冬の空は澄み渡り、雲ひとつない青色がどこまでも広がっていた。始業前の教室に入ると、拓朗が珍しく真剣な顔で図面を広げているのが目に入った。
「これ、見てくれないか?」
彼が差し出したのは新しい発射台の設計図だった。
拓朗は夜通し考えたという。バネの強度を見直し、軽量化することで打ち出す力を最大限引き出す仕組みだ。
「凪紗の心音、あのリズムを反映させてみたいんだ」
拓朗の目は真剣で、迷いがなかった。
煌生は図面を覗き込みながら、小さくうなずいた。「……やろう」
そこへ麻友と真紀、拓実がやってきた。麻友は息を弾ませている。
「ねえ、グラウンドの使用許可、取れたよ! 夜間だけど」
「よし。じゃあ今週末、組み立てとテストだな」
土曜日、夜の校庭に集合した。照明は落とされ、闇が一面に広がっている。唯一の光は、真紀が持ち込んだランタンだけだ。冷たい空気を震わせながら、みんなで発射台を組み立てていった。
「これで最後のボルトだ」拓実がスパナを置き、額の汗を拭った。
煌生はグライダーの翼を抱え、静かに息を整える。
「準備、できたな」
凪紗のスマホに残された心拍リズムをスピーカーに流す。小さな鼓動が夜の静けさに響いた。
拓朗がゆっくりカウントを取り始める。「3、2、1……発射!」
グライダーが弧を描き、光の尾を引いて夜空に吸い込まれていく。蓄光塗料が淡く輝き、まるで星座が動き出したかのようだった。
麻友が小さく声を漏らした。「……綺麗」
煌生は目を離さずにいた。胸の奥が熱く、涙がにじむ。
(見てるか、凪紗。お前の心音で飛んでるぞ)
やがてグライダーは失速し、校庭の端に落ちた。静かな拍手が起こり、全員が笑顔を見せた。
拓朗が拳を掲げる。「成功だ!」
真紀は寒さで震えながらも笑い、「星みたいだったね」と言った。
煌生はみんなを見回し、深く頷いた。「次は……もっと遠くへ飛ばそう」
誰も反対しなかった。
帰り道、煌生はポケットに入れた凪紗のノートをぎゅっと握った。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
その文字が、冷え切った指先を温めるように感じられた。
「見ててくれ。俺たち、まだ飛ぶからな」
冬の夜空には、ひときわ明るい一番星が輝いていた。
翌日も放課後に集まり、発射台の調整を繰り返した。拓朗はバネのテンションを微妙に変え、拓実は翼の角度を細かく調整し、麻友は工程を記録していく。真紀は空の写真を撮り続け、風の流れをデータに残した。
「この高さなら、もっと安定するはずだ」拓朗の声に、全員が頷いた。
日が暮れると気温はさらに下がり、息が白くなった。煌生は凪紗のノートを胸ポケットに入れ、静かに深呼吸をした。
(負けず嫌いじゃない俺が、こんなに必死になるなんてな)
その胸の奥で、小さく鳴る鼓動が、あの日聞いた凪紗の心拍と重なっていた。
「準備できた!」麻友の声で、再びグライダーを発射台にセットした。カウントダウンをしてレバーを引く。光を帯びた翼が夜空へと弾かれた。
グライダーは大きな弧を描き、星空に吸い込まれていく。前夜よりも高く、遠くへ。
その瞬間、煌生の頬を涙が伝った。理由なんて分かっていた。
「凪紗……聞こえるか。俺たち、飛んでるぞ」
回収したグライダーを抱えて、五人は黙って歩いた。無言なのに、全員の表情には確かな達成感があった。
校門を出たところで、真紀がぽつりと言った。「ねえ、冬休み入ったら、もっと大きいの作らない?」
「いいな、それ」拓朗が即答し、麻友が笑った。「賛成。どうせなら町の外れの丘から飛ばそうよ」
拓実は静かに頷き、「資材は俺が探しておく」と言った。
煌生はしばらく黙って空を見上げていた。冷たい星空に、夏の夜に見た光の軌跡が重なって見えた。
「やろう」短い一言に、全員が笑顔で返した。
帰宅した煌生は机にノートを広げ、凪紗の走り書きを見つめた。〈空を飛ぶ〉――その一文が、彼の背中を押していた。
(まだ終わりじゃない。俺たちはこれからだ)
窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。遠くで星がきらめき、どこかで小さな心音が響いている気がした。
冬休み初日、丘の上に資材が積み上がった。木材、カーボンパイプ、ネジ箱――すべて拓実が手配してくれたものだった。
「本当に集めたんだな……」煌生が感心すると、拓実は少し照れくさそうに肩をすくめた。
「こういう地道な作業、得意だから」
丘の上は、町を一望できる場所だった。真紀は双眼鏡を手に、風向きを確認している。麻友は調整表を広げ、役割を割り振った。拓朗は設計図を指差しながら細かい指示を出す。
「まずは骨組みだ。ここを連結して、重心を中心に……」
煌生はグライダーの主翼を抱え、慎重に組み立てに入った。風が強く、何度も部品が倒れそうになる。だが誰も諦めなかった。凪紗のノートに書かれた〈星座みたいな光を〉の文字が、全員の胸を突き動かしていた。
夕方になり、空が朱色に染まった。骨組みはほぼ完成し、翼も固定された。最後に残ったのは、凪紗の心音データをもとにした発射タイミングの調整だ。拓朗がケーブルを接続し、スマホを同期する。
「準備完了。心音がリズムを刻んだら、自動で射出される」
煌生は深く息を吸い、仲間たちを見回した。「……行こう」
凪紗の鼓動がスピーカーから流れ始めた。あの日と同じ、弱くも確かなリズム。煌生の胸も同じように鳴っている。
「3、2、1……!」
巨大なグライダーが放たれ、夜の帳に突き抜けた。翼には無数の小さな発光体が仕込まれており、光が尾を引く。
それは凪紗が描いた星図そのままの軌跡を描き、町の上空を横切った。
誰も声を出さなかった。ただ、息を呑み、光の線が空を切り裂いていく様子を見守った。
光の軌跡が消えたあとも、誰一人言葉を発さなかった。夜空に描かれた残像はゆっくりと消え、闇が戻る。その静けさの中で、凪紗の心音がまだ鳴り続けているように感じられた。
煌生はポケットからスマホを取り出し、録音された心音を再生した。弱々しくも確かに響くそのリズムに、目頭が熱くなる。
「なあ、凪紗……届いたよな」
麻友がそっと肩に手を置いた。「きっと、見てたよ」
拓朗は拳を握り締め、拓実は目を閉じて小さくうなずく。真紀は空にレンズを向け、最後の一枚を撮った。
その写真には、暗闇に残る淡い光の尾が写っていた。
「この瞬間、忘れない」煌生の声に、誰も返事はしなかったが、全員が同じ気持ちであることは分かっていた。
帰り道、丘を下る足取りはゆっくりだった。冬の冷気が頬を刺すが、不思議と寒さは感じなかった。
(凪紗の時間は止まらない。俺たちの中で、生きてる)
家に着くと、煌生は机に向かってペンを走らせた。凪紗への手紙だ。
〈今日、君の心音で空を飛んだ。光は確かに届いたよ。ありがとう〉
書き終えた瞬間、涙が一粒、便箋に落ちた。
「これ、見てくれないか?」
彼が差し出したのは新しい発射台の設計図だった。
拓朗は夜通し考えたという。バネの強度を見直し、軽量化することで打ち出す力を最大限引き出す仕組みだ。
「凪紗の心音、あのリズムを反映させてみたいんだ」
拓朗の目は真剣で、迷いがなかった。
煌生は図面を覗き込みながら、小さくうなずいた。「……やろう」
そこへ麻友と真紀、拓実がやってきた。麻友は息を弾ませている。
「ねえ、グラウンドの使用許可、取れたよ! 夜間だけど」
「よし。じゃあ今週末、組み立てとテストだな」
土曜日、夜の校庭に集合した。照明は落とされ、闇が一面に広がっている。唯一の光は、真紀が持ち込んだランタンだけだ。冷たい空気を震わせながら、みんなで発射台を組み立てていった。
「これで最後のボルトだ」拓実がスパナを置き、額の汗を拭った。
煌生はグライダーの翼を抱え、静かに息を整える。
「準備、できたな」
凪紗のスマホに残された心拍リズムをスピーカーに流す。小さな鼓動が夜の静けさに響いた。
拓朗がゆっくりカウントを取り始める。「3、2、1……発射!」
グライダーが弧を描き、光の尾を引いて夜空に吸い込まれていく。蓄光塗料が淡く輝き、まるで星座が動き出したかのようだった。
麻友が小さく声を漏らした。「……綺麗」
煌生は目を離さずにいた。胸の奥が熱く、涙がにじむ。
(見てるか、凪紗。お前の心音で飛んでるぞ)
やがてグライダーは失速し、校庭の端に落ちた。静かな拍手が起こり、全員が笑顔を見せた。
拓朗が拳を掲げる。「成功だ!」
真紀は寒さで震えながらも笑い、「星みたいだったね」と言った。
煌生はみんなを見回し、深く頷いた。「次は……もっと遠くへ飛ばそう」
誰も反対しなかった。
帰り道、煌生はポケットに入れた凪紗のノートをぎゅっと握った。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
その文字が、冷え切った指先を温めるように感じられた。
「見ててくれ。俺たち、まだ飛ぶからな」
冬の夜空には、ひときわ明るい一番星が輝いていた。
翌日も放課後に集まり、発射台の調整を繰り返した。拓朗はバネのテンションを微妙に変え、拓実は翼の角度を細かく調整し、麻友は工程を記録していく。真紀は空の写真を撮り続け、風の流れをデータに残した。
「この高さなら、もっと安定するはずだ」拓朗の声に、全員が頷いた。
日が暮れると気温はさらに下がり、息が白くなった。煌生は凪紗のノートを胸ポケットに入れ、静かに深呼吸をした。
(負けず嫌いじゃない俺が、こんなに必死になるなんてな)
その胸の奥で、小さく鳴る鼓動が、あの日聞いた凪紗の心拍と重なっていた。
「準備できた!」麻友の声で、再びグライダーを発射台にセットした。カウントダウンをしてレバーを引く。光を帯びた翼が夜空へと弾かれた。
グライダーは大きな弧を描き、星空に吸い込まれていく。前夜よりも高く、遠くへ。
その瞬間、煌生の頬を涙が伝った。理由なんて分かっていた。
「凪紗……聞こえるか。俺たち、飛んでるぞ」
回収したグライダーを抱えて、五人は黙って歩いた。無言なのに、全員の表情には確かな達成感があった。
校門を出たところで、真紀がぽつりと言った。「ねえ、冬休み入ったら、もっと大きいの作らない?」
「いいな、それ」拓朗が即答し、麻友が笑った。「賛成。どうせなら町の外れの丘から飛ばそうよ」
拓実は静かに頷き、「資材は俺が探しておく」と言った。
煌生はしばらく黙って空を見上げていた。冷たい星空に、夏の夜に見た光の軌跡が重なって見えた。
「やろう」短い一言に、全員が笑顔で返した。
帰宅した煌生は机にノートを広げ、凪紗の走り書きを見つめた。〈空を飛ぶ〉――その一文が、彼の背中を押していた。
(まだ終わりじゃない。俺たちはこれからだ)
窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。遠くで星がきらめき、どこかで小さな心音が響いている気がした。
冬休み初日、丘の上に資材が積み上がった。木材、カーボンパイプ、ネジ箱――すべて拓実が手配してくれたものだった。
「本当に集めたんだな……」煌生が感心すると、拓実は少し照れくさそうに肩をすくめた。
「こういう地道な作業、得意だから」
丘の上は、町を一望できる場所だった。真紀は双眼鏡を手に、風向きを確認している。麻友は調整表を広げ、役割を割り振った。拓朗は設計図を指差しながら細かい指示を出す。
「まずは骨組みだ。ここを連結して、重心を中心に……」
煌生はグライダーの主翼を抱え、慎重に組み立てに入った。風が強く、何度も部品が倒れそうになる。だが誰も諦めなかった。凪紗のノートに書かれた〈星座みたいな光を〉の文字が、全員の胸を突き動かしていた。
夕方になり、空が朱色に染まった。骨組みはほぼ完成し、翼も固定された。最後に残ったのは、凪紗の心音データをもとにした発射タイミングの調整だ。拓朗がケーブルを接続し、スマホを同期する。
「準備完了。心音がリズムを刻んだら、自動で射出される」
煌生は深く息を吸い、仲間たちを見回した。「……行こう」
凪紗の鼓動がスピーカーから流れ始めた。あの日と同じ、弱くも確かなリズム。煌生の胸も同じように鳴っている。
「3、2、1……!」
巨大なグライダーが放たれ、夜の帳に突き抜けた。翼には無数の小さな発光体が仕込まれており、光が尾を引く。
それは凪紗が描いた星図そのままの軌跡を描き、町の上空を横切った。
誰も声を出さなかった。ただ、息を呑み、光の線が空を切り裂いていく様子を見守った。
光の軌跡が消えたあとも、誰一人言葉を発さなかった。夜空に描かれた残像はゆっくりと消え、闇が戻る。その静けさの中で、凪紗の心音がまだ鳴り続けているように感じられた。
煌生はポケットからスマホを取り出し、録音された心音を再生した。弱々しくも確かに響くそのリズムに、目頭が熱くなる。
「なあ、凪紗……届いたよな」
麻友がそっと肩に手を置いた。「きっと、見てたよ」
拓朗は拳を握り締め、拓実は目を閉じて小さくうなずく。真紀は空にレンズを向け、最後の一枚を撮った。
その写真には、暗闇に残る淡い光の尾が写っていた。
「この瞬間、忘れない」煌生の声に、誰も返事はしなかったが、全員が同じ気持ちであることは分かっていた。
帰り道、丘を下る足取りはゆっくりだった。冬の冷気が頬を刺すが、不思議と寒さは感じなかった。
(凪紗の時間は止まらない。俺たちの中で、生きてる)
家に着くと、煌生は机に向かってペンを走らせた。凪紗への手紙だ。
〈今日、君の心音で空を飛んだ。光は確かに届いたよ。ありがとう〉
書き終えた瞬間、涙が一粒、便箋に落ちた。



