七十パーセントの朝焼け—坂の町で交わす未来の手紙—

 七月の初め、空気がじっとりとまとわりつく午後。
 「探検行くぞ!」
 太陽の声に押され、成美は海沿いの遊歩道に立っていた。
 真菜と哲平、岳も一緒だ。百合子は放送委員の当番で来られなかったが、「お土産話よろしく」と笑顔で送り出してくれた。

 潮の香りとカモメの鳴き声が、夏の始まりを告げている。波のきらめきは目を細めるほど明るく、照り返しが頬に熱を残した。
 太陽は背中に小さなドローンのケースを背負い、足取り軽く先頭を歩いている。
 「ここで飛ばすと、めっちゃ映えるんだよな」
 「ドローンって、難しくない?」
 「簡単だって。集中すれば失敗しない」
 太陽の口調は自信に満ちていた。

 成美は遊歩道の端に立ち、海を見下ろす。足元の岩場には小魚が群れ、日差しを受けて時折銀色に光る。
 「昔はここで遊んでたな」
 幼いころ、よく駆け回った場所だ。だけど病気が進んでからは、ただ見るだけになっていた。
 岳が横に立ち、そっと声をかける。
 「ほら、息切れしたら無理すんなよ」
 「わかってる」
 そう答えたけれど、胸の奥が少し熱くなっていた。

 太陽がドローンを飛ばすと、白いプロペラ音が潮風に混ざった。
 「おお……!」
 真菜が歓声を上げ、哲平がモニターを覗き込む。
 ドローンのカメラには、蒼い海と曲がりくねる遊歩道、遠くの島影まで映っていた。
 「いい感じ! これ、花火のときも撮ろうぜ」
 太陽の言葉に、成美もつられて笑った。

 しばらく歩き、草むらを抜けると小さな入り江が現れた。
 「ねえ、ここで写真撮ろうよ」真菜が提案する。
 岩に腰掛け、全員で肩を寄せ合った。岳がスマホを構えたが、途中で笑い出した。
 「なに?」
 「いや、成美、めっちゃ笑ってるなって」
 「えっ……」
 頬が熱くなる。自分がこんな表情をしているなんて、思ってもみなかった。
 シャッターが切られると、波が岩を洗い、涼しいしぶきがかかった。

 帰り道、太陽が不意に口を開いた。
 「俺さ、自分のためにやってるんだよね」
 「え?」成美が首をかしげる。
 「ドローンも、この探検も。人のためって言うと嘘になる。俺が楽しいからやってるだけ」
 真菜と哲平が黙り、岳も立ち止まって太陽を見る。けれど太陽は笑っていた。
 「でもさ、俺が楽しんでる映像で誰かが笑ってくれたら、それでいいかなって」
 成美は胸が温かくなるのを感じた。
 「ありがとう」
 「なんで成美が礼言うんだよ」
 「だって、私、楽しいから」
 その言葉に太陽は少し照れて顔をそむけた。

 潮風に混じって夏草の匂いがする。成美は胸の奥がわずかに痛み、息を整えた。
 「大丈夫?」岳が心配そうに覗き込む。
 「うん、ちょっと休むだけ」
 みんなも立ち止まり、海を見渡した。水平線の向こうに入道雲が浮かんでいる。
 真菜がポツリとつぶやく。
 「なんか、こうしてるだけで特別な時間だね」
 「そうだな」哲平も笑った。「勉強ばっかじゃ息が詰まるし」
 「ほら見ろ、俺の探検計画も悪くないだろ」太陽が得意げだ。
 成美は笑い、少し前屈みになって膝を抱えた。

 病気のことを忘れて笑える時間――それがどれほど貴重か、今さら気づく。
 ドローンを回収した太陽が言った。
 「この映像、編集してみるわ。俺、動画作りも好きなんだ」
 「すごいね」成美が目を丸くする。
 「いや、趣味だから。自分が楽しいだけ」
 「それでいいと思う」岳が言った。「楽しい気持ちは伝わるし」
 太陽は少し照れたように鼻をこすった。

 入り江から引き返す道すがら、成美は足元の小石を蹴った。コツン、と音がして、石が草むらに転がる。
 「なあ成美」岳が並んで歩きながら、視線を横に向けた。「こういうの、久しぶり?」
 「うん……。こうしてみんなと出かけるの、最近はなかったから」
 「そっか。楽しい?」
 問い方がまっすぐすぎて、成美は一瞬言葉を探したが、素直に笑った。
 「楽しいよ」

 潮風に揺れる髪の隙間から、耳がじんわり熱くなる。岳は満足そうにうなずき、少し先を歩く太陽に声をかけた。
 「おーい! その映像、みんなで見るとき教えてな」
 「もちろん!」太陽は振り返り、ドローンケースを軽く叩く。「ちゃんと編集して、BGMもつけるから!」
 「BGM? なに流すの?」哲平が笑う。
 「秘密だって」太陽は意味深に笑い、空を見上げた。「でも盛り上がるやつな」

 真菜はリュックから小さなスケッチブックを取り出して、海を背景にした構図をサッと描き始めた。
 「また絵?」成美が覗き込むと、真菜は首を傾げて照れ笑いする。
 「うん、なんか……この景色、残しておきたくて」
 スケッチブックの紙に、鉛筆が心地よく走る音が響く。その音が、潮騒やカモメの鳴き声に混ざって心地よかった。

 しばらく歩いた先で、丘の上に出る小さな展望台に着いた。
 「ここ、まだ残ってたんだ」成美がつぶやく。
 展望台の木製の柵はところどころ色褪せていたが、海を一望できる景色は昔と変わらない。
 「成美、ここ好きなんだろ?」岳が尋ねる。
 「うん。小学生のころ、父とよく来た場所だから」

 父の背中を思い出す。まだ病気のことも知らず、駆け上がったあの頃。
 (あの時も、風が気持ちよかったな)
 胸の奥に少し切なさがこみあげたが、視界いっぱいに広がる海の青さがそれをやさしく包んだ。

 展望台のベンチに腰掛けると、太陽がドローンを再び飛ばした。
 「今度は展望台からの映像な」
 プロペラ音が響き、ドローンがぐんと高度を上げていく。画面には、紺碧の海と弓なりに伸びた遊歩道が映し出されていた。
 「すげぇ……まるで旅番組みたい」哲平が目を輝かせる。
 「俺、将来こういう映像の仕事するかもな」太陽が言った。
 「いいじゃん、それ」岳が笑った。「絶対向いてるよ」

 成美は、その会話を聞きながら少し胸を押さえた。息が荒いわけじゃない。ただ、こうして未来の話ができる友達がいることが、どうしようもなく嬉しかった。
 (私も……未来のこと、話していいのかな)

 下山する途中、草むらの中からバッタが飛び出し、真菜が小さく悲鳴を上げた。
 「わっ、びっくりした……」
 「ははは、平気だって」岳が笑いながら手を差し伸べ、真菜を引き上げた。
 その自然な仕草に、成美はまた胸が温かくなる。

 学校に戻る頃には夕日が差し込み、校舎の窓ガラスがオレンジ色に光っていた。
 「ねえ、もう一枚撮ろうよ。今度は学校の前で」真菜が言った。
 並んで肩を寄せ、岳がスマホのセルフタイマーをセットする。
 カシャ、とシャッター音がして、全員の笑顔が切り取られた。

 家に帰り、シャワーを浴びた後、成美は机に向かってノートを開いた。
 『今日、楽しかった。また行きたい』
 そう書いてペンを置いたとき、ふっと笑みがこぼれる。
 (病気のことを思い出しても、今日は怖くない……)
 窓の外では、夏の夜風が涼しく頬を撫でた。