一目惚れ。
そんなものが本当にあるなんて、私はあの夜初めて知った――。
***
ここはお嬢様学校と言われている女子校・聖花学園。
本物のお嬢様だけじゃなくて一般家庭の生徒も多く在学しているけれど、基本的に『花のように強く美しくあれ』っていう学園理念のもとみんな健やかに生活している。
二年生の私、日向夏音もその一人。
今は本日の授業も終わって、学園の片隅にある特別教室で空手部の活動に励んでいるところなんだ。
十畳ほどしかない畳が敷かれた特別教室は、空手部の部室も兼用している。
人気のある茶道や華道の部室にはちゃんとした和室が用意されているけれど、このお嬢様学園では空手部は不人気だから専用の道場なんてものはないんだ。
まあでも、中学生の部活なんだしそんなものだよね、って一般家庭の私は思うんだけど。
他に五人ほど部員はいるけれど、ほとんどが護身術程度にしか思ってない。
私も元々は護身術のつもりだったんだけど、顧問の先生に教えてもらっているうちに空手が好きになっちゃったんだ。
型の練習をしたり組手をして身体を動かしていると、とっても気持ちがいいの!
だから、今も教わった型を思い出しながら拳を突き出していたんだけど……。
「きゃー! カッコイイ! 今の見ました!?」
「もちろんですわ! 可愛らしいお顔を凛々しく引き締めて、汗を輝かせるヒマワリ様の勇姿! 素敵ですわ~!」
とつぜん響いた黄色い声に驚いて、次に復習しようと思っていた型を忘れちゃった。
声の方を見ると、特別教室の入り口のところに空手部員じゃない生徒が多数集まっている。
私が彼女たちの方を見たことで、目の合った子たちがまた嬉しそうな悲鳴を上げた。
「きゃー! ヒマワリ様と目が合いましたわ!」
「いいえ! 目が合ったのは私よ!」
ああ、今日も多いなぁ……。
なんてちょっと呆れながらも、私はできるだけさわやかに見える笑顔を浮かべて彼女たちに手を振る。
そして『静かにしてね』という意味合いで人差し指を立てて口元に当てると、彼女たちは口を閉じてブンブンと首を縦に振った。
そうして稽古を再開させながら、我ながらあしらい方が上手くなったなぁと思う。
この聖花学園にはフラワーっていう特殊なシステムがある。
生徒会や委員会とは別に、学園の代表として各学年に一人、花の称号を付けられたフラワーと呼ばれる姫が選ばれるの。
生徒たちのお手本となれるような人が選ばれるんだけれど……なぜか二年では私がフラワーに選ばれちゃったんだよね。
去年、入学して少し経ってから投票で決められたんだけど、他にもかわいい子はいたから不思議だった。
でも『花のように強く美しくあれ』って理念の、『強く』の部分が空手部に入っている私にピッタリだったんだって言われて納得したんだ。
それにフラワーになると色々と特典があるらしくて、なってくれって話に二つ返事でうなずいちゃったんだよね。
そのときに決められた私の称号はヒマワリ。
花言葉が『憧れ』『あなただけを見つめる』『情熱』で、ひたむきに頑張っている姿がピッタリだってことで決まっちゃったらしい。
名前もヒマワリを連想させるからって言っていたけれど、そっちの方が理由としては強い気がするのは私だけだろうか……。
まあ、そんな感じでちょっと成り行きっぽくはあるけれど、なったからにはフラワーとしてふさわしくなるよう日々頑張ろうと思って生活している。
そんな風に去年のことを思い出していた私に、空手部の顧問の先生が声をかけてきた。
「あいかわらずの人気ね」
私のクラス担任でもある立花理香子先生は、女の人にしては凛々しい顔立ちにあきれたような苦い笑みを浮かべている。
その顔を見て、私はあわてて頭を下げた。
「ごめんなさい、騒がしくしちゃって……」
フラワーはあくまで生徒の見本っていう立場なんだけど、なぜか学園内ではアイドルみたいな人気者扱いになってるんだよね。
フラワーであることに不満はないけれど、私がフラワーになってしまったからこんな風に入部希望者でもない生徒が集まって来て、さっきみたいに騒いじゃうんだもん。
申し訳ないなって思うよ。
でも、立花先生はいいよって軽く手を振ってくれる。
「ああ、日向さんが謝る必要はないよ。これもある意味この学園の風物詩みたいなものだし」
こざっぱりとした性格の立花先生は笑って許してくれて、「それにしても」と腕を組む。
「この様子だと、ロイヤルフラワーは日向さんに決まったようなものだね」
ロイヤルフラワーっていうのは各学年のフラワーの中から決められる学園の代表なの。
毎年夏休み前にロイヤルフラワーの証であるネックレスの授与式があるんだ。
私が学園の代表とかなんの冗談だろうって思うけれど、三年のフラワーは今年は受験に集中したいって言っていたし、一年のフラワーはやる気満々ではあるけれどちょっと特殊な性格の子だし……。
消去法で私に決まっちゃうのかな、とは思ってる。
かといって自信を持って『そうですね』なんて言うのも違う気がして笑ってごまかしていると、部長が話に加わってきた。
「授与式の話ですか? まあ、ロイヤルフラワーは夏音さんで決まりでしょうけれど……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫って、何がですか?」
心配そうに話す部長・佐々木華子先輩の言葉に、私は首をコテンと傾けて聞く。
佐々木部長はお父さんがIT企業の重役で、色んな情報に触れているとかで本人も情報通だ。
今回も私が知らない情報があったみたいで、佐々木部長は声を潜めて私と立花先生に話を聞かせてくれる。
「最近、日本で宝石を狙う怪盗が現れたらしいんです。怪盗シルバーって名乗っているみたいなんですけれど……」
「か、怪盗?」
「シルバー?」
私と立花先生はそろって困惑の顔になる。
怪盗なんて、マンガや小説の中でしか見たことがない。
何かの冗談かなって一瞬思ったけれど、佐々木部長の顔は大真面目だった。ウソでも冗談でもないらしい。
「なんでも特定の宝石しか狙わないらしくて、それがロードライトガーネットらしいんですよ」
佐々木部長の言葉に立花先生がハッとして指を顎に添える。
「ロードライトガーネットって、ロイヤルフラワーの証のネックレスについている?」
「はい、だから狙われるんじゃないかなって思っていて……」
立花先生を見上げて話す佐々木部長は、眉を八の字にしている。
ロードライトガーネットしか狙わないというなら、確かに佐々木部長の心配が的中する可能性は高い。
もし授与式の前に予告状が来てしまったらどうなっちゃうんだろう?
盗まれてしまったら、授与式自体なくなっちゃうのかな?
それは困る! と考えていたんだけれど、佐々木部長は困った顔のまま笑顔を見せた。
「ただ、その怪盗シルバー。宝石を盗んでも、すぐに返しちゃうんですよね」
「「は?」」
あまりに予想外の言葉に、私と立花先生の声が重なった。
盗んでもすぐ返すって、何がしたいの? ただの愉快犯?
「理由はわからないけれど、目的のものとは違ったんじゃないかって父は言っていました」
補足された説明に、そういうこともあるのかって納得する。
ロードライトガーネットだけを狙っているってことだから、その中でも特別な宝石だけを探しているのかも。
なんて予想していたら、とつぜん立花先生がパシンと手を叩いて「よし!」と声を上げる。
「念のため、その件は校長先生に伝えておくよ。だから、今は部活に集中しようか」
さっぱりはっきりと言い切った立花先生のおかげで、私も佐々木部長も表情がふっと軽くなる。
確かに今は部活中。ロイヤルフラワーの証であるネックレスが盗まれるかもしてないなんて、今考えても仕方のないことだもん。
「そうですね。じゃあ、よろしくお願いします」
「その通りですね。ちゃんと部活動しましょうか」
佐々木部長に続いて私も返事をすると、二人はそれぞれの活動をするために離れていく。
でも、立花先生は途中で止まって私の方を振り返った。
「あ、そうだ。日向さんには話しておこうかな」
「はい? 何をですか?」
さっきの続きをするために拳を握って構えようとしていた私は、そのままの体勢で聞き返す。
そんな私に立花先生は簡潔に要件を伝えた。
「明日、うちのクラスに転入生が来るんだ。日向さんの隣の席になる予定だから、気にかけてくれると助かるよ」
初めて聞く内容に軽く驚いたけれど、フラワーである私に転入生のことを頼むのは理にかなっていると思ったから素直にうなずいて返す。
「はい、わかりました」
生徒のお手本となるようふるまうのがフラワーだもの。
新たな生徒にこの学園のことを教えるならピッタリの人選だよね。
立花先生は片手を軽く上げて「頼んだよ」と告げると、今度こそ私から離れて行った。
「転入生か……どんな子だろう?」
明日のことを考えてつぶやいてから、私は意識を切り替えてまた部活に励んだ。
***
部活が終わってからお母さんに頼まれていた買い物を済ませて外に出ると、もう空は夕闇の方が近かった。
薄暗くなってきた帰り道を片手にはスクールバッグ、もう片方には重い買い物袋を持って進む。
そうして家の近くの公園に差し掛かったところで、あまりにも荷物が重くていったん休憩することにしたんだ。
ベンチに荷物を置くと、ため息と一緒にちょっとグチっちゃう。
「もうお母さんってば、味噌とかペットボトルとか、重いものばかり一気に頼むんだから」
私は空手部の活動もあって体力もあるから、もう少し軽いものだったら多少荷物が多くても休憩なしで全然平気だ。
でも単純に力が必要な場面ではどうしようもないよね。
こればっかりは仕方がない、って思いながら私は荷物の横に腰を下ろした。
「あ……でも今日の空は綺麗だな」
ベンチに座って見上げた空は、茜色が押しやられて、紫と暗い紺色が綺麗なグラデーションを描いていた。水墨画みたいな雲がうっすらかかっていて、それがまたいい雰囲気をかもし出している。
中々見ない色合いの空に、私は「綺麗だな」ってもう一度つぶやいて、宵の明星と呼ばれている金星が輝く空を見上げていた。
この時間はみんな家へ帰るのを急ぐのか、空を見上げている人はそういない。
まして、私みたいに公園で休憩している人はもっといない……というかゼロだ。
荷物は重くて困ったけれど、静かな公園で綺麗なグラデーションの空を独り占めしている気分になれて、ちょっと機嫌がよくなる。
少し冷えてきた空気を大きく吸って、家まであと少し! と気合を入れて立ち上がるために顔を空から下ろす。
すると、誰もいないと思っていた公園にひとつ人影が見えた。
公園の中心に設置してある小さな噴水。直系3メートルもないくらい小さな噴水だけれど、夏場は近所の子供たちのいい水遊び場になっている。
夜は水を止めているらしくて、今は水盤に水が溜まっているだけになっているその縁の辺りで、銀色の髪の男の子が一人立っていた。
緩く風が吹いて、ほんのり光ってきた月明かりを彼の銀髪が反射する。
お年寄りのような白髪じゃなくて、黒っぽいグレーでもなくて。ちゃんと、金髪を薄くしたような綺麗な銀色。
これが本当の銀髪なんだなって思わず見惚れていたら、視線に気づいたのか男の子が私の方を見た。
目の色までは分からなかったけれど、すごく整った顔立ちで……ビックリした私はベンチの背もたれのところに思いっきり右手をぶつけてしまう。
「いたっ!」
直後、ぶつけただけじゃない痛みを感じて手を見ると、ちょうど飛び出している釘にひっかけちゃったのか小指の付け根辺りから血が出ている。
うそ、ケガしちゃうなんて。
サイアクだ、なんて思っていたら、とつぜん近くから声がかけられた。
「大丈夫? ケガしたの?」
「え?」
見上げると、噴水のそばにいたはずの銀髪の男の子が近くに来ていた。
いつの間に⁉︎ と思って見上げると、近くで見たことでより分かる美しさに言葉が出なくなる。
空気にとけてしまいそうなくらい透き通った銀髪と白い肌。目の色も黒と言うには薄くて、グレーに近かった。
声もなく見つめていたら、そのグレーの瞳に青い虹彩が少し見えて……。
そのうすい唇が小さく動いた。
「……おいしそう」
「はい?」
ケガをしたのかって様子を見に来たらしい男の子。
なのに聞こえてきた言葉が『おいしそう』?
どう考えても聞き間違いだよね?
きっと『いたそう』って言ったんだよ。
混乱しそうになったけれど、考えなおして納得した。
でも、彼の次の行動には本気で混乱してしまう。
「……ごめん」
なぜか謝った男の子は、屈んでさらにその綺麗な顔を私に近づけてきた。
そして私のケガをした右手を軽く掴んで――。
「な、なにしてるの⁉︎」
問いただしたけれど、男の子が答えることはない。だって、言葉を話すためのその唇は、今私の手に付けられているから。
銀色の髪の綺麗な男の子は、なぜか初対面である私のケガの傷口をパクッて口にいれていたんだ。
ふつうなら『ヘンタイ!』って正拳突きでもするところだけれど、男の子のあまりの綺麗さにそんなこと考える余裕もなくて……。
どこか幻想的な雰囲気につい見惚れてしまった。
でも、彼がそのまま傷口をちゅうって吸っちゃったから、また私は慌てだす。
「え!? まっ、本当に、なにしてるの!?」
綺麗な男の子に手を吸われるとか、イヤとか以前にまず恥ずかしい。
変にドキドキして腕を引くと、彼もハッとして手を離してくれた。
そして、血の気が引いたようにその白い顔を更に白くさせる。
「そんな……吸血衝動なんて、もっと先のはずなのに」
「吸血衝動?」
絶望って言葉が合いそうな表情の男の子が口にした言葉を繰り返す。
『吸血』なんて、まるで――
「まさか、ヴァンパイアだったりして?」
ちょっと意味深に、指を唇に当てながら上目遣いで言ってみる。
半分以上冗談のつもりで言ったんだけど、男の子は衝撃を受けたように驚いた。
「なっ、なんで気づいた!?」
「……」
その驚きようはなんていうか自然で、変にオーバーアクションってわけでもなくて。
ウソとかごまかしとか、そういう雰囲気じゃなかった。
だから逆に私の方が驚いちゃったよ。
「え? まさか本当だったの?」
「なっ!? 当てずっぽうだったのか!?」
今度はまた別の意味で驚いた様子の彼は、しまったー! って感じに頭を抱える。
その様子にはさっきまでの幻想的な雰囲気はまったくなくて、私と同じくらいの年相応の男子って感じ。
あまりのギャップに私は面食らいつつ、おかしくなって笑ってしまった。
「ふっふははっ……あなた、面白いね」
クスクスと小さく笑い続けていると、彼がジッと私を見ていることに気づいた。でも、改めて目を合わせると逆に目を逸らされちゃった。
その顔は少し赤くて、なんだか可愛かった。
ちょっと笑いすぎたかな? って思ったけれど、男の子は私が笑ったことを気にしていたわけじゃないみたい。
「えっと……とにかく、とつぜん血を吸っちゃってごめんな。なんでか、我慢できなくて……気持ち悪かったよな?」
顔を逸らしたまま、男の子は言い訳と謝罪を口にした。
どこか落ち込んでいる様子の彼に、私は首を傾げて正直な気持ちを話す。
「気持ち悪いとは思ってないけど?」
彼が本当にヴァンパイアなのかなんてわからない。けれど、少なくとも気持ち悪いとは思っていない。
だって、いきなり血を吸われたのはビックリだったけれど、彼の外見や雰囲気は優しいものだったから。
綺麗で、優しくて、ちょっと面白い。
どちらかというといい印象を持っていると思う。
だから、そんな傷ついた顔をしないでほしいな。
せっかく綺麗な顔をしているんだから、どうせなら笑顔を見せて欲しい。
そう思った私は男の子にニッコリと笑いかけた。
そんな私の笑顔を、彼は「本当に?」と探るように見つめる。
そして安心したのか、フワッと柔らかい笑顔を浮かべた。
ドキッ
瞬間、私の心臓が大きく跳ねる。
その鼓動の大きさに驚いていると、男の子の笑みがミステリアスなものに変わった。
「そっか、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ……もう少し君と話してみたいけれど、時間切れかな?」
「え?」
何が時間切れなのか。
聞き返そうとしたけれど、とつぜん強い風が吹いた。
砂が目に入らないように少しだけ瞼を閉じると、次に開けたときには男の子の姿が変わっていた。
「っ! え……?」
透き通るような銀髪はそのまま。
でも、服装がまったく違う。
黒のタキシードにマント、そしてわずかに青い虹彩の入ったグレイの目を隠すようにつけられた深い青の仮面。
それはまさに、『怪盗』と言うべきいで立ちで――。
「俺は怪盗シルバー。ここで会ったことはヒミツにしてくれると助かるよ」
仮面をつけた男の子――シルバーは、キザったらしくそう言うと足にぐっと力を込めて空へと跳んだ。
一気に五メートルくらい高く跳んだ彼の身体能力は、どう考えても人間離れしていて……ヴァンパイアだっていうのは本当なのかもしれないって頭の片隅で思った。
さっきよりも夜が近づいてきた空に、シルバーの姿が溶けるように消えていくのを見つめていた私は、今起こった夢か幻のような出来事に混乱する。
綺麗な男の子がいたと思ったら、その子は私の血を吸って自分をヴァンパイアだと名乗っていて。
かと思ったら、数時間前に佐々木部長から聞いたばかりの、最近日本に現れたという怪盗シルバーだったなんて……。
情報が溢れすぎて受け止めきれない。
でも、それでも一つだけハッキリしていることがある。
トクントクンと、鼓動がいつもより早い。
彼の笑顔を見て、跳ねた心臓がそのまま喜びで踊っているみたい。
「また、会いたい」
心のままに今の気持ちを言葉にする。
そう、また会いたい。
会って、もっと話したいし、もっと彼の笑顔を見たい。
彼がヴァンパイアだとか、怪盗だとか。そんなことはどうだっていい。
とにかく私はあの綺麗な男の子にまた会いたいんだ。
この気持ちって、つまりそういうことだよね?
「私、一目惚れしちゃったのかも」
日が落ちた公園で、私は自覚した思いを言葉にした。
その翌日、まさかあんな形で再会するとは思ってもいなかったけれど。
【第一話 完】
そんなものが本当にあるなんて、私はあの夜初めて知った――。
***
ここはお嬢様学校と言われている女子校・聖花学園。
本物のお嬢様だけじゃなくて一般家庭の生徒も多く在学しているけれど、基本的に『花のように強く美しくあれ』っていう学園理念のもとみんな健やかに生活している。
二年生の私、日向夏音もその一人。
今は本日の授業も終わって、学園の片隅にある特別教室で空手部の活動に励んでいるところなんだ。
十畳ほどしかない畳が敷かれた特別教室は、空手部の部室も兼用している。
人気のある茶道や華道の部室にはちゃんとした和室が用意されているけれど、このお嬢様学園では空手部は不人気だから専用の道場なんてものはないんだ。
まあでも、中学生の部活なんだしそんなものだよね、って一般家庭の私は思うんだけど。
他に五人ほど部員はいるけれど、ほとんどが護身術程度にしか思ってない。
私も元々は護身術のつもりだったんだけど、顧問の先生に教えてもらっているうちに空手が好きになっちゃったんだ。
型の練習をしたり組手をして身体を動かしていると、とっても気持ちがいいの!
だから、今も教わった型を思い出しながら拳を突き出していたんだけど……。
「きゃー! カッコイイ! 今の見ました!?」
「もちろんですわ! 可愛らしいお顔を凛々しく引き締めて、汗を輝かせるヒマワリ様の勇姿! 素敵ですわ~!」
とつぜん響いた黄色い声に驚いて、次に復習しようと思っていた型を忘れちゃった。
声の方を見ると、特別教室の入り口のところに空手部員じゃない生徒が多数集まっている。
私が彼女たちの方を見たことで、目の合った子たちがまた嬉しそうな悲鳴を上げた。
「きゃー! ヒマワリ様と目が合いましたわ!」
「いいえ! 目が合ったのは私よ!」
ああ、今日も多いなぁ……。
なんてちょっと呆れながらも、私はできるだけさわやかに見える笑顔を浮かべて彼女たちに手を振る。
そして『静かにしてね』という意味合いで人差し指を立てて口元に当てると、彼女たちは口を閉じてブンブンと首を縦に振った。
そうして稽古を再開させながら、我ながらあしらい方が上手くなったなぁと思う。
この聖花学園にはフラワーっていう特殊なシステムがある。
生徒会や委員会とは別に、学園の代表として各学年に一人、花の称号を付けられたフラワーと呼ばれる姫が選ばれるの。
生徒たちのお手本となれるような人が選ばれるんだけれど……なぜか二年では私がフラワーに選ばれちゃったんだよね。
去年、入学して少し経ってから投票で決められたんだけど、他にもかわいい子はいたから不思議だった。
でも『花のように強く美しくあれ』って理念の、『強く』の部分が空手部に入っている私にピッタリだったんだって言われて納得したんだ。
それにフラワーになると色々と特典があるらしくて、なってくれって話に二つ返事でうなずいちゃったんだよね。
そのときに決められた私の称号はヒマワリ。
花言葉が『憧れ』『あなただけを見つめる』『情熱』で、ひたむきに頑張っている姿がピッタリだってことで決まっちゃったらしい。
名前もヒマワリを連想させるからって言っていたけれど、そっちの方が理由としては強い気がするのは私だけだろうか……。
まあ、そんな感じでちょっと成り行きっぽくはあるけれど、なったからにはフラワーとしてふさわしくなるよう日々頑張ろうと思って生活している。
そんな風に去年のことを思い出していた私に、空手部の顧問の先生が声をかけてきた。
「あいかわらずの人気ね」
私のクラス担任でもある立花理香子先生は、女の人にしては凛々しい顔立ちにあきれたような苦い笑みを浮かべている。
その顔を見て、私はあわてて頭を下げた。
「ごめんなさい、騒がしくしちゃって……」
フラワーはあくまで生徒の見本っていう立場なんだけど、なぜか学園内ではアイドルみたいな人気者扱いになってるんだよね。
フラワーであることに不満はないけれど、私がフラワーになってしまったからこんな風に入部希望者でもない生徒が集まって来て、さっきみたいに騒いじゃうんだもん。
申し訳ないなって思うよ。
でも、立花先生はいいよって軽く手を振ってくれる。
「ああ、日向さんが謝る必要はないよ。これもある意味この学園の風物詩みたいなものだし」
こざっぱりとした性格の立花先生は笑って許してくれて、「それにしても」と腕を組む。
「この様子だと、ロイヤルフラワーは日向さんに決まったようなものだね」
ロイヤルフラワーっていうのは各学年のフラワーの中から決められる学園の代表なの。
毎年夏休み前にロイヤルフラワーの証であるネックレスの授与式があるんだ。
私が学園の代表とかなんの冗談だろうって思うけれど、三年のフラワーは今年は受験に集中したいって言っていたし、一年のフラワーはやる気満々ではあるけれどちょっと特殊な性格の子だし……。
消去法で私に決まっちゃうのかな、とは思ってる。
かといって自信を持って『そうですね』なんて言うのも違う気がして笑ってごまかしていると、部長が話に加わってきた。
「授与式の話ですか? まあ、ロイヤルフラワーは夏音さんで決まりでしょうけれど……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫って、何がですか?」
心配そうに話す部長・佐々木華子先輩の言葉に、私は首をコテンと傾けて聞く。
佐々木部長はお父さんがIT企業の重役で、色んな情報に触れているとかで本人も情報通だ。
今回も私が知らない情報があったみたいで、佐々木部長は声を潜めて私と立花先生に話を聞かせてくれる。
「最近、日本で宝石を狙う怪盗が現れたらしいんです。怪盗シルバーって名乗っているみたいなんですけれど……」
「か、怪盗?」
「シルバー?」
私と立花先生はそろって困惑の顔になる。
怪盗なんて、マンガや小説の中でしか見たことがない。
何かの冗談かなって一瞬思ったけれど、佐々木部長の顔は大真面目だった。ウソでも冗談でもないらしい。
「なんでも特定の宝石しか狙わないらしくて、それがロードライトガーネットらしいんですよ」
佐々木部長の言葉に立花先生がハッとして指を顎に添える。
「ロードライトガーネットって、ロイヤルフラワーの証のネックレスについている?」
「はい、だから狙われるんじゃないかなって思っていて……」
立花先生を見上げて話す佐々木部長は、眉を八の字にしている。
ロードライトガーネットしか狙わないというなら、確かに佐々木部長の心配が的中する可能性は高い。
もし授与式の前に予告状が来てしまったらどうなっちゃうんだろう?
盗まれてしまったら、授与式自体なくなっちゃうのかな?
それは困る! と考えていたんだけれど、佐々木部長は困った顔のまま笑顔を見せた。
「ただ、その怪盗シルバー。宝石を盗んでも、すぐに返しちゃうんですよね」
「「は?」」
あまりに予想外の言葉に、私と立花先生の声が重なった。
盗んでもすぐ返すって、何がしたいの? ただの愉快犯?
「理由はわからないけれど、目的のものとは違ったんじゃないかって父は言っていました」
補足された説明に、そういうこともあるのかって納得する。
ロードライトガーネットだけを狙っているってことだから、その中でも特別な宝石だけを探しているのかも。
なんて予想していたら、とつぜん立花先生がパシンと手を叩いて「よし!」と声を上げる。
「念のため、その件は校長先生に伝えておくよ。だから、今は部活に集中しようか」
さっぱりはっきりと言い切った立花先生のおかげで、私も佐々木部長も表情がふっと軽くなる。
確かに今は部活中。ロイヤルフラワーの証であるネックレスが盗まれるかもしてないなんて、今考えても仕方のないことだもん。
「そうですね。じゃあ、よろしくお願いします」
「その通りですね。ちゃんと部活動しましょうか」
佐々木部長に続いて私も返事をすると、二人はそれぞれの活動をするために離れていく。
でも、立花先生は途中で止まって私の方を振り返った。
「あ、そうだ。日向さんには話しておこうかな」
「はい? 何をですか?」
さっきの続きをするために拳を握って構えようとしていた私は、そのままの体勢で聞き返す。
そんな私に立花先生は簡潔に要件を伝えた。
「明日、うちのクラスに転入生が来るんだ。日向さんの隣の席になる予定だから、気にかけてくれると助かるよ」
初めて聞く内容に軽く驚いたけれど、フラワーである私に転入生のことを頼むのは理にかなっていると思ったから素直にうなずいて返す。
「はい、わかりました」
生徒のお手本となるようふるまうのがフラワーだもの。
新たな生徒にこの学園のことを教えるならピッタリの人選だよね。
立花先生は片手を軽く上げて「頼んだよ」と告げると、今度こそ私から離れて行った。
「転入生か……どんな子だろう?」
明日のことを考えてつぶやいてから、私は意識を切り替えてまた部活に励んだ。
***
部活が終わってからお母さんに頼まれていた買い物を済ませて外に出ると、もう空は夕闇の方が近かった。
薄暗くなってきた帰り道を片手にはスクールバッグ、もう片方には重い買い物袋を持って進む。
そうして家の近くの公園に差し掛かったところで、あまりにも荷物が重くていったん休憩することにしたんだ。
ベンチに荷物を置くと、ため息と一緒にちょっとグチっちゃう。
「もうお母さんってば、味噌とかペットボトルとか、重いものばかり一気に頼むんだから」
私は空手部の活動もあって体力もあるから、もう少し軽いものだったら多少荷物が多くても休憩なしで全然平気だ。
でも単純に力が必要な場面ではどうしようもないよね。
こればっかりは仕方がない、って思いながら私は荷物の横に腰を下ろした。
「あ……でも今日の空は綺麗だな」
ベンチに座って見上げた空は、茜色が押しやられて、紫と暗い紺色が綺麗なグラデーションを描いていた。水墨画みたいな雲がうっすらかかっていて、それがまたいい雰囲気をかもし出している。
中々見ない色合いの空に、私は「綺麗だな」ってもう一度つぶやいて、宵の明星と呼ばれている金星が輝く空を見上げていた。
この時間はみんな家へ帰るのを急ぐのか、空を見上げている人はそういない。
まして、私みたいに公園で休憩している人はもっといない……というかゼロだ。
荷物は重くて困ったけれど、静かな公園で綺麗なグラデーションの空を独り占めしている気分になれて、ちょっと機嫌がよくなる。
少し冷えてきた空気を大きく吸って、家まであと少し! と気合を入れて立ち上がるために顔を空から下ろす。
すると、誰もいないと思っていた公園にひとつ人影が見えた。
公園の中心に設置してある小さな噴水。直系3メートルもないくらい小さな噴水だけれど、夏場は近所の子供たちのいい水遊び場になっている。
夜は水を止めているらしくて、今は水盤に水が溜まっているだけになっているその縁の辺りで、銀色の髪の男の子が一人立っていた。
緩く風が吹いて、ほんのり光ってきた月明かりを彼の銀髪が反射する。
お年寄りのような白髪じゃなくて、黒っぽいグレーでもなくて。ちゃんと、金髪を薄くしたような綺麗な銀色。
これが本当の銀髪なんだなって思わず見惚れていたら、視線に気づいたのか男の子が私の方を見た。
目の色までは分からなかったけれど、すごく整った顔立ちで……ビックリした私はベンチの背もたれのところに思いっきり右手をぶつけてしまう。
「いたっ!」
直後、ぶつけただけじゃない痛みを感じて手を見ると、ちょうど飛び出している釘にひっかけちゃったのか小指の付け根辺りから血が出ている。
うそ、ケガしちゃうなんて。
サイアクだ、なんて思っていたら、とつぜん近くから声がかけられた。
「大丈夫? ケガしたの?」
「え?」
見上げると、噴水のそばにいたはずの銀髪の男の子が近くに来ていた。
いつの間に⁉︎ と思って見上げると、近くで見たことでより分かる美しさに言葉が出なくなる。
空気にとけてしまいそうなくらい透き通った銀髪と白い肌。目の色も黒と言うには薄くて、グレーに近かった。
声もなく見つめていたら、そのグレーの瞳に青い虹彩が少し見えて……。
そのうすい唇が小さく動いた。
「……おいしそう」
「はい?」
ケガをしたのかって様子を見に来たらしい男の子。
なのに聞こえてきた言葉が『おいしそう』?
どう考えても聞き間違いだよね?
きっと『いたそう』って言ったんだよ。
混乱しそうになったけれど、考えなおして納得した。
でも、彼の次の行動には本気で混乱してしまう。
「……ごめん」
なぜか謝った男の子は、屈んでさらにその綺麗な顔を私に近づけてきた。
そして私のケガをした右手を軽く掴んで――。
「な、なにしてるの⁉︎」
問いただしたけれど、男の子が答えることはない。だって、言葉を話すためのその唇は、今私の手に付けられているから。
銀色の髪の綺麗な男の子は、なぜか初対面である私のケガの傷口をパクッて口にいれていたんだ。
ふつうなら『ヘンタイ!』って正拳突きでもするところだけれど、男の子のあまりの綺麗さにそんなこと考える余裕もなくて……。
どこか幻想的な雰囲気につい見惚れてしまった。
でも、彼がそのまま傷口をちゅうって吸っちゃったから、また私は慌てだす。
「え!? まっ、本当に、なにしてるの!?」
綺麗な男の子に手を吸われるとか、イヤとか以前にまず恥ずかしい。
変にドキドキして腕を引くと、彼もハッとして手を離してくれた。
そして、血の気が引いたようにその白い顔を更に白くさせる。
「そんな……吸血衝動なんて、もっと先のはずなのに」
「吸血衝動?」
絶望って言葉が合いそうな表情の男の子が口にした言葉を繰り返す。
『吸血』なんて、まるで――
「まさか、ヴァンパイアだったりして?」
ちょっと意味深に、指を唇に当てながら上目遣いで言ってみる。
半分以上冗談のつもりで言ったんだけど、男の子は衝撃を受けたように驚いた。
「なっ、なんで気づいた!?」
「……」
その驚きようはなんていうか自然で、変にオーバーアクションってわけでもなくて。
ウソとかごまかしとか、そういう雰囲気じゃなかった。
だから逆に私の方が驚いちゃったよ。
「え? まさか本当だったの?」
「なっ!? 当てずっぽうだったのか!?」
今度はまた別の意味で驚いた様子の彼は、しまったー! って感じに頭を抱える。
その様子にはさっきまでの幻想的な雰囲気はまったくなくて、私と同じくらいの年相応の男子って感じ。
あまりのギャップに私は面食らいつつ、おかしくなって笑ってしまった。
「ふっふははっ……あなた、面白いね」
クスクスと小さく笑い続けていると、彼がジッと私を見ていることに気づいた。でも、改めて目を合わせると逆に目を逸らされちゃった。
その顔は少し赤くて、なんだか可愛かった。
ちょっと笑いすぎたかな? って思ったけれど、男の子は私が笑ったことを気にしていたわけじゃないみたい。
「えっと……とにかく、とつぜん血を吸っちゃってごめんな。なんでか、我慢できなくて……気持ち悪かったよな?」
顔を逸らしたまま、男の子は言い訳と謝罪を口にした。
どこか落ち込んでいる様子の彼に、私は首を傾げて正直な気持ちを話す。
「気持ち悪いとは思ってないけど?」
彼が本当にヴァンパイアなのかなんてわからない。けれど、少なくとも気持ち悪いとは思っていない。
だって、いきなり血を吸われたのはビックリだったけれど、彼の外見や雰囲気は優しいものだったから。
綺麗で、優しくて、ちょっと面白い。
どちらかというといい印象を持っていると思う。
だから、そんな傷ついた顔をしないでほしいな。
せっかく綺麗な顔をしているんだから、どうせなら笑顔を見せて欲しい。
そう思った私は男の子にニッコリと笑いかけた。
そんな私の笑顔を、彼は「本当に?」と探るように見つめる。
そして安心したのか、フワッと柔らかい笑顔を浮かべた。
ドキッ
瞬間、私の心臓が大きく跳ねる。
その鼓動の大きさに驚いていると、男の子の笑みがミステリアスなものに変わった。
「そっか、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ……もう少し君と話してみたいけれど、時間切れかな?」
「え?」
何が時間切れなのか。
聞き返そうとしたけれど、とつぜん強い風が吹いた。
砂が目に入らないように少しだけ瞼を閉じると、次に開けたときには男の子の姿が変わっていた。
「っ! え……?」
透き通るような銀髪はそのまま。
でも、服装がまったく違う。
黒のタキシードにマント、そしてわずかに青い虹彩の入ったグレイの目を隠すようにつけられた深い青の仮面。
それはまさに、『怪盗』と言うべきいで立ちで――。
「俺は怪盗シルバー。ここで会ったことはヒミツにしてくれると助かるよ」
仮面をつけた男の子――シルバーは、キザったらしくそう言うと足にぐっと力を込めて空へと跳んだ。
一気に五メートルくらい高く跳んだ彼の身体能力は、どう考えても人間離れしていて……ヴァンパイアだっていうのは本当なのかもしれないって頭の片隅で思った。
さっきよりも夜が近づいてきた空に、シルバーの姿が溶けるように消えていくのを見つめていた私は、今起こった夢か幻のような出来事に混乱する。
綺麗な男の子がいたと思ったら、その子は私の血を吸って自分をヴァンパイアだと名乗っていて。
かと思ったら、数時間前に佐々木部長から聞いたばかりの、最近日本に現れたという怪盗シルバーだったなんて……。
情報が溢れすぎて受け止めきれない。
でも、それでも一つだけハッキリしていることがある。
トクントクンと、鼓動がいつもより早い。
彼の笑顔を見て、跳ねた心臓がそのまま喜びで踊っているみたい。
「また、会いたい」
心のままに今の気持ちを言葉にする。
そう、また会いたい。
会って、もっと話したいし、もっと彼の笑顔を見たい。
彼がヴァンパイアだとか、怪盗だとか。そんなことはどうだっていい。
とにかく私はあの綺麗な男の子にまた会いたいんだ。
この気持ちって、つまりそういうことだよね?
「私、一目惚れしちゃったのかも」
日が落ちた公園で、私は自覚した思いを言葉にした。
その翌日、まさかあんな形で再会するとは思ってもいなかったけれど。
【第一話 完】



