五月二十七日、朝から冷たい雨が降っていた。商店街に立つ春馬と勇希、愛理は、透明のビニール傘の下で濡れた募金箱を抱えていた。
 「まさか今日が雨とはな……」勇希が苦笑する。
 「でも、この日にやらないと間に合わないんでしょ?」愛理が答える。
 「そう。資材費とペンキ代、あと配信機材のレンタル費用もいる」春馬は募金箱を胸に抱え直した。
  通りを行き交う人々は傘を差して足早に歩いていく。声をかけてもなかなか立ち止まってはくれなかった。
 「……やっぱりダメかな」春馬が弱音を吐くと、勇希が振り返った。
 「諦めるの早すぎだろ。逆境はチャンスだって言っただろ?」
  勇希はずぶ濡れのまま大声を張り上げた。
 「旭ヶ丘中学校、最後の文化祭にご協力お願いします!」
  その声に、買い物帰りの年配の女性が足を止めた。
 「最後の文化祭?」
 「はい。廃校になる前に、壁画を残そうと思ってます」
  女性は少し考え、財布から千円札を差し出した。
 「がんばってね」
 「ありがとうございます!」春馬は深々と頭を下げた。
  それをきっかけに少しずつ足を止める人が増えた。勇希は冷静に収支をメモし、愛理はお礼のチラシを手渡していった。
  夕方には靴下までぐしょ濡れになっていたが、募金箱には思った以上の金額が入っていた。
 「……やったな」勇希が笑う。
 「うん……ありがとう、勇希」春馬は心からそう言った。
 商店街のアーケードの下で、春馬たちは募金箱を並べ直した。午前中はほとんど人が立ち止まらなかったが、午後になると少しずつ関心を示してくれる人が増えていた。
 「愛理、このチラシもう少し見やすく置こうか」
 「うん、そうだね。濡れないようにラミネートしたの正解だったね」
  愛理は濡れた髪を後ろでまとめ、笑みを見せた。
  勇希は傘を閉じ、わざと濡れたままで立っていた。
 「お前、風邪ひくぞ」春馬が注意する。
 「逆境はチャンスだって言ったろ。濡れてたほうが必死さが伝わる」
  そう言って、勇希は声を張り上げた。
 「旭ヶ丘中学校、最後の文化祭! 地域の皆さんの思い出を残すため、どうかご協力ください!」
  その声に、立ち止まる人が少しずつ増えた。買い物袋を抱えた主婦が足を止め、「大変ね」と言って募金箱に硬貨を落とす。小さな子どもを連れた男性が「うちの子もお世話になったから」と千円札を差し出す。
  春馬は深く頭を下げながら、胸が熱くなるのを感じていた。
 ——こんなに応援してくれる人がいるんだ。
  夕方、募金活動を終えて合計を数えると、目標額にかなり近づいていた。
 「これなら必要なペンキ代も足りそうだな」勇希が言う。
 「ほんとにありがとう」春馬は何度も頭を下げた。
  帰り道、春馬はふと空を見上げた。雨は上がり、夕焼けが雲の切れ間から差し込んでいた。
 「……なんか、泣きそうだ」
  愛理がそっと笑って言った。
 「泣いてもいいんだよ。涙も、きっと色になるから」
 学校に戻ると、しおりと雅史が待っていた。
 「おかえり。どうだった?」しおりが尋ねる。
 「思ったより集まったよ!」春馬が募金箱を掲げると、しおりの表情が少し緩んだ。
 「それはよかったわね」
  雅史は電卓を叩き、集計額を計算した。
 「これなら必要なペンキと追加の刷毛も買える。資材費はクリアだな」
  春馬は濡れた靴を脱ぎながら、仲間の笑顔を見回した。
 「雨の中だったけど、地域の人が応援してくれて……泣きそうになったよ」
 「泣いていいのよ」恭子が柔らかく言った。「それも、この壁画に込めればいい」
  五月二十七日、春馬はスケッチブックを開き、今日の募金活動を描き残した。傘を差す人々、濡れた募金箱、笑顔で立ち止まってくれた老夫婦。
  ——涙の色は、人の温かさと一緒にあるのかもしれない。
  ページの隅に、小さく文字を書き込んだ。
 『人は泣いても、誰かに支えられて立ち上がる』
  春馬はペンを置き、深く息を吐いた。次は、この思いをキャンバスに映し出す番だ。