九月四日の夕方、病院の窓辺に立った成美は、街を染める夕陽をじっと見下ろしていた。
オレンジ色の光が病室の白い壁を淡く照らし、消毒液の匂いが微かに漂っている。窓ガラスに映る自分の顔は少し青白いけれど、その目は揺らいでいなかった。
(明日はいよいよ心臓の手術……でも、もう怖くない。だって――)
胸の奥が少し苦しかったが、どこか不思議な静けさもあった。今までの成美なら、震える手で布団を握りしめて眠れぬ夜を過ごしていただろう。だが今は違った。繰り返した時間の中で得た仲間との絆が、彼女の心を確かに支えていた。
(もう、やれることはやった。今日は……みんなに会いたい)
スマホを開くと、岳からメッセージが届いていた。
〈屋上、準備できた〉
その一文を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
学校までの道のりを歩くと、夕方の風が頬を優しくなでた。信号待ちで空を見上げれば、群青色の空に一番星が輝き始めている。
(これが、あの“繰り返した時間”の先にある景色なんだ)
学校の階段を上り、屋上の扉を開けると――目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
柵には無数の小さなランプが取り付けられ、柔らかな光が屋上全体を優しく包んでいる。中央には白いシーツが大きく広げられ、その上にプロジェクターやスピーカー、小さなテーブルが並べられていた。
太陽・真菜・哲平・百合子、そして岳が笑顔で待っていた。
「いらっしゃい、今日の主役」岳が照れくさそうに言った。
「すごい……」成美は思わず両手で口を覆った。
プロジェクターが点灯し、太陽のドローンで撮影した夏祭りの花火映像が流れ始めた。夜空一面に咲き誇る光の花が白いシーツに鮮やかに映し出され、まるで本物の夜空を見ているかのようだった。
「本物の花火は延期になったけど、これなら見られるだろ?」太陽が誇らしげに胸を張る。
哲平が小さなスピーカーを置き、穏やかな音楽を流した。
「本日の特別企画! 成美ちゃんに贈る花火上映会!」百合子がマイクを握り、明るい声を響かせる。
真菜が手作りの紙吹雪を投げ、ひらひらと色とりどりの紙が舞った。
成美は笑いながら涙をこぼした。「ありがとう……本当にありがとう」
岳が隣に立ち、そっと肩を支えた。「約束しただろ。未来のために、今を残そうって」
映像の最後に、あの日書いた未来の手紙が映し出された。
〈術後の私へ。きっと、あなたはまだ少し怖いと思う。でも、私はあなたを信じている。あなたの心臓はきっと強くなる。だから――誰かを生かすために生きてほしい〉
スクリーンに映る自分の文字を見た瞬間、胸が熱く締め付けられ、口元を押さえたまま声にならない声を漏らした。
岳がそっと言う。「この手紙、俺たちも読んだよ……すごかった」
百合子が目を潤ませてうなずいた。「成美ちゃん、すごいよ」
太陽が続ける。「だから今日は、未来のためにやりたいこと、全部やろうって決めたんだ」
真菜が小さなケーキを持ってきた。上には小さなろうそくが一本立っている。
「え、これ……」
「プレ手術祝い!」百合子が元気よく宣言する。
火がともり、みんなで拍手した。
「願い事を言って、消して」岳が促す。
成美は目を閉じてつぶやいた。(みんなの未来が、ずっと笑っていられますように)
ふっと吹き消すと、温かな拍手と笑い声が夜空に響いた。
上映会は終わっても、誰も帰ろうとしなかった。みんなの笑顔と声が、いつまでも屋上に残っているように感じられた。
岳がポケットから小さな箱を取り出す。「これ、俺たちから」
箱を開けると、銀色の小さなブレスレットが光を反射してきらりと輝いた。
「お守り。術後もずっとつけててくれ」
成美は震える指でそれを受け取り、涙が頬を伝った。「ありがとう……絶対、つける」
夜風が頬をなで、見上げた空には雲間から月が静かにのぞいている。
成美は静かに言った。「明日、頑張るね」
岳がうなずいた。「うん、俺たちも頑張るよ。成美が戻ってくる未来を守るために」
仲間たちの笑顔が、何よりも力になった。
帰宅した成美は、ブレスレットをそっと握りしめながら夢ノートを開いた。
〈手術前夜、みんなと未来を誓った〉
その一文をゆっくり書き終えた瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。ページを閉じ、胸に手を当てると、心臓の鼓動がしっかりと生きているのを感じた。少し速かったが、それは恐怖ではなく期待の鼓動だった。
(明日は、きっと大丈夫)
ベッドに横になると、病院特有の静けさがいつもより濃く感じられた。機械の低い電子音や、廊下を通る看護師の足音が遠くに聞こえる。だがその静けさの中で、昼間のみんなの笑顔を思い出すと、胸の奥がぽかぽかと温かくなり、自然と涙がこぼれた。
(私は一人じゃない。あの時間を繰り返してきたのは、この夜に出会うためだったんだ)
枕元には仲間からもらったブレスレットが淡く光を反射している。手を伸ばし、それをそっと握りしめて目を閉じた。
夜中、ふと目を覚ました成美は、病室の窓を見やった。外の空には一筋の流れ星が光を引きながら落ちていった。
「……ありがとう」成美は小さな声でつぶやいた。
それは誰に向けてか、自分でもはっきりとは分からなかった。仲間たちか、未来の自分か、それともあの日繰り返された時間か――ただ、自然とそう言葉がこぼれた。
ブレスレットをもう一度握り、再び目を閉じた。手術を控えた緊張感は不思議と薄れ、代わりに「生きたい」という強い気持ちだけが胸に残っていた。
朝が来た。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光がベッドを照らし、昨日までの不安が少しずつ薄れていくのを感じた。
「おはよう、成美。準備、できてる?」母が病室に入ってきた。
穏やかな声に成美は笑顔を返し、「うん」と短く答えた。
制服の代わりに着る手術着はまだ身体に馴染まない。でも、ブレスレットだけはしっかりと左手首にかけた。
(この未来は、私が選んだものだ)
病院の廊下を歩きながら、成美は心の中で仲間の名前を一人一人呼んだ。
(太陽、真菜、哲平、百合子、岳……みんなのために、生きて帰る)
足取りは軽くはなかったが、確かな力が足元を支えていた。
手術室の前に着くと、白衣を着た医師が微笑んで待っていた。
「大丈夫ですよ、準備は万端です」
その声に成美は深く頭を下げた。「お願いします」
扉が閉まる瞬間、胸の奥で強く叫んだ。(ありがとう、みんな)
そのころ、学校の屋上には五人が集まっていた。
昨日まであった映像機材は片付けられていたが、その代わりに大きな白布と一枚の紙が置かれている。
それは成美が未来に宛てて書いた「未来の手紙」だった。
百合子が深呼吸して、その紙を朗読し始めた。
〈術後の私へ――あなたは、きっと今も怖さを抱えているでしょう。でも、この心臓はみんなに生かされている。だから、誰かを笑顔にするために使ってほしい。私は未来を信じている〉
朗読する声は震えていたが、最後までしっかりと届いた。
読み終えると、太陽が拳を握った。「絶対、あいつは戻ってくる」
真菜はハンカチで目元を押さえ、哲平は無言でうなずいた。
岳は東の空を見上げ、低くつぶやいた。「約束だ、成美」
手術室の中、成美の胸は静かに上下していた。麻酔の中で意識が遠のく直前、彼女は小さく微笑んでいた。
(私、生きる。みんなと――また朝日を見よう)
オレンジ色の光が病室の白い壁を淡く照らし、消毒液の匂いが微かに漂っている。窓ガラスに映る自分の顔は少し青白いけれど、その目は揺らいでいなかった。
(明日はいよいよ心臓の手術……でも、もう怖くない。だって――)
胸の奥が少し苦しかったが、どこか不思議な静けさもあった。今までの成美なら、震える手で布団を握りしめて眠れぬ夜を過ごしていただろう。だが今は違った。繰り返した時間の中で得た仲間との絆が、彼女の心を確かに支えていた。
(もう、やれることはやった。今日は……みんなに会いたい)
スマホを開くと、岳からメッセージが届いていた。
〈屋上、準備できた〉
その一文を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
学校までの道のりを歩くと、夕方の風が頬を優しくなでた。信号待ちで空を見上げれば、群青色の空に一番星が輝き始めている。
(これが、あの“繰り返した時間”の先にある景色なんだ)
学校の階段を上り、屋上の扉を開けると――目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
柵には無数の小さなランプが取り付けられ、柔らかな光が屋上全体を優しく包んでいる。中央には白いシーツが大きく広げられ、その上にプロジェクターやスピーカー、小さなテーブルが並べられていた。
太陽・真菜・哲平・百合子、そして岳が笑顔で待っていた。
「いらっしゃい、今日の主役」岳が照れくさそうに言った。
「すごい……」成美は思わず両手で口を覆った。
プロジェクターが点灯し、太陽のドローンで撮影した夏祭りの花火映像が流れ始めた。夜空一面に咲き誇る光の花が白いシーツに鮮やかに映し出され、まるで本物の夜空を見ているかのようだった。
「本物の花火は延期になったけど、これなら見られるだろ?」太陽が誇らしげに胸を張る。
哲平が小さなスピーカーを置き、穏やかな音楽を流した。
「本日の特別企画! 成美ちゃんに贈る花火上映会!」百合子がマイクを握り、明るい声を響かせる。
真菜が手作りの紙吹雪を投げ、ひらひらと色とりどりの紙が舞った。
成美は笑いながら涙をこぼした。「ありがとう……本当にありがとう」
岳が隣に立ち、そっと肩を支えた。「約束しただろ。未来のために、今を残そうって」
映像の最後に、あの日書いた未来の手紙が映し出された。
〈術後の私へ。きっと、あなたはまだ少し怖いと思う。でも、私はあなたを信じている。あなたの心臓はきっと強くなる。だから――誰かを生かすために生きてほしい〉
スクリーンに映る自分の文字を見た瞬間、胸が熱く締め付けられ、口元を押さえたまま声にならない声を漏らした。
岳がそっと言う。「この手紙、俺たちも読んだよ……すごかった」
百合子が目を潤ませてうなずいた。「成美ちゃん、すごいよ」
太陽が続ける。「だから今日は、未来のためにやりたいこと、全部やろうって決めたんだ」
真菜が小さなケーキを持ってきた。上には小さなろうそくが一本立っている。
「え、これ……」
「プレ手術祝い!」百合子が元気よく宣言する。
火がともり、みんなで拍手した。
「願い事を言って、消して」岳が促す。
成美は目を閉じてつぶやいた。(みんなの未来が、ずっと笑っていられますように)
ふっと吹き消すと、温かな拍手と笑い声が夜空に響いた。
上映会は終わっても、誰も帰ろうとしなかった。みんなの笑顔と声が、いつまでも屋上に残っているように感じられた。
岳がポケットから小さな箱を取り出す。「これ、俺たちから」
箱を開けると、銀色の小さなブレスレットが光を反射してきらりと輝いた。
「お守り。術後もずっとつけててくれ」
成美は震える指でそれを受け取り、涙が頬を伝った。「ありがとう……絶対、つける」
夜風が頬をなで、見上げた空には雲間から月が静かにのぞいている。
成美は静かに言った。「明日、頑張るね」
岳がうなずいた。「うん、俺たちも頑張るよ。成美が戻ってくる未来を守るために」
仲間たちの笑顔が、何よりも力になった。
帰宅した成美は、ブレスレットをそっと握りしめながら夢ノートを開いた。
〈手術前夜、みんなと未来を誓った〉
その一文をゆっくり書き終えた瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。ページを閉じ、胸に手を当てると、心臓の鼓動がしっかりと生きているのを感じた。少し速かったが、それは恐怖ではなく期待の鼓動だった。
(明日は、きっと大丈夫)
ベッドに横になると、病院特有の静けさがいつもより濃く感じられた。機械の低い電子音や、廊下を通る看護師の足音が遠くに聞こえる。だがその静けさの中で、昼間のみんなの笑顔を思い出すと、胸の奥がぽかぽかと温かくなり、自然と涙がこぼれた。
(私は一人じゃない。あの時間を繰り返してきたのは、この夜に出会うためだったんだ)
枕元には仲間からもらったブレスレットが淡く光を反射している。手を伸ばし、それをそっと握りしめて目を閉じた。
夜中、ふと目を覚ました成美は、病室の窓を見やった。外の空には一筋の流れ星が光を引きながら落ちていった。
「……ありがとう」成美は小さな声でつぶやいた。
それは誰に向けてか、自分でもはっきりとは分からなかった。仲間たちか、未来の自分か、それともあの日繰り返された時間か――ただ、自然とそう言葉がこぼれた。
ブレスレットをもう一度握り、再び目を閉じた。手術を控えた緊張感は不思議と薄れ、代わりに「生きたい」という強い気持ちだけが胸に残っていた。
朝が来た。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光がベッドを照らし、昨日までの不安が少しずつ薄れていくのを感じた。
「おはよう、成美。準備、できてる?」母が病室に入ってきた。
穏やかな声に成美は笑顔を返し、「うん」と短く答えた。
制服の代わりに着る手術着はまだ身体に馴染まない。でも、ブレスレットだけはしっかりと左手首にかけた。
(この未来は、私が選んだものだ)
病院の廊下を歩きながら、成美は心の中で仲間の名前を一人一人呼んだ。
(太陽、真菜、哲平、百合子、岳……みんなのために、生きて帰る)
足取りは軽くはなかったが、確かな力が足元を支えていた。
手術室の前に着くと、白衣を着た医師が微笑んで待っていた。
「大丈夫ですよ、準備は万端です」
その声に成美は深く頭を下げた。「お願いします」
扉が閉まる瞬間、胸の奥で強く叫んだ。(ありがとう、みんな)
そのころ、学校の屋上には五人が集まっていた。
昨日まであった映像機材は片付けられていたが、その代わりに大きな白布と一枚の紙が置かれている。
それは成美が未来に宛てて書いた「未来の手紙」だった。
百合子が深呼吸して、その紙を朗読し始めた。
〈術後の私へ――あなたは、きっと今も怖さを抱えているでしょう。でも、この心臓はみんなに生かされている。だから、誰かを笑顔にするために使ってほしい。私は未来を信じている〉
朗読する声は震えていたが、最後までしっかりと届いた。
読み終えると、太陽が拳を握った。「絶対、あいつは戻ってくる」
真菜はハンカチで目元を押さえ、哲平は無言でうなずいた。
岳は東の空を見上げ、低くつぶやいた。「約束だ、成美」
手術室の中、成美の胸は静かに上下していた。麻酔の中で意識が遠のく直前、彼女は小さく微笑んでいた。
(私、生きる。みんなと――また朝日を見よう)


