四月十六日、昼下がりの図書室前。春馬は愛理とともに集めた参考資料を抱えていた。壁画制作のイメージを膨らませるために、過去の文化祭や卒業制作の記録を探していたのだ。
廊下の突き当たりには、資料を抱えたしおりが立っていた。彼女は春馬たちを見ると、すぐに眉を上げた。
「あなたたち、ちゃんと許可取るつもりあるの?」
淡々とした声だったが、空気が少しだけ張り詰めた。
「もちろん取るよ。今、申請の準備を——」春馬が言いかけたところで、しおりがぴしゃりと遮った。
「“つもり”じゃだめ。期限があるんだから、誰がいつ動くのか決めなきゃ」
その鋭さに春馬は返す言葉を失った。愛理も少しだけ肩をすくめたが、にこやかに返した。
「そうだね。じゃあ今日の放課後、ちゃんと決めよう」
しおりは頷き、紙束を差し出した。
「これは安全管理に関する学校の規定。壁画を描くなら高さは二メートルまで、固定具も指定のものを使う必要がある」
「……こんなにあるのか」
春馬は思わず息をのんだ。しおりは表情を変えずに続けた。
「嫌われてもいい。私は規定を守らせる。それが結果的にみんなを守るから」
放課後、美術室に全員が集まった。
しおりはホワイトボードの前に立ち、今日集めた資料を広げた。
「まず、申請は春馬がやること。明日中に提出。安全確認は私。廃材の強度は雅史。勇希は資材集め、愛理はデザイン。恭子は広報」
その一言で、美術室の空気がきゅっと締まった。
「え、俺が申請……?」春馬は思わず声をあげた。
「部長なんでしょ? 責任は取りなさい」
その冷静な声に、春馬はうつむいた。決断の遅い自分には荷が重いように感じたが、しおりの真剣な目に逃げ場はなかった。
愛理がそっと春馬の背中を押した。
「大丈夫、私もついていくから」
春馬は小さくうなずいた。
会議が終わるころ、勇希が笑った。
「しおり、いつもそんなにピリピリしてんのか?」
「当たり前でしょ。誰かが嫌われ役にならないと、物事は進まない」
その言葉に誰も反論できなかった。
夜、自宅に帰った春馬は父と顔を合わせた。
「文化祭か。頑張ってるみたいだな」
「うん……」
父は何も言わずにうなずき、リビングを出ていった。
春馬は机に座り、申請書を書き始めた。震える手で書いた名前の横に、しおりの声が響いた気がした——「決めないのは、ただ逃げてるだけ」。
四月十七日の昼休み、春馬は申請書の下書きを手に持ち、しおりのもとに足を運んだ。図書室の前のベンチで、しおりは資料を広げて黙々と書き込みをしていた。
「……しおり、この書き方で合ってる?」
春馬が恐る恐る声をかけると、しおりはちらりと申請書を見て、眉を寄せた。
「この項目、目的があいまい。『壁画を残す』だけじゃ不十分。『学校の歴史を伝える』『地域住民も巻き込む』、そういう具体性が必要なの」
「あ……そ、そうなんだ」
春馬は慌ててメモを取り始めた。
しおりは深く息を吐き、視線を春馬に向けた。
「春馬、悪いけど、あなたは優しすぎる。誰かを傷つけたくないと思って言葉を選ぶのはいいけど、それじゃ何も進まない時がある。嫌われ役を引き受ける人間がいないと、物事は動かない」
その言葉に、春馬は胸を突かれたように感じた。
「……でも、俺が嫌われるのは怖い」
「私だって怖いよ」しおりは小さく笑った。「でも、結果として誰かが守られるなら、それでいい」
そのとき、図書室の扉が開いて雅史が現れた。彼は厚いノートを抱えている。
「強度試験、七二時間必要だけど、たぶん間に合う。……で、何の話?」
「嫌われ役の話」しおりが即答する。
雅史は苦笑いし、「まあ、しおりはそういう役向いてるな」と肩をすくめた。
「でしょ?」しおりは満足げに頷いた。
放課後、美術室で全員が集まると、しおりはホワイトボードに太い字でこう書いた。
『安全管理は妥協しない』
その一言で、空気がぐっと引き締まった。勇希でさえ口笛を止め、恭子もメモを取る手を止めた。
「……それと」しおりは皆を見渡す。「春馬、申請は明日必ず提出。私が嫌われ役をやるから、あなたは部長として責任を取って」
「わかった」春馬は小さくうなずいた。
逃げられない状況に置かれたからこそ、覚悟が少しだけ固まった気がした。
四月十七日、春馬は机に向かい、申請書を清書した。ペンを持つ手は震えていたが、途中で止まることはなかった。
しおりの言葉が頭の中で反響していた——嫌われ役がいるから物事は進む。ならば、自分は何を担えばいいのか。
四月十八日、春馬は申請書を提出するため、生徒会室へ向かった。扉の前で深呼吸を一つ。しおりの言葉が頭の中で響いていた——「嫌われてもいい、進めるために必要なら」。
緊張で指先が冷たくなりながらも、扉を開けた。
生徒会室では副校長が資料を整理していた。
「どうした?」
「文化祭の追加企画、お願いします!」
春馬は少し声を張り、申請書を差し出した。副校長は眉をひそめて書類に目を通した。
「壁画か……廃材も使うのか? 安全面は大丈夫かね」
「安全管理はしおりが担当します。強度は雅史が調べます。解説は恭子が、資材集めは勇希が……みんなで責任を分担します!」
副校長は少しだけ驚いた顔をし、しばし黙り込んだ後、ため息をついた。
「……そこまで考えているなら許可しよう。ただし安全面は徹底しろ」
「ありがとうございます!」
春馬は深く頭を下げた。
教室に戻ると、愛理が待っていた。
「どうだった?」
「許可……下りた」
その瞬間、愛理は笑顔で春馬の肩を軽く叩いた。
「よかったね。これで正式にスタートだ」
放課後、美術室に集まったメンバーに春馬が報告すると、しおりが小さく頷いた。
「これで本格的に進められるわね」
勇希はニッと笑った。
「よっしゃ、これで堂々と動ける」
雅史は「強度実験の準備はできてる」と報告し、恭子は「広報案をまとめておくね」とノートを開いた。
しおりはそんな皆を見渡し、淡々と言った。
「この計画は途中で止めないこと。途中で投げ出すのは許さない」
その一言で、再び美術室の空気が引き締まった。
夜、春馬は机に向かい、スケッチブックを開いた。迷ってばかりの自分が、今は少しだけ前を向いている気がした。涙の色はまだ決められないが、描く線は前よりも迷いがなかった。
しおりの鋭い一言が、春馬に覚悟をくれたのだ。
廊下の突き当たりには、資料を抱えたしおりが立っていた。彼女は春馬たちを見ると、すぐに眉を上げた。
「あなたたち、ちゃんと許可取るつもりあるの?」
淡々とした声だったが、空気が少しだけ張り詰めた。
「もちろん取るよ。今、申請の準備を——」春馬が言いかけたところで、しおりがぴしゃりと遮った。
「“つもり”じゃだめ。期限があるんだから、誰がいつ動くのか決めなきゃ」
その鋭さに春馬は返す言葉を失った。愛理も少しだけ肩をすくめたが、にこやかに返した。
「そうだね。じゃあ今日の放課後、ちゃんと決めよう」
しおりは頷き、紙束を差し出した。
「これは安全管理に関する学校の規定。壁画を描くなら高さは二メートルまで、固定具も指定のものを使う必要がある」
「……こんなにあるのか」
春馬は思わず息をのんだ。しおりは表情を変えずに続けた。
「嫌われてもいい。私は規定を守らせる。それが結果的にみんなを守るから」
放課後、美術室に全員が集まった。
しおりはホワイトボードの前に立ち、今日集めた資料を広げた。
「まず、申請は春馬がやること。明日中に提出。安全確認は私。廃材の強度は雅史。勇希は資材集め、愛理はデザイン。恭子は広報」
その一言で、美術室の空気がきゅっと締まった。
「え、俺が申請……?」春馬は思わず声をあげた。
「部長なんでしょ? 責任は取りなさい」
その冷静な声に、春馬はうつむいた。決断の遅い自分には荷が重いように感じたが、しおりの真剣な目に逃げ場はなかった。
愛理がそっと春馬の背中を押した。
「大丈夫、私もついていくから」
春馬は小さくうなずいた。
会議が終わるころ、勇希が笑った。
「しおり、いつもそんなにピリピリしてんのか?」
「当たり前でしょ。誰かが嫌われ役にならないと、物事は進まない」
その言葉に誰も反論できなかった。
夜、自宅に帰った春馬は父と顔を合わせた。
「文化祭か。頑張ってるみたいだな」
「うん……」
父は何も言わずにうなずき、リビングを出ていった。
春馬は机に座り、申請書を書き始めた。震える手で書いた名前の横に、しおりの声が響いた気がした——「決めないのは、ただ逃げてるだけ」。
四月十七日の昼休み、春馬は申請書の下書きを手に持ち、しおりのもとに足を運んだ。図書室の前のベンチで、しおりは資料を広げて黙々と書き込みをしていた。
「……しおり、この書き方で合ってる?」
春馬が恐る恐る声をかけると、しおりはちらりと申請書を見て、眉を寄せた。
「この項目、目的があいまい。『壁画を残す』だけじゃ不十分。『学校の歴史を伝える』『地域住民も巻き込む』、そういう具体性が必要なの」
「あ……そ、そうなんだ」
春馬は慌ててメモを取り始めた。
しおりは深く息を吐き、視線を春馬に向けた。
「春馬、悪いけど、あなたは優しすぎる。誰かを傷つけたくないと思って言葉を選ぶのはいいけど、それじゃ何も進まない時がある。嫌われ役を引き受ける人間がいないと、物事は動かない」
その言葉に、春馬は胸を突かれたように感じた。
「……でも、俺が嫌われるのは怖い」
「私だって怖いよ」しおりは小さく笑った。「でも、結果として誰かが守られるなら、それでいい」
そのとき、図書室の扉が開いて雅史が現れた。彼は厚いノートを抱えている。
「強度試験、七二時間必要だけど、たぶん間に合う。……で、何の話?」
「嫌われ役の話」しおりが即答する。
雅史は苦笑いし、「まあ、しおりはそういう役向いてるな」と肩をすくめた。
「でしょ?」しおりは満足げに頷いた。
放課後、美術室で全員が集まると、しおりはホワイトボードに太い字でこう書いた。
『安全管理は妥協しない』
その一言で、空気がぐっと引き締まった。勇希でさえ口笛を止め、恭子もメモを取る手を止めた。
「……それと」しおりは皆を見渡す。「春馬、申請は明日必ず提出。私が嫌われ役をやるから、あなたは部長として責任を取って」
「わかった」春馬は小さくうなずいた。
逃げられない状況に置かれたからこそ、覚悟が少しだけ固まった気がした。
四月十七日、春馬は机に向かい、申請書を清書した。ペンを持つ手は震えていたが、途中で止まることはなかった。
しおりの言葉が頭の中で反響していた——嫌われ役がいるから物事は進む。ならば、自分は何を担えばいいのか。
四月十八日、春馬は申請書を提出するため、生徒会室へ向かった。扉の前で深呼吸を一つ。しおりの言葉が頭の中で響いていた——「嫌われてもいい、進めるために必要なら」。
緊張で指先が冷たくなりながらも、扉を開けた。
生徒会室では副校長が資料を整理していた。
「どうした?」
「文化祭の追加企画、お願いします!」
春馬は少し声を張り、申請書を差し出した。副校長は眉をひそめて書類に目を通した。
「壁画か……廃材も使うのか? 安全面は大丈夫かね」
「安全管理はしおりが担当します。強度は雅史が調べます。解説は恭子が、資材集めは勇希が……みんなで責任を分担します!」
副校長は少しだけ驚いた顔をし、しばし黙り込んだ後、ため息をついた。
「……そこまで考えているなら許可しよう。ただし安全面は徹底しろ」
「ありがとうございます!」
春馬は深く頭を下げた。
教室に戻ると、愛理が待っていた。
「どうだった?」
「許可……下りた」
その瞬間、愛理は笑顔で春馬の肩を軽く叩いた。
「よかったね。これで正式にスタートだ」
放課後、美術室に集まったメンバーに春馬が報告すると、しおりが小さく頷いた。
「これで本格的に進められるわね」
勇希はニッと笑った。
「よっしゃ、これで堂々と動ける」
雅史は「強度実験の準備はできてる」と報告し、恭子は「広報案をまとめておくね」とノートを開いた。
しおりはそんな皆を見渡し、淡々と言った。
「この計画は途中で止めないこと。途中で投げ出すのは許さない」
その一言で、再び美術室の空気が引き締まった。
夜、春馬は机に向かい、スケッチブックを開いた。迷ってばかりの自分が、今は少しだけ前を向いている気がした。涙の色はまだ決められないが、描く線は前よりも迷いがなかった。
しおりの鋭い一言が、春馬に覚悟をくれたのだ。


