拓実が化学室から持ち帰った箱を開けると、中には小瓶に詰められた蓄光塗料が並んでいた。
 「これ、本当に光るのか?」煌生が覗き込む。
 「試してみよう」拓実は刷毛を取り、試作した羽の一部に塗料を塗った。
  照明を落とすと、淡い緑の光が浮かび上がった。
 「おお……」真紀が息を呑む。
 「これなら夜でも見えるな」拓朗が腕を組む。
  凪紗は手を合わせて目を輝かせた。
 「すごい、本当に星みたい」
  麻友がスケジュール帳を開き、冷静に言った。
 「塗料の乾燥時間を考えると、あと三日で試作を終わらせる必要があるわ」
 「三日か……よし、やろう」煌生は深くうなずいた。
  その横顔を見ていた凪紗の目に、ほんの少し涙がにじんでいた。
  翌日、放課後の屋上は部品と工具であふれていた。拓朗は羽の角度を微調整し、拓実は塗料を均一に塗るための治具を作っている。
  真紀は風速計を片手に雲の動きを見つめ、麻友は全員の体調を気遣って水を配った。
 「煌生、これ持ってて」
  凪紗が小さな紙袋を差し出した。中には星の模様が描かれたお守りが入っている。
 「何だこれ」
 「お守り。ちゃんと飛ぶように、って」
  煌生は照れたように笑い、ポケットにしまった。
  夕暮れ、試作機の翼が完成した。塗料が淡い光を放ち、まるで夜空の欠片のようだった。
 「これ、成功したらきっときれいだよね」凪紗の声は期待で震えていた。
  三日目の夜、全員が屋上に集まった。月明かりの下で試作機がセットされ、淡い緑色の翼が風を受けて揺れている。
 「準備完了」拓朗が声を上げる。
  凪紗は少し息を切らしながらも笑顔を浮かべた。
 「じゃあ……飛ばそう」
  煌生は深呼吸し、発射台のレバーを握った。
 「三、二、一……!」
  勢いよく放たれた翼は、月光を浴びて夜空に舞い上がった。淡い光の軌跡が星座のように描かれ、皆の視線が釘付けになる。
 「きれい……」凪紗がつぶやき、涙をこぼした。
  煌生は隣でその姿を見つめ、胸が熱くなった。
  翼はしばらくの間、夜空を漂った後、静かに校庭に落ちた。
 「成功だな」拓朗が笑みを浮かべる。
  麻友も拍手し、真紀は風速計を握りしめて空を見上げていた。
 「本当に星座みたいだった」真紀の声は興奮に震えていた。
  凪紗はフェンスに寄りかかり、そっと胸を押さえた。
 「ありがとう……みんな」
  その声はかすかで、しかししっかりと響いた。
  煌生はゆっくりと彼女に近づいた。
 「泣くなよ。まだ本番はこれからだ」
 「うん……でも、今、すごく幸せ」
  凪紗の頬を流れる涙に、煌生は何も言わず、ただ空を見上げた。
  帰り道、煌生と凪紗は並んで歩いていた。夜風は涼しく、星々が静かに瞬いている。
 「なあ、あの光……」
 「うん?」
 「お前が言ってた星座みたいな光、実現できるかもしれないな」
  凪紗は小さく笑った。
 「うれしい。でもね、まだ途中なんだ。もっと大きく、もっと遠くまで届く光にしたいの」
  その声は真剣で、煌生は黙ってうなずいた。
  家の前で立ち止まり、凪紗は振り返った。
 「ありがとう。今日、忘れない」
  煌生は照れ隠しのように手を振り、「おう」とだけ言った。
  次の日曜日、凪紗は再び病院に呼ばれていた。検査の結果を待つ間、ベンチに座ってスマホを見つめていると、煌生からメッセージが届いた。
 〈次の発射台、改良しておいた〉
  その短い文を見て、凪紗はふっと笑った。
  診察室から出てきた医師は穏やかな表情だったが、その声色には慎重さが混じっていた。
 「しばらく激しい運動は避けてくださいね」
  その言葉に、凪紗はうなずいた。
  病院の玄関を出ると、煌生が立っていた。
 「迎えに来た」
 「なんでわかったの?」
 「なんとなく……心配で」
  凪紗は少し驚き、そして笑った。
 「ありがとう。でも大丈夫、まだ動けるよ」
  煌生は真剣な表情でうなずいた。
  夕方、二人は屋上に立っていた。夕陽が赤く校庭を染め、風が頬をなでる。
 「今日は飛ばさないの?」凪紗が尋ねる。
 「今日は測定だけだ。風の強さを見て、次の設計に生かす」煌生はメモを取りながら答えた。
  凪紗はフェンスに手をかけ、遠くの雲を見つめた。
 「ねえ、煌生くん。もしこれが完成したら……一番に飛ばすのは誰?」
 「もちろん、俺だ。でもお前の代わりに、って意味だ」
  凪紗は少し目を潤ませ、微笑んだ。
 「ありがとう」
  その声はかすかに震えていて、煌生の胸を締めつけた。
 「絶対に飛ばしてやる。どんな形でもいい、空に届かせる」
  その言葉に、凪紗は小さく頷いた。
  数日後、放課後の屋上には、さらに改良された試作機が並んでいた。
  翼には蓄光塗料が均一に塗られ、軽量化のために骨組みも見直されている。
 「これで夜でもはっきり見えるはずだ」拓朗が満足げにうなずいた。
  真紀は手帳に星図を書き込みながら言った。
 「飛行ルートを星座に合わせてみたいの。あの光が空を走れば、まるで流れ星みたいに見えるよ」
 「いいな、それ」煌生が笑った。
  凪紗は静かに空を見上げていた。
 「夜空に、私たちの光が残るんだね」
  その瞳はどこか切なく、そして嬉しそうに輝いていた。
  その日の作業を終えた後、凪紗はフェンスに寄りかかり、遠くの街灯りを見ていた。
 「ねえ、煌生くん」
 「なんだ?」
 「もしも、この計画が成功したら……きっと忘れられない夜になるよね」
 「ああ、絶対になる」
  煌生は迷いなく言い切った。
  凪紗は微笑み、目を閉じて夜風を感じていた。
 「私、ずっと思ってたの。時間って止められないけど、記憶なら残せるって」
  煌生はその言葉を胸の奥で繰り返しながら、静かに頷いた。
  その横顔を見た凪紗は、少しだけ肩をすくめるように笑った。
 「ありがとう、こんなに真剣になってくれて」
 「当たり前だろ」
  その声に、凪紗は小さく「うれしい」と呟いた。
  帰り道、凪紗は歩きながら星を見上げていた。
 「ねえ、あの星座、知ってる?」
 「オリオン座か?」
 「ううん、カシオペヤ。あの形、ちょっと翼みたいでしょ」
  凪紗の横顔は、どこか子どものように無邪気で、煌生は思わず笑った。
 「確かに、そう見えるな」
 「だからね、あの形をなぞるように飛ばせたら素敵じゃない?」
 「面白いな。それ、本番でやってみよう」
  凪紗はうれしそうに頷き、足取りを軽くした。
  その笑顔を見ながら、煌生は心の中で強く誓った。
 (絶対に、あの空を飛ばしてみせる)
  その夜、煌生は机に向かい、新しい設計図を描いていた。
  ペン先が走る音だけが静かな部屋に響き、窓の外には凪紗が話していたカシオペヤ座が輝いている。
 「なぞるように飛ばす、か……」
  呟く声に力がこもった。
  スマホの通知が鳴る。凪紗からのメッセージだ。
 〈今日、楽しかった。ありがとう〉
  その短い言葉に胸が温かくなり、煌生は返信した。
 〈こっちこそ。必ず完成させる〉
  送信ボタンを押した後、煌生は窓を開けて夜空を見上げた。
 「絶対に、間に合わせる」
  握った拳に力を込め、そのまま設計図へ視線を戻した。