五月十二日、隠し画室に集まった五人は、大きな模造紙とスケッチブックを広げていた。テーマは“涙の色”。それぞれの涙にはどんな色があるのかを考えるためだ。
「泣いたとき、何色を思い浮かべる?」愛理が問いかけた。
「俺は青黒かな」勇希は即答した。「悔しくて泣くことが多いからさ。夜の色に近い」
「私は淡いピンク」しおりが答えた。「嫌われてもいいって思ったときに泣いたことがある。少し暖かい涙だった」
「僕は緑かな」雅史が続ける。「諦めるしかなかったときの涙。だけど、心を落ち着けようとしたから」
恭子は小さな声で言った。
「私はクリーム色。安心して泣けたときの色だから」
全員の視線が春馬に向いた。
「春馬くんは?」
春馬は答えられなかった。頭の中に色が浮かばない。
「……まだ、わからない」
その正直な答えに、愛理はにっこり笑った。
「いいんだよ、無理に決めなくて。描いているうちに見えてくるかもしれないから」
それぞれがスケッチブックを開き、色鉛筆や絵の具で思い思いの“涙の色”を描き出した。
勇希は深い青に黒を混ぜた重い色、しおりはほんのり赤みを帯びたピンク、雅史は落ち着いた緑、恭子は優しいクリーム色を塗った。
春馬はしばらく手を止めたままだったが、やがて青灰色を選んでキャンバスに線を走らせた。
愛理はそんな春馬を見て声をかけた。
「いい色だと思う。春馬くんらしい」
「……そうかな」
「うん。迷ってるのも、きっと色になるよ」
作業を終えた後、壁に貼った模造紙にはそれぞれの“涙の色”が並んでいた。
「こうして見ると、全部違うのに、どれもきれいだね」愛理が言った。
「当たり前だろ。涙の理由が違えば色も違うさ」勇希が笑った。
その言葉に春馬は少しだけ心が軽くなった。
——俺の涙の色も、いつかはっきりするのかもしれない。
作業を終えた後も、春馬はスケッチブックを閉じられずにいた。青灰色で描いた涙はどこか曖昧で、はっきりとした答えになっていない気がした。
「春馬、悩んでる?」愛理が隣に座り、そっと声をかけた。
「……うん。涙の色って、自分の気持ちをちゃんと知ってないと決められないんだな」
「そうかも。でもね、わからないまま描いてもいいんだよ。絵って、気持ちを探すものでもあるから」
愛理はそう言って、春馬のスケッチブックに目を向けた。
「その青灰色、私は好きだよ。優しくて、ちょっと切ない感じがする」
勇希が笑いながら声をかけてきた。
「春馬の色は、これから決まるってことだな。答えを探す時間も悪くないだろ?」
しおりもペンを置いて言った。
「感情に正解なんてないわ。涙だって、いろんな理由で流れるし」
恭子は静かにうなずいた。
「それに、未完成だからこそ美しいものもあるわ」
春馬は仲間たちの言葉に少しだけ救われる気がした。
「……ありがとう。俺、描き続けてみるよ」
その日から春馬は毎晩、スケッチブックを開くようになった。授業が終わってからも家で少しずつ描き、色を試しては消していく。青灰色に薄い白を混ぜた色、青に緑を足した色……。迷いながらも、筆を止めることはなかった。
ある夜、愛理からメッセージが届いた。
『涙って、悪いものじゃないよ。泣いた分だけ、優しくなれるから』
その言葉を読んだ瞬間、春馬の胸に温かいものが広がった。
——涙の色を探すことは、自分を知ることなんだ。
五月十三日、隠し画室で春馬は新しい色を試してみた。淡い青灰色に少しだけ光を感じる黄色を足した色。
「それ、いい色じゃない?」愛理が声をかけた。
「うん……少しだけ希望がある感じがする」
仲間たちもそれぞれの色を壁に貼り、未完成の下絵に合わせていった。画室の中は色とりどりの涙でいっぱいになり、まるで感情そのものが可視化されたようだった。
しおりが少し笑って言った。
「こんなに涙があるのに、不思議と暗い感じはしないわね」
「泣いたあとに立ち上がろうとしてる色だからかもな」勇希が肩をすくめる。
春馬は壁の下絵を見つめた。
「よし、この色で行こう」
まだはっきりした答えではなかったが、少なくとも一歩前に進めた気がした。
五月十九日、隠し画室の中央には大きなキャンバスが立てかけられていた。春馬たちはそこで“涙の色”を実際に塗ってみることにした。
愛理が淡い青を選んで輪郭を描き、勇希は深い青を重ねていった。しおりは柔らかなピンクを添え、雅史は落ち着いた緑を置いた。恭子は優しいクリーム色を指先で伸ばし、画面全体を包むように広げた。
「春馬は?」愛理が問いかける。
春馬は少しだけ迷った後、青灰色に光を感じる黄色を混ぜた色を選んだ。筆をキャンバスに近づけた瞬間、胸の奥で何かがはじけた。
「……これが、今の俺の涙の色だと思う」
その言葉に誰も何も言わなかった。ただ見守るだけだった。
筆を走らせるたびに、心の奥に溜まっていた迷いが少しずつ解けていく感覚があった。未完成だった下絵の瞳が、ゆっくりと命を帯びていく。
描き終わったあと、愛理が小さく呟いた。
「きれい……」
勇希も肩を組みながら笑った。
「これでテーマが決まったな。涙はそれぞれ違うけど、集まれば一つの景色になる」
恭子はスケッチブックに一言だけ書いた。
『涙の先にある光』
五月十九日、春馬は家でスケッチブックを見返した。自分がこれまで何を迷っていたのか、ようやく理解できた気がした。決断できないのではなく、怖かっただけなのだ。
——でも今は違う。仲間と一緒に進むことができる。
春馬はページの端に、今日描いた色を小さく残した。それは迷いながらも前を向く、自分だけの“涙の色”だった。
「泣いたとき、何色を思い浮かべる?」愛理が問いかけた。
「俺は青黒かな」勇希は即答した。「悔しくて泣くことが多いからさ。夜の色に近い」
「私は淡いピンク」しおりが答えた。「嫌われてもいいって思ったときに泣いたことがある。少し暖かい涙だった」
「僕は緑かな」雅史が続ける。「諦めるしかなかったときの涙。だけど、心を落ち着けようとしたから」
恭子は小さな声で言った。
「私はクリーム色。安心して泣けたときの色だから」
全員の視線が春馬に向いた。
「春馬くんは?」
春馬は答えられなかった。頭の中に色が浮かばない。
「……まだ、わからない」
その正直な答えに、愛理はにっこり笑った。
「いいんだよ、無理に決めなくて。描いているうちに見えてくるかもしれないから」
それぞれがスケッチブックを開き、色鉛筆や絵の具で思い思いの“涙の色”を描き出した。
勇希は深い青に黒を混ぜた重い色、しおりはほんのり赤みを帯びたピンク、雅史は落ち着いた緑、恭子は優しいクリーム色を塗った。
春馬はしばらく手を止めたままだったが、やがて青灰色を選んでキャンバスに線を走らせた。
愛理はそんな春馬を見て声をかけた。
「いい色だと思う。春馬くんらしい」
「……そうかな」
「うん。迷ってるのも、きっと色になるよ」
作業を終えた後、壁に貼った模造紙にはそれぞれの“涙の色”が並んでいた。
「こうして見ると、全部違うのに、どれもきれいだね」愛理が言った。
「当たり前だろ。涙の理由が違えば色も違うさ」勇希が笑った。
その言葉に春馬は少しだけ心が軽くなった。
——俺の涙の色も、いつかはっきりするのかもしれない。
作業を終えた後も、春馬はスケッチブックを閉じられずにいた。青灰色で描いた涙はどこか曖昧で、はっきりとした答えになっていない気がした。
「春馬、悩んでる?」愛理が隣に座り、そっと声をかけた。
「……うん。涙の色って、自分の気持ちをちゃんと知ってないと決められないんだな」
「そうかも。でもね、わからないまま描いてもいいんだよ。絵って、気持ちを探すものでもあるから」
愛理はそう言って、春馬のスケッチブックに目を向けた。
「その青灰色、私は好きだよ。優しくて、ちょっと切ない感じがする」
勇希が笑いながら声をかけてきた。
「春馬の色は、これから決まるってことだな。答えを探す時間も悪くないだろ?」
しおりもペンを置いて言った。
「感情に正解なんてないわ。涙だって、いろんな理由で流れるし」
恭子は静かにうなずいた。
「それに、未完成だからこそ美しいものもあるわ」
春馬は仲間たちの言葉に少しだけ救われる気がした。
「……ありがとう。俺、描き続けてみるよ」
その日から春馬は毎晩、スケッチブックを開くようになった。授業が終わってからも家で少しずつ描き、色を試しては消していく。青灰色に薄い白を混ぜた色、青に緑を足した色……。迷いながらも、筆を止めることはなかった。
ある夜、愛理からメッセージが届いた。
『涙って、悪いものじゃないよ。泣いた分だけ、優しくなれるから』
その言葉を読んだ瞬間、春馬の胸に温かいものが広がった。
——涙の色を探すことは、自分を知ることなんだ。
五月十三日、隠し画室で春馬は新しい色を試してみた。淡い青灰色に少しだけ光を感じる黄色を足した色。
「それ、いい色じゃない?」愛理が声をかけた。
「うん……少しだけ希望がある感じがする」
仲間たちもそれぞれの色を壁に貼り、未完成の下絵に合わせていった。画室の中は色とりどりの涙でいっぱいになり、まるで感情そのものが可視化されたようだった。
しおりが少し笑って言った。
「こんなに涙があるのに、不思議と暗い感じはしないわね」
「泣いたあとに立ち上がろうとしてる色だからかもな」勇希が肩をすくめる。
春馬は壁の下絵を見つめた。
「よし、この色で行こう」
まだはっきりした答えではなかったが、少なくとも一歩前に進めた気がした。
五月十九日、隠し画室の中央には大きなキャンバスが立てかけられていた。春馬たちはそこで“涙の色”を実際に塗ってみることにした。
愛理が淡い青を選んで輪郭を描き、勇希は深い青を重ねていった。しおりは柔らかなピンクを添え、雅史は落ち着いた緑を置いた。恭子は優しいクリーム色を指先で伸ばし、画面全体を包むように広げた。
「春馬は?」愛理が問いかける。
春馬は少しだけ迷った後、青灰色に光を感じる黄色を混ぜた色を選んだ。筆をキャンバスに近づけた瞬間、胸の奥で何かがはじけた。
「……これが、今の俺の涙の色だと思う」
その言葉に誰も何も言わなかった。ただ見守るだけだった。
筆を走らせるたびに、心の奥に溜まっていた迷いが少しずつ解けていく感覚があった。未完成だった下絵の瞳が、ゆっくりと命を帯びていく。
描き終わったあと、愛理が小さく呟いた。
「きれい……」
勇希も肩を組みながら笑った。
「これでテーマが決まったな。涙はそれぞれ違うけど、集まれば一つの景色になる」
恭子はスケッチブックに一言だけ書いた。
『涙の先にある光』
五月十九日、春馬は家でスケッチブックを見返した。自分がこれまで何を迷っていたのか、ようやく理解できた気がした。決断できないのではなく、怖かっただけなのだ。
——でも今は違う。仲間と一緒に進むことができる。
春馬はページの端に、今日描いた色を小さく残した。それは迷いながらも前を向く、自分だけの“涙の色”だった。



