六月十四日、気象庁の速報が町全体をざわつかせていた。大型で非常に強い台風が文化祭当日に直撃する恐れがあるという。
 「え……文化祭って明日だよな」勇希がニュースを見て眉をひそめる。
 「延期できないの?」しおりが問いかける。
 「教育委員会は“予定どおり開催”の方針だって」恭子がスマホを確認しながら答えた。
  春馬は胸がざわついていた。
 「このままじゃ……」
  愛理がそっと声をかける。
 「春馬くん、どうする? 中止する?」
  全員の視線が春馬に集まった。
  これまでの春馬なら答えを先送りにしたかもしれない。だが、父との約束と仲間たちの想いが背中を押した。
 「決行する。台風でも、俺たちはこの壁画を見てもらう」
  しおりが小さく笑った。
 「やっと言ったわね。その顔、迷ってない」
 「よし、じゃあ準備を強化しよう」勇希が頷いた。
  午後、全員で会場の補強作業に取りかかった。窓ガラスに養生テープを貼り、壁画を守るための防水シートを二重に張る。雅史はロープワークを駆使して天井の点検を行った。
 「これで強風でも大丈夫だ」
 「ありがとう、雅史」春馬は感謝を込めて言った。
  作業が終わると空が鈍色に変わり始めていた。風も強まり、雨粒が落ちてくる。
 「明日、絶対に乗り切ろう」春馬は仲間を見回し、深く息を吸った。
 「おー!」全員の声が暗い空を突き抜けた。
 夜、春馬は自室で父から預かった進学塾の教材を見つめていた。だが手は動かない。脳裏に浮かぶのは壁画と仲間たちの笑顔だった。
 「……絶対に守る」春馬は小さくつぶやき、机の引き出しに教材をしまった。
  スマホが震え、愛理からメッセージが届く。
 《外、もう風が強いね。でも怖くない。だって、春馬くんが決めてくれたから》
  春馬は胸が温かくなるのを感じた。
 《明日、必ず成功させよう》と返信する。
  その頃、しおりは学校に電話を入れ、会場の安全確認の最終チェックを依頼していた。勇希は必要物資のリストを更新し、恭子はオンライン配信用の機材を準備している。雅史は防災マニュアルを読み込み、万が一のときの動線を確認していた。
  全員がそれぞれの場所で文化祭成功のために動いていることを、春馬は知っていた。
 「……頼りになる仲間だ」
  窓の外では木々がざわめき、雨粒が叩きつけている。だが春馬の胸の奥には、不思議と静かな決意があった。
 「明日、必ずやり遂げる」
  深呼吸をひとつしてカメラを手に取る。愛理の母の形見であるそのカメラは、まだいくつかの空白のフィルムを残している。
 ——このフィルムがいっぱいになるころ、きっと笑っていられる。
  春馬はカメラを握りしめ、ゆっくりと目を閉じた。