七十パーセントの朝焼け—坂の町で交わす未来の手紙—

 成美はゆっくりとまぶたを開けた。耳に届いたのは鳥のさえずりと、窓から差し込む朝の光。時計に目をやると針は午前七時を示していた。日付は――八月二十五日。
 「……また?」
 四回目。思わず声が漏れる。昨日の夜、確かに布団に入ったはずだ。それなのに、目覚めればまた同じ日が始まっている。

 胸の奥で不安と恐怖がせめぎ合い、同時にどこか冷静な感覚もあった。恐怖で押しつぶされそうなのに、なぜか頭は澄んでいる。(もう抗えない流れなら、何か変えなくちゃ)

 学校へ向かう道も、朝の空気も、昨日までと変わらない。だが自分の心の色だけは少し違っていた。

 校門に立っていた岳が、いつもと同じ笑顔で手を振る。
 「おはよう、成美」
 「……うん、おはよう」
 返した笑顔には、昨日までの不安な影がなかった。
 (どうせ同じことが起きる。でも……今日は違う私でいたい)

 授業も同じ、放課後も同じ。放送室には白い便箋とペンが並び、仲間たちの視線が集まる。「未来の手紙を書こう」という岳の提案も、百合子の「面白そう」という声も、全部覚えがあった。
 でも今日は違うことをすると決めていた。

 「みんなにお願いがあるの」成美は深呼吸し、言葉を放った。「もし……もし私がいなくなったら、どうする?」
 空気が凍り、全員が動きを止めた。
 「何言ってんだよ!」哲平が机を叩いて声を上げた。
 「そうだよ、縁起でもないこと言わないでよ」百合子も眉をひそめる。

 成美は笑った。泣き出しそうな自分を抑えながら。
 「でも考えてほしいの。私じゃなくても、みんなには夢があるでしょ?」

 沈黙の中で、太陽が口を開いた。「俺……正直、自分のことしか考えてなかった。ドローンだって、自分が楽しいからやってるだけだ」
 「それでいいと思うよ」成美は静かに微笑んだ。「だって、自分が楽しめないと、誰かを笑わせられないでしょ」

 真菜が手をぎゅっと握った。「私は……影で支えるのが好き。でも……たまには前に出てもいいのかな」
 「絶対いいと思う」成美は力を込めて言った。

 百合子はうつむいていたが、ぽつりとこぼした。「私は人を元気づけるのが好き。でも、自分が泣きそうなときは……どうすればいい?」
 「泣いていいんだよ。泣いた後で、また声を届ければいいんだよ」

 哲平が唇を噛んでいたが、やがて顔を上げた。「俺……勝負ばっかで、本当は負けるのが怖いんだ」
 「怖いから頑張れるんじゃないかな」成美はまっすぐに目を合わせた。

 岳がゆっくりと口を開いた。「俺は……理想ばかりで、現実を見てなかった」
 「それでもいいよ。誰かが理想を言わないと、未来は変わらないんだから」

 その時、雷鳴が響いた。稲光が窓を白く染める。
 「また……!」成美は思わず立ち上がった。
 だが今度は倒れなかった。代わりに、仲間全員を見回して言った。
 「ありがとう。私、もう怖くない」

 光が世界を包み――成美は再び目を覚ました。
 また八月二十五日の朝。しかし胸の奥は軽かった。
 (繰り返してもいい。みんなと向き合えば、きっと鍵が見つかる)

 朝食の席で母に「ありがとう」と言い、学校でも笑顔を絶やさなかった。
 放課後、図書室で真菜がぽつりとつぶやく。「成美ってさ……前より強くなったよね」
 「そうかな?」
 「うん、なんか芯があるっていうか」
 岳も頷いた。「俺もそう思う。……あの『未来の手紙』のせい?」
 「かもね」成美は笑った。

 雷鳴はまだ訪れていない。(もし今日も繰り返すなら、次は……もっとみんなの夢を知りたい)

 夜、夢ノートを開き、ペンを走らせる。
 〈もし繰り返すなら、私はもっと人を知りたい。もっと心を開きたい〉
 書き終えた瞬間、胸の奥に温かな炎が灯った。

 目を閉じると、また雷鳴――。
 目覚めると、同じ朝。
 (やっぱり今日も……でも、もう怖くない)

 学校に着いた成美は太陽に声をかけた。「ねえ、太陽。ドローンで何撮りたいの?」
 「え、なんで?」太陽が驚く。
 「ずっと気になってたの」
 太陽は少し照れて笑った。「本当は、人の笑顔を集めたいんだ。綺麗な景色だけじゃなくて」
 「いい夢だね」成美が微笑むと、太陽の頬が赤くなった。

 昼休み、成美は哲平に声をかけた。
 「ねえ、哲平。どうして剣道を続けてるの?」
 「……昔、弱かったから。強くなりたくてさ」
 「もう十分強いじゃない」成美はにっこり笑った。
 哲平は少し視線を逸らし、唇を噛んだ。「いや、まだだ。負けるのが怖いんだよ」
 「怖いのは真剣だからでしょ?」成美の声は柔らかかった。

 午後の休み時間、百合子が放送室にいた。マイクの前に座り、原稿を整理している。
 「百合子って、どうしてそんなに放送が好きなの?」成美は素直に尋ねた。
 百合子は目を瞬き、そして小さな声で答えた。「……誰かが元気になってくれるから。でも、自分が落ち込むと……声を出すのが怖い」
 「それでも声を届けられるの、すごいよ」成美はそっと肩に手を置いた。

 放課後の図書室。真菜は本の整理をしていた。
 「真菜は影で支えるのが好きなんだよね?」
 「うん……目立つの苦手。でも、本当はもっと認められたいのかも」
 「いいじゃん、それで」成美は笑ってみせた。「その気持ち、大事だと思う」
 真菜は少し頬を染め、「ありがとう」と小さく言った。

 夕方、成美は岳を屋上に呼んだ。
 「岳は、なんでそんなに理想を語るの?」
 「俺しか言わないと、誰も言わなくなるから。でも……時々、虚しくなるんだ」
 「そんなことないよ。理想は誰かが口にしなきゃ始まらないでしょ」成美の言葉に、岳はしばらく黙った後、微笑んだ。

 そのとき、また雷鳴が響いた。空が白く染まる――。
 だが成美はもう目を閉じなかった。代わりに深呼吸し、はっきりと呟いた。
 「何度でも、みんなの夢を聞きたい」

 目を開けると、また朝。八月二十五日。
 (いいよ。何度でも繰り返せばいい。そのたびに、みんなのことを知れる)

 その日の夕方、夢ノートを開いた成美は、一人一人の言葉を書き込んでいった。
 〈太陽:笑顔を集めたい〉
 〈哲平:負けるのが怖い〉
 〈百合子:落ち込んでも声を届けたい〉
 〈真菜:もっと認められたい〉
 〈岳:理想を語り続けたい〉
 ペンを置いたとき、胸が熱くなった。

 「これ……絶対に忘れない」
 ページを撫でると、涙が一粒、紙に落ちた。

 雷鳴がまた轟いた。視界が白く染まる――。
 次に目覚めた時もまた同じ朝。
 (次は……誰の未来を変えよう?)

 成美は迷いなく制服に袖を通した。