた瞬間、胸の奥に小さな棘がまたひとつ刺さった気がした。
 ――会いたくないわけじゃないのに。
 けれど、このまま近づきすぎれば、また“疲れる”と言われる日が来るかもしれない。

 数日後、婚約者として同席する予定だった会合にも、体調を理由に出席を辞退した。
 その連絡を入れたとき、悠真の声は少し低く、抑えられた苛立ちが混じっていた。
『……わかった』
 その短い返事が、妙に重く響いた。

 美琴は、自分の選んだ距離が正しいのか確信が持てなくなっていた。
 けれど、もう引き返す勇気もない。

 そんなある日、友人に誘われて小さなカフェでランチをしていると、ふと入口から背の高い影が差した。
 ――悠真。
 グレーのスーツに黒のコート。目が合った瞬間、彼は真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
「偶然だな」
「……ええ」
 席の隣に立つ彼からは、ほのかな香水の匂いがした。
「今日は打ち合わせの帰りだ」
「そうなんですね」
 短い会話のあと、悠真は友人に軽く会釈し、別れ際に小さく言った。
「……また連絡する」

 その言葉には、何か含みがあった。
 美琴は笑顔を返したものの、心の奥がざわつく。