朝の光が昇る前、煌生は校門を走り抜け、旧校舎の屋上へと駆け上がった。汗で額が濡れ、呼吸が荒くなる。だが、屋上に集まっていた仲間たちの顔を見た瞬間、その息苦しさは消えた。拓朗は目の下にクマを作り、計算書を広げている。麻友はスマホを片手に町内会への報告を終え、拓実は工具箱を抱えていた。真紀は空を見上げ、風の向きを確認している。「今日で仕上げるんだな」と拓朗が呟くと、全員がうなずいた。

凪紗は病院のベッドの上で、その様子をスマホ越しに見つめていた。顔色は少し青白いが、目は輝いている。「無理しないでね」と言いかけたが、言葉を飲み込み、代わりに小さく笑った。「みんな、ありがとう。空を……楽しみにしてる」

計画は過酷だった。残り三日間、彼らはほとんど寝る時間も削って作業に没頭した。拓朗はバッテリー容量を増やすために配線を組み直し、拓実は翼の剛性を確保するために夜通しヤスリをかけた。真紀は風向データを何十枚も書き込み、麻友は連絡や資金調達で走り回った。煌生はそんな仲間の姿を見て胸が熱くなった。今まで競争を避け、責任から逃げていた自分が、このとき初めて全力で動いている。

昼、校庭でテスト発射を行った。機体は弧を描いて空に浮かび、着地と同時に光を放った。「成功だ!」真紀が叫ぶと、凪紗の画面越しの顔がほころんだ。「すごい……ほんとに飛んでる」その声が、皆の疲労を忘れさせた。

夜、最後の調整が終わった。発射台のバネは限界まで強化され、翼は磨き上げられ、発光装置は完璧に動作した。「これでいける」と拓朗が言うと、麻友が頷いた。「町内会も明日の使用を認めてくれたわ」拓実は笑い、「じゃあ本番だな」と言った。煌生は空を見上げて拳を握る。「凪紗に見せてやろう。俺たちの空を」

深夜、病室の窓辺に座った凪紗は、自分の胸に手を当てていた。弱い鼓動が不安を呼ぶたび、あの光の軌跡を思い出す。「もう少しだけ……持ちこたえてね」彼女の声は小さく、しかし強かった。

次の日、彼らは再び屋上に立った。空は澄み渡り、風は北東へと流れている。準備を終えた仲間たちの顔には、疲れと誇りが入り混じっていた。煌生はスマホを通じて凪紗を見つめ、「見ててくれよ」と呟いた。カウントダウンが始まる。「さん、に、いち――!」発射台のバネが弾け、翼は音もなく空へと吸い込まれた。白い光が朝の空を切り裂き、北東へ向かって伸びていった。

凪紗は涙を浮かべながら、その軌跡を画面越しに追った。「届いたね……」その言葉はかすれていたが、確かな強さを持っていた。



夜になっても屋上は静まり返らなかった。仲間たちは誰一人として帰ろうとせず、光の軌跡をより鮮明にするための最終チェックを続けていた。拓朗は電圧計を握りしめ、「あと〇・二ボルト上げたい」と唇を噛んでいた。拓実は「バッテリーの温度は限界だ、でも……まだいける」と汗を拭った。麻友は町内会とのやり取りを終えて戻り、「使用時間は二十三時まで。花火大会と同じ制限だけど、これで十分」と報告した。真紀は空を見上げ、「風は安定してる。今夜なら軌道がきれいに出せる」と微笑んだ。

煌生はそんな仲間の声を聞きながら、心臓の奥が熱くなるのを感じていた。競争を嫌って逃げていた頃の自分が、今は誰かの願いのために汗を流している。そのことが不思議で、そして誇らしかった。「……ありがとう」彼は誰にともなく呟き、凪紗のスマホに向かって笑った。「もう少しだ」

病室の凪紗は窓越しに夜空を見つめていた。点滴スタンドにぶら下がるバッグがわずかに揺れ、心電図の音が一定のリズムを刻んでいる。「痛みは?」看護師が問うと、凪紗は首を振った。「大丈夫。今夜だけは、絶対に見逃したくないから」細い声に、それでも譲れない強さが宿っていた。

発射の一時間前、屋上に集合した六人は円になって立ち、手を重ねた。「失敗したらどうする?」真紀が問うと、拓朗が笑った。「やり直す時間はもうない。だから成功させるだけだ」麻友が「全員で飛ばすんだもんね」と言い、拓実が短く「行こう」と返した。煌生は深く息を吸い込み、風を感じた。「凪紗、待ってろよ」

カウントダウンが始まった。三、二、一――バネが解放され、翼は夜空に舞い上がった。発光装置が点灯し、青白い光の尾を引く。その軌跡はまるで星座の一部が地上から描かれていくようだった。仲間たちの目に涙がにじんだ。スマホ越しに見ていた凪紗は声を震わせ、「きれい……本当に星が流れてるみたい」と呟いた。煌生は唇を噛み、「これが俺たちの……いや、君の空だ」と答えた。

光の軌跡は北東の空でしばらく輝き、やがて見えなくなった。静かな夜風だけが残り、全員が言葉を失っていた。最初に泣き出したのは真紀だった。「やった……飛んだよ……」その声に引かれるように、みな肩を抱き合った。

凪紗は涙を拭い、スマホ越しに笑った。「ありがとう。夢を、叶えてくれて」その笑顔は弱々しくも、どこまでも晴れやかだった。


光が消えた後の屋上は、不思議なほど静かだった。仲間たちは肩を寄せ合い、誰も声を出さなかった。涙を流しながらも、全員が笑っていた。煌生は目頭を押さえ、胸に込み上げる熱を抑えられなかった。「これで……よかったんだよな」小さく呟くと、拓朗が肩を叩いた。「ああ、最高だった」麻友は鼻をすすり、「花火大会なんていらないね」と笑い、真紀も涙を拭いながら「空、すごくきれいだった」と頷いた。拓実は短く「成功だ」と言い切った。

その頃、凪紗の病室では看護師が彼女の額に手を当てていた。「大丈夫?」と聞くと、凪紗はかすかに笑った。「大丈夫、すごく……幸せだから」モニターの心拍音が静かに鳴り響き、窓の外にはさっきの光の名残がかすかに見えていた。彼女は弱い指先でスマホを握りしめ、煌生たちの笑顔が並ぶ写真を見つめた。「ありがとう、ほんとに……ありがとう」その声は誰に届いたのか分からない。でも、確かにあの屋上にも届いているように感じられた。

屋上を片付け終えた煌生たちは、夜風に当たりながら校門を出た。煌生は足を止めて、もう一度空を見上げた。星々がきらめき、まるで凪紗の笑顔がそこに浮かんでいるように思えた。「俺……変われたかな」小さな問いに、背後から拓朗が「変わったさ」と即答した。麻友が「みんなで変わったよ」と続け、真紀が「だからこそ、あの光が飛んだんだ」と言った。拓実は無言で頷き、全員の視線が再び空に向けられた。

翌朝、病院に駆け付けた煌生は、ベッドで眠る凪紗を見た。彼女の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。心拍モニターはゆるやかなリズムを刻み、その横に置かれたスマホの画面には昨夜の光の映像が再生されたままになっていた。煌生はベッド脇に座り込み、そっと凪紗の手を握った。「また一緒に飛ばそうな……」かすかな返事はなかったが、指先が微かに動いた気がした。



凪紗のまぶたがゆっくりと開いた。煌生は驚き、体を乗り出す。「起きたのか!」凪紗はかすかに笑みを浮かべた。「光、きれいだったね……ありがとう」声は小さく、それでも確かに届いた。煌生の目に涙があふれ、握った手をさらに強く包み込んだ。「まだ終わってない。もっと飛ばそう、何度だって」凪紗は小さく頷き、目を閉じた。

その瞬間、ドアの外で足音がして、拓朗たちが顔をのぞかせた。麻友が花束を抱え、真紀は手作りのアルバムを持っている。「見せたいものがあってさ」拓実が照れくさそうに差し出したアルバムには、練習中の写真、屋上での笑顔、そして昨夜の光の軌跡の写真が貼られていた。凪紗は震える指でそれを撫で、涙を流しながら笑った。「私、ちゃんと生きてたんだね」その言葉に誰も返せなかった。言葉よりも先に、全員の目から涙がこぼれた。

窓の外、青空に白い雲が流れていく。煌生はその空を見上げながら心の中で誓った。「俺は逃げない。勝ち負けなんかじゃなく、誰かの願いを運ぶ翼を作る」その想いは、昨日までの自分にはなかった強さだった。

病室を出るころ、凪紗は再び眠っていた。看護師が「今日はよく眠れるでしょう」と微笑む。煌生たちは静かに頷き、病院を後にした。外に出ると、夏の光が眩しくて、全員が同時に空を見上げた。「次は……何を飛ばそうか」拓朗の声に、麻友が笑った。「もっと大きいのを」「もっと光るやつ」と真紀が続け、拓実も「もっと遠くへ」と付け加えた。煌生はその輪の中心で、「そうだな、どこまでも飛ばそう」と答えた。

その空は、もう昨日の空ではなかった。