七十パーセントの朝焼け—坂の町で交わす未来の手紙—

 八月三十一日。
 夏休みが終わり、学校に再び活気が戻ってきた。昇降口には生徒たちの賑やかな声が響き、教室の窓から差し込む光が床に淡く広がっている。

 成美は窓辺に立ち、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
 (もう繰り返してない。ちゃんと未来に進んでる)
 何度も同じ一日を過ごした記憶が、心の奥にまだ残っている。それでも今日は違う日だと感じられた。

 しかし、心の奥に小さな不安が残っていた。
 (あの時間跳躍が終わっても……私の手術は近づいている)
 カレンダーに記された日付がじわりと胸に重さをもたらす。

 放課後、岳が成美の前に立った。
 「成美、今日ちょっと屋上、来ない?」
 その声は優しかったが、どこか照れが混じっているようにも聞こえた。
 成美がうなずくと、そこには太陽、真菜、哲平、百合子の姿もあった。

 「これ、何?」成美は首を傾げた。
 太陽が笑って答える。「サプライズ。……花火のリハーサル」

 屋上には小型のプロジェクターが置かれ、太陽が撮影したドローン映像が準備されていた。
 「本物の花火じゃないけど、映像で雰囲気を出そうと思って」太陽が少し照れくさそうに言った。
 「練習すれば本番はもっと派手にできるしね」哲平が笑う。
 百合子が原稿を胸に抱えたまま、柔らかな笑みを向けた。「成美、これ見て元気になってね」

 プロジェクターが映し出す夜空は濃紺に染まり、その上に次々と色とりどりの花火が咲いた。
 赤、青、金、白。まるで本物の夏の夜空を切り取ったような映像だった。
 成美は胸がいっぱいになり、言葉を失った。
 (これが……みんなが考えてくれた未来なんだ)

 目尻が熱くなり、ハンカチでそっと押さえる。
 「ありがとう……本当にありがとう」

 岳が横で照れ笑いを浮かべた。「本番は、手術前夜にやろう。成美に、未来を約束するために」
 その言葉に、みんなが力強くうなずいた。

 成美は心臓が早鐘を打つのを感じながらも微笑んだ。
 (私、怖いけど……この人たちがいる限り大丈夫)

 帰宅後、成美は机に向かい、夢ノートを開いた。
 ページには、これまでの願いと仲間たちとの約束がぎっしり書き込まれている。

 〈夏祭りの花火を屋上でみんなと見たい〉
 その文字を指先でなぞりながら、成美は小さく笑った。
 (この夢は、もう叶ったも同然だ)

 その夜、布団に入った成美はスマホを握りしめ、岳たちのグループトークを開いた。
 〈今日はありがとう。最高だった〉
 送信すると、すぐに返信が次々と届いた。

 太陽:〈本番はもっと派手にするから期待して!〉
 百合子:〈MCもちゃんと練習するね!〉
 哲平:〈BGMは俺に任せろ〉
 真菜:〈飾り付け用の小物、作っておくね〉
 岳:〈成美が笑ってくれたなら、それで充分〉

 その文字列を見つめるうちに、胸の奥がじんわりと熱くなった。
 (こんなふうに、誰かと未来を描けるって、すごいことなんだ)

 翌朝、登校する足取りは自然と軽くなっていた。
 昇降口で真菜が駆け寄ってくる。
 「成美、最近すごく元気になったよね」
 「そう見える?」
 「うん。なんか、前より目が輝いてる」
 成美は少し照れながら笑った。
 (そうだ、私は変わったんだ。繰り返しを抜けて、未来を選んだ)

 放課後、哲平に呼び出されて武道場に行くと、彼は竹刀を構えていた。
 「ちょっと、見ててくれ」
 汗が背中を濡らす剣道着。その姿勢は真剣そのものだった。
 哲平は気合の声を上げる。「面!」
 竹刀が空を切り、足の踏み込み音が道場に響く。

 成美は拍手を送った。「すごい、前より速い!」
 哲平は照れくさそうに肩をすくめる。「実はさ……将来、剣道じゃなくて音楽もやりたくて。だから体力つけとこうと思って」
 「絶対できるよ」
 その言葉に、哲平は目を逸らしながらも口元を少しだけ緩めた。

 図書室では真菜が色紙を切っていた。
 「何してるの?」
 「屋上の飾り。みんなで花火を見るでしょ? 背景も少しでも綺麗にしたいから」
 その丁寧な手つきに、成美は目を細めた。「真菜って、本当に裏方が似合うね」
 「でもね、ちょっと前に言ったでしょ。前に出てみたいって。だから、当日は司会も少しやらせてもらおうかなって」
 「いいじゃん! すごく似合うと思う」

 放送室では百合子が原稿を抱えていた。
 「当日のコメント、どうしようかな……泣かせる系がいい?」
 「泣かせるのはやめようよ。笑わせてよ」
 百合子は口を尖らせつつも、にやりと笑った。「じゃあ、全力でハッピーにする」

 最後に岳がノートPCを見せてきた。
 「ドローン映像の編集、もう少しで完成。……これ、絶対驚くよ」
 画面には夜景と花火が重なった鮮やかな映像が映っている。
 「岳、本当にすごいね」
 「俺だけじゃない。みんなで作ったんだ」

 帰り道、成美は空を見上げた。西の空には細い月が淡く浮かんでいる。
 (この空の下で、みんなと笑っていられる時間があるだけで、私は幸せだ)

 家に帰ると、母が夕食の準備をしていた。
 「成美、なんだか顔色がいいわね」
 「うん、ちょっとね。いいことがあったの」
 「そう。それは嬉しいわ」
 食卓についたとき、母がふと真剣な顔をした。
 「手術のこと……怖い?」
 成美は一瞬、言葉を探した。そしてゆっくりとうなずく。
 「怖い。でも、前よりずっと大丈夫になったよ」
 「どうして?」
 「支えてくれる人がいるから。……私、幸せだなって思えるんだ」
 母の目が少し潤んだ。「そう言ってくれてありがとう」

 その夜、成美は夢ノートを再び開いた。
 そこには繰り返していた日々の記録が残っている。
 初めて岳に声をかけられた朝。
 夢の計画ノートを始めた日。
 仲間と喧嘩し、泣きながら向き合った夜。
 そして何度も繰り返した八月二十五日。

 (全部、私を変えてくれた日なんだ)

 ページをめくると、未来のために書いた数々のメッセージが目に入る。
 〈太陽:映像で笑顔を集めたい〉
 〈哲平:音楽で心を揺さぶりたい〉
 〈百合子:声で人を支えたい〉
 〈真菜:裏方だけでなく前にも立ちたい〉
 〈岳:街をよくする大人になりたい〉

 それぞれの言葉が、成美にとって宝物のように輝いて見えた。
 (あの時間跳躍がなかったら、私はみんなの心を知らないままだったかもしれない)

 ペンを取り、成美は新しいページにこう書き足した。
 〈この日記を続ける。どんな未来になっても、みんなと一緒に書き足していく〉

 ペン先が止まったとき、胸の奥からじんわりと温かさが広がった。
 「明日も、ちゃんと生きる」

 翌朝、通学路は蝉の声と朝の風で満ちていた。
 成美はスニーカーの音を響かせながら歩く。
 (手術が近いっていうのに、不思議と怖くない。だって――)
 脳裏に浮かぶのは、昨日の仲間たちの笑顔だった。

 教室に入ると、太陽が声をかけた。
 「おはよう! 今日はなんか顔つき違うな」
 「そう?」成美は首をかしげる。
 「うん、なんか強そう」
 「強そうってなにそれ」
 二人の会話に、真菜や百合子が笑いながら加わった。

 「成美、来週の花火、本当に楽しみだね」
 「うん。絶対に行こうね」

 その時、岳が少し真剣な顔をして近づいてきた。
 「成美、放課後、ちょっと屋上来ない?」

 屋上に出ると、夏の名残を感じる風が頬をなでた。
 沈みかけた夕日が校庭を赤く染めている。
 岳が静かに言った。
 「昨日の話だけどさ……本当に未来を変えられると思う?」
 成美は一瞬だけ迷ったが、はっきりと頷いた。
 「うん、みんなで動けば、絶対に変えられる」
 岳は目を細めて笑った。「ならさ、これからも一緒に考えてくれよ」
 「もちろん」

 しばらく二人は黙って景色を見つめていた。
 屋上の柵越しに見える街の明かりが一つ、また一つと灯っていく。
 (この街、この仲間、この時間……全部が私の未来につながってる)

 家に帰ると、母が夕食を用意して待っていた。
 「成美、今日はいい顔してるわね」
 「うん、ちょっとね。いいことがいっぱいあったの」
 「そう。それは嬉しいわ」

 食後、成美は自分の部屋に戻り、夢ノートの最初のページを開いた。
 〈夏祭りの花火を屋上でみんなと見たい〉
 初めて書いた願いがそこにあった。
 (まだ完全には叶ってないけど……もうすぐ叶う。今度こそ)

 ペンを取り、今日のページに書き足す。
 〈未来は進んだ。みんなで守ると決めた日〉

 書き終えた瞬間、胸の奥から込み上げてくるものがあり、成美はそっと笑った。
 「ありがとう」

 窓の外には、雷ではなく夕立上がりの虹がかかっていた。
 薄いオレンジ色の空に浮かぶ虹の弧を見て、成美は小さな声で呟いた。
 「進んでる……ちゃんと」

 その虹は、まるで未来への架け橋のように思えた。
 (次は……花火だね。必ず、みんなと笑って見上げるんだ)