七十パーセントの朝焼け—坂の町で交わす未来の手紙—

 九月五日午前六時。
  病室の空気は少しひんやりとしていて、窓の外には薄い朝靄がかかっていた。
  成美はブレスレットを握りしめ、深呼吸した。(大丈夫。昨日、みんなと約束したんだから)
  母がそっと肩に手を置いた。
 「頑張ろうね」
 「うん」
  短い会話のあと、ストレッチャーに乗せられた成美は手術室へ運ばれていった。
  学校の屋上では、五人が夜明けの空を見上げていた。
  岳は両手をポケットに突っ込み、低くつぶやく。「成美、きっと帰ってくる」
  太陽はドローンを準備していた。
 「リアルタイムで空を撮影して、成美が戻ったら見せたい」
  百合子は原稿を抱え、真菜は花飾りを手にしている。哲平は拳を握りしめ、言葉を選んだ。
 「俺たちも……信じよう」
  手術室の扉が閉まる音がした瞬間、成美は無意識に祈るように目を閉じた。(怖くない。みんながいる)
  医師たちの声と機械音が響く中、麻酔が効き始め、世界が静かに遠のいていく。
  屋上では百合子が放送用マイクを握り、深呼吸した。
 「これより、成美ちゃん応援メッセージを開始します!」
  スピーカーから元気な声が響き渡り、校庭にいた生徒たちが足を止める。
  哲平が読み上げた。
 「成美、君の頑張りを俺たちは見てきた。だから必ず戻ってこい!」
  真菜は小さな声で続ける。「ずっと一緒に、夢を書き足していこうね」
  岳が最後に一歩前に出た。
 「成美! 俺たち、ここで待ってる。朝日を一緒に見るって約束、破らないでくれ!」
  その言葉に、百合子は涙をこらえきれずに声を震わせた。
 「みんなで――未来を守ろうって言ったじゃない……だから」
  屋上の全員が空を見上げた。
  朝日が雲の切れ間から顔を出し、淡い光が屋上を包み込む。
  手術室では、医師が声を掛け合いながら作業を進めていた。
 「心拍、安定しています」
 「人工心肺、開始」
  モニターに映る数値が一定のリズムを刻み、成美の小さな胸は規則正しく上下していた。
 (生きたい。みんなとまた笑いたい)
  意識の奥で、成美の心が強く叫んだ。
  時間がゆっくりと進んでいるように感じた。
  手術室では器械の電子音だけが一定のリズムを刻んでいる。
  医師たちは無言で視線を交わし、慎重に心臓にメスを入れた。
 (ここで終わらない。まだ見たい景色がある)
  成美の意識は深い闇に沈んでいく中でも、仲間たちの笑顔を映し続けていた。
  屋上では、百合子が震える声で放送を続けていた。
 「成美ちゃん、聞こえてますか? 私たちはここにいます。……絶対に待ってます」
  真菜は小さな紙風船を膨らませ、手を合わせる。
 「みんなで見ようって言ったでしょ……花火の続きも、まだ残ってるんだから」
  太陽はドローンを飛ばし、街全体を俯瞰する映像を映し出した。
 「これ、退院したら一緒に見ような!」
  岳は静かに目を閉じ、両手を組んだ。(頼む、彼女を守ってくれ)
  手術は長時間に及んだ。
  人工心肺の音、機械の作動音、医師の短い指示が繰り返される。
 「血圧安定。弁置換、順調」
 「よし、閉じます」
  最後の確認が終わった時、執刀医は小さく息を吐いた。「成功だ」
  夕方、岳たちは屋上に残ったままだった。
  百合子が疲れたように腰を下ろし、真菜も泣き腫らした目をこすった。
 「まだ結果は出てないのかな……」
 「でも、絶対大丈夫だよ」太陽が強がるように言う。
  哲平はうなずきながら、拳を強く握った。「信じるしかない」
  その時、岳のスマホが震えた。
 〈手術、成功しました〉母からのメッセージ。
 「……成功だ!」
  叫んだ瞬間、全員が泣きながら抱き合った。
  夜、屋上には星が瞬いていた。
  岳はポケットから成美の未来の手紙を取り出した。
 「読んでいい?」
  全員がうなずいた。
  岳の声が静かに響く。
 〈未来の私へ――生きて、笑って、誰かを生かしてほしい。私はそのためにここにいる。ありがとう、みんな〉
  読み終わると、太陽が空を見上げて笑った。「あいつ、やっぱ強ぇな」
 「ほんとだね」真菜が涙を拭きながら頷いた。
  百合子が笑顔でマイクを握り、校内に向けて最後の一言を放送した。
 「みんな聞いて! 成美ちゃんの手術、成功しました!」
  校庭から歓声が上がる。
  哲平は拳を突き上げた。「次は、退院したらまた花火だな」
  一方、病室では、手術を終えた成美が静かに眠っていた。
  母は椅子に座り、涙をこらえながらその手を握っている。
 「ありがとう……生きてくれて」
  その手に巻かれた銀色のブレスレットが小さく光を返していた。
  夜更け、屋上に残った岳は一人空を見上げた。
 「成美、朝日は一緒に見ような」
  彼の目に浮かんだのは、未来へ続く道を信じる強い光だった。
  翌朝、学校の屋上に再び五人が集まった。
  東の空がゆっくりと明るくなり、朝日が顔を出す。
  岳はスマホを取り出し、病室にいる母へライブ映像を送った。
 〈成美、これが約束の朝日だよ〉
  画面越しに眠っている成美の顔が映った。
  ほんの一瞬、まぶたが動いたように見え、全員が息を呑んだ。
 「……見てたよな」哲平が小さくつぶやいた。
  百合子は涙をこぼしながら笑った。「絶対、またここに立てるよ」
  朝日が校舎を照らし、彼らの影を長く伸ばしていた。