空をなぞる光の翼――余命一年の彼女と僕らの最後の夏

 七月七日、教室には笹の葉が置かれ、色とりどりの短冊が吊るされていた。
 「願い事を書いてね」と担任が笑顔で呼びかけると、クラス中にペンを走らせる音が広がった。
  煌生は迷った。何を書けばいいのか分からない。机に置かれた短冊を指でなぞり、隣を見ると凪紗がじっと空を見ていた。
 「お前はもう書いたのか?」
 「うん」
  凪紗は短冊を差し出した。そこには小さな字で〈星座みたいな光を空に〉と書かれていた。
 「それ、何の意味?」
 「秘密。でもね、きっと綺麗なんだよ」
  凪紗はふわりと笑った。その笑顔に、煌生の胸の奥が温かくなる。
  真紀は短冊に〈雲の裏側を見たい〉と書き、拓実は〈嘘のない翼を作る〉と丁寧な字で記した。
  拓朗は苦笑しながら〈全員で成功させる〉と書き、麻友は〈みんなが笑顔でいられますように〉と控えめに書いていた。
  煌生は結局、何も書かずにペンを置いた。
 「書かないの?」凪紗が首をかしげる。
 「……いいや、俺はいい」
  凪紗は少し考えた後、短冊を一枚取り出して差し出した。
 「じゃあ、私が書いてあげる」
  そう言って、何も聞かずにペンを走らせる。
  できあがった短冊には〈空を飛ぶ〉とだけ大きく書かれていた。
 「勝手に……」
 「いいでしょ? だってこれは私たちの約束だもん」
  凪紗の目はまっすぐで、煌生は反論できなかった。
  その日の放課後、屋上に集まった仲間たちは短冊の話で盛り上がった。
 「光るって、どういう意味なんだろうな」拓朗がつぶやく。
 「星図と関係ありそう」真紀が空を指差す。
  凪紗は照れくさそうに笑いながら、少しだけ視線を伏せた。
  夕暮れが近づき、風が少し強まった。屋上のフェンス越しに見える空は、薄紫に染まっている。
 「この風なら、光らせても面白いかもな」拓実が口にした。
 「光らせる?」煌生が聞き返す。
 「夜でも見えるようにするんだよ。蓄光塗料とか使えば」
  真紀が手を叩いた。
 「それなら私、星図を作るよ。どんな軌跡なら綺麗か、空に描けるように」
  麻友も頷いた。
 「じゃあ、私が全体のスケジュールを調整する。夏休み前に試作を終わらせよう」
  凪紗は黙って皆のやり取りを見ていたが、やがて口を開いた。
 「ありがとう。みんなが協力してくれて、本当にうれしい」
  その目は少し潤んでいて、煌生は何も言えずに空を見上げた。
  その夜、煌生は自宅で短冊を見つめていた。〈空を飛ぶ〉と書かれた文字が、やけに重く胸に響く。
  窓を開けると、遠くで祭囃子の練習の音が聞こえた。七夕の夜、街は賑わっているはずなのに、胸の奥は妙に静かだった。
 「俺は……何を書けばよかったんだろうな」
  独り言は空気に溶け、返事は返ってこない。
  スマホが震え、凪紗からのメッセージが届いた。
 〈短冊、ありがとう。あれ、きっと叶うよ〉
  煌生はその画面を見て、ふっと笑った。
 「そうだな。絶対に叶えよう」
  そうつぶやくと、設計図を開き、ペンを握った。
  翌朝、凪紗は教室に現れた。少し顔色は青白かったが、笑顔は健在だった。
 「昨日の短冊、みんな見た?」
 「見た見た! 星座みたいな光って、何だよあれ」拓朗が笑う。
 「秘密だって言ったでしょ」
  凪紗は悪戯っぽくウィンクし、席についた。
  昼休み、凪紗は屋上に呼び出した。煌生だけが来て、二人きりになる。
 「……あのね、私さ、叶えたいことがあるの」
 「空を飛ぶってやつ?」
 「うん。でも、ただ飛びたいんじゃない。光をまとって、夜空を駆け抜けたいんだ」
  その声はかすかに震えていた。
  煌生は黙って頷き、ポケットの短冊を取り出した。
 「昨日、これ書けなかったけど……」
  そこには〈凪紗の願いを叶える〉と書かれていた。
 「ありがとう」
  凪紗の瞳に光が宿り、笑顔が広がった。
  放課後、仲間たちが屋上に集まった。拓朗が図面を広げ、麻友が材料のチェックを行い、真紀は空の写真を撮りながら風向きを記録している。
 「夜空を駆け抜けるって、ロマンあるな」拓実が笑った。
 「けど、それだけ難しい」拓朗が答え、バネの強度計算を指で示す。
 「だからこそ面白いんだろ」煌生は設計図を覗き込みながら言った。
  凪紗はフェンス際に立ち、ゆっくりと空を仰いだ。
 「もしこれが成功したら、私、泣いちゃうかも」
  その横顔はいつもより儚げで、煌生の胸に重く響いた。
  夕陽が屋上を染め、風が少し冷たくなる。
 「よし、今日はここまでにしよう」麻友の声で作業が終わる。
  煌生は凪紗のそばに歩み寄り、そっと言った。
 「絶対、飛ばすから」
  凪紗は頷き、言葉なく微笑んだ。
  夜、凪紗は窓辺に座り、短冊を指でなぞっていた。
 〈星座みたいな光を空に〉――その文字に自分の想いを重ねる。
 「時間、まだあるよね……」
  小さく呟く声が、夜気に溶けた。
  一方、煌生は机に向かい、図面を描き直していた。
 「夜空を駆け抜ける……か」
  頭の中に凪紗の笑顔が浮かび、自然と手が動く。彼は競争が嫌いだ。それでも今だけは、結果を出すことが大事だと感じていた。
  深夜、スマホが震えた。凪紗からのメッセージだった。
 〈ありがとう。私の夢、きっと叶うね〉
  短い言葉に、胸の奥が温かくなった。
 「絶対に叶える」
  その誓いと共に、煌生は再びペンを走らせた。
  週末、屋上には新しく加工した部品が並んでいた。拓朗がノートを広げ、計算式を指でなぞる。
 「バランスはこれで完璧。あとは光源だな」
 「蓄光塗料と、軽い発光シートを組み合わせたらどう?」真紀が提案する。
  麻友は腕を組んで頷いた。
 「夜間飛行なら、風の向きも記録しておく必要があるわね」
 「了解」拓実が風速計を取り出す。
  凪紗はフェンスの近くに立ち、髪を揺らして空を見上げた。
 「ねえ、夏休みの夜に飛ばせたら……星と一緒に見えるかな」
 「絶対見える」煌生は即答した。
  その目は真っすぐで、凪紗の胸が熱くなる。
  作業の合間、凪紗はポケットから小さな短冊を取り出した。
 〈ありがとう〉とだけ書かれている。
 「何それ?」麻友が気づくと、凪紗は微笑んだ。
 「みんなに渡そうと思って」
  夕暮れ、屋上の作業が終わった後、全員がフェンス際に立って空を眺めた。
  茜色に染まった雲が流れ、夜の気配が少しずつ広がっていく。
 「きれいだな……」真紀がぽつりとつぶやく。
 「これが成功したら、本当に星と一緒に飛ぶことになるんだな」拓朗が笑った。
  凪紗は両手で短冊を握りしめた。
 「みんな、本当にありがとう。私……みんなと一緒にいられて幸せだよ」
  その声は小さかったが、確かに届いていた。
  煌生はポケットからペンを取り出し、自分の短冊に一言だけ書き加えた。
 〈必ず成功させる〉
  それを笹に結びつけた瞬間、風が吹き、短冊が揺れた。
  凪紗はその揺れる短冊を見つめ、静かに微笑んだ。