籠姫エルミナが宮廷を去ってから、数日が経った。
彼女がいなくなったことで、宮中の空気は驚くほど穏やかになった。
廊下に満ちていた刺すような視線や、背後からの囁きも薄れ、私はやっと深く息が吸えるようになった。
それでも――胸の奥には、まだ小さな不安が残っていた。
陛下は、なぜあそこまで私を庇ってくれたのか。
籠姫との長い年月を断ち切ってまで、守ろうとしてくれた理由は……。
その夜、部屋で読書をしていると、扉が静かに叩かれた。
「入れ」ではなく、「入ってもよいか」と低い声が聞こえる。
「……陛下?」
私は慌てて立ち上がった。
扉を開けると、漆黒の外套を羽織ったカリス陛下が立っていた。
「夜分に失礼する。……散歩に付き合ってくれるか」
「はい」
外は冷たい夜風が吹き、庭の噴水が月明かりを反射して揺れていた。
私たちは並んで歩き、しばらく言葉もなく、足音だけが石畳に響く。
やがて、陛下が足を止めた。
「……エルミナのことを、そなたに謝らねばならぬ」
「謝る……?」
「長く宮廷に置いたのは、余の情だ。彼女が何をしようと、見て見ぬふりをしていた」
その声音は、どこか悔いる色を含んでいた。
「そなたを守ると言いながら、余は最初から、守りきれていなかった」
胸が締め付けられる。
「いいえ……私は、こうして今、生きてここにいます」
「それでも」
金の瞳が真っ直ぐに私を見た。
「そなたが傷つくのは、もう見たくない」
沈黙の中、彼は外套の内から小さな包みを取り出した。
「これは?」
「祖母が皇后だった頃、身につけていた指輪だ。……渡すべき相手を、ようやく見つけた」
月明かりに照らされた指輪は、細い銀の輪に、小さな紫の宝石が嵌められている。
それはまるで、庭に咲く野すみれの色。
「……陛下」
「これは贈り物ではない。誓いだ」
低く、確かな声。
「そなたは余の伴侶だ。形式ではなく、心から」
その言葉は、夜の静けさを破って私の胸に深く落ちた。
温かい指が、私の左手に触れ、指輪がはめられる。
「……似合う」
ほんの僅か、陛下が微笑む。
気づけば、私は涙をこぼしていた。
「……嬉しいです。私……」
言葉が続かない私を、彼はそっと抱き寄せた。
寡黙なはずの人の腕が、こんなにも温かいなんて――。
「そなたが笑うなら、それでいい」
耳元に落ちる声は、低く、柔らかかった。
その夜、月は庭を静かに照らし、すみれの花々が夜風に揺れていた。
私はもう、疑わなかった。
この人と共に歩む未来を。
彼女がいなくなったことで、宮中の空気は驚くほど穏やかになった。
廊下に満ちていた刺すような視線や、背後からの囁きも薄れ、私はやっと深く息が吸えるようになった。
それでも――胸の奥には、まだ小さな不安が残っていた。
陛下は、なぜあそこまで私を庇ってくれたのか。
籠姫との長い年月を断ち切ってまで、守ろうとしてくれた理由は……。
その夜、部屋で読書をしていると、扉が静かに叩かれた。
「入れ」ではなく、「入ってもよいか」と低い声が聞こえる。
「……陛下?」
私は慌てて立ち上がった。
扉を開けると、漆黒の外套を羽織ったカリス陛下が立っていた。
「夜分に失礼する。……散歩に付き合ってくれるか」
「はい」
外は冷たい夜風が吹き、庭の噴水が月明かりを反射して揺れていた。
私たちは並んで歩き、しばらく言葉もなく、足音だけが石畳に響く。
やがて、陛下が足を止めた。
「……エルミナのことを、そなたに謝らねばならぬ」
「謝る……?」
「長く宮廷に置いたのは、余の情だ。彼女が何をしようと、見て見ぬふりをしていた」
その声音は、どこか悔いる色を含んでいた。
「そなたを守ると言いながら、余は最初から、守りきれていなかった」
胸が締め付けられる。
「いいえ……私は、こうして今、生きてここにいます」
「それでも」
金の瞳が真っ直ぐに私を見た。
「そなたが傷つくのは、もう見たくない」
沈黙の中、彼は外套の内から小さな包みを取り出した。
「これは?」
「祖母が皇后だった頃、身につけていた指輪だ。……渡すべき相手を、ようやく見つけた」
月明かりに照らされた指輪は、細い銀の輪に、小さな紫の宝石が嵌められている。
それはまるで、庭に咲く野すみれの色。
「……陛下」
「これは贈り物ではない。誓いだ」
低く、確かな声。
「そなたは余の伴侶だ。形式ではなく、心から」
その言葉は、夜の静けさを破って私の胸に深く落ちた。
温かい指が、私の左手に触れ、指輪がはめられる。
「……似合う」
ほんの僅か、陛下が微笑む。
気づけば、私は涙をこぼしていた。
「……嬉しいです。私……」
言葉が続かない私を、彼はそっと抱き寄せた。
寡黙なはずの人の腕が、こんなにも温かいなんて――。
「そなたが笑うなら、それでいい」
耳元に落ちる声は、低く、柔らかかった。
その夜、月は庭を静かに照らし、すみれの花々が夜風に揺れていた。
私はもう、疑わなかった。
この人と共に歩む未来を。

