大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

部屋の灯りを落としたまま、嵩はベッドの端に腰掛けていた。

スーツを脱ぎ、ネクタイを外しても、胸の奥の重さだけが残っている。

──転勤。

通達を受けた瞬間から、この言葉は“事実”になった。

もう曖昧にはできない。

朱里に伝えなければならない。

けれど問題は、いつ、どこで、どう言うかだった。

職場は違う。

今日の空気を思い出すだけで分かる。

あの場所は、噂と視線が先に立つ。

LINEも違う。

文字にした瞬間、彼女の表情が見えなくなる。

誤解も、逃げ道も、そこにはいくらでも生まれてしまう。

電話も、違う。

声だけでは足りない。

沈黙の意味も、間の取り方も、朱里には伝わらない気がした。

嵩は、無意識にスマートフォンを握りしめていた。

画面には、何も表示されていない。

「……ちゃんと、向き合えよ」

誰にともなく呟く。

朱里の顔が浮かぶ。

怒った顔でも、泣いた顔でもない。

職場で見せた、あの“普通すぎる笑顔”。

あれが一番、怖かった。

──選択肢を奪う言い方だけは、したくない。

転勤を事実として押し付けるのではなく、

自分の気持ちと一緒に、彼女に渡したい。

「決まった」ではなく、

「決まろうとしている」でもなく。

「俺は、こう考えてる」

「でも、朱里の気持ちも、ちゃんと聞きたい」

言葉を頭の中で並べてみる。

けれど、どれも少しずつ足りない。

嵩は立ち上がり、窓を開けた。

夜風が、熱を帯びた思考を少し冷ましてくれる。

思い出したのは、以前、朱里と二人で行った小さな川沿いの道だった。

仕事帰り、たまたま同じ方向で。

特別な会話はしていない。

ただ、沈黙が苦しくなかった場所。

──あそこなら。

逃げ場がなくて、でも圧迫もしない。

立ち止まってもいいし、歩きながらでもいい。

嵩は、ようやくスマートフォンを操作した。

明日、仕事のあと
少し話せないかな
静かなところで

送信ボタンを押す指が、一瞬止まる。

──断られたら?
──避けられたら?

その不安を、強く飲み込んで、押した。

送信完了の表示を見つめながら、嵩は深く息を吐いた。

どう言うか。

どんな表情で。

どこまで正直に。

全部、まだ完璧じゃない。

それでも一つだけ、はっきりしている。

──逃げる言い方だけは、しない。

窓の外で、遠くを走る車の音がした。

時間は、確実に進んでいる。

嵩は、携帯を胸元に置き、静かに目を閉じた。

明日、言葉は選べなくなる。

その代わり、本音だけは置いていこう。

朱里の前に。