九月の始業式の朝、校舎前には夏の名残を感じさせる強い日差しが差し込んでいた。
煌生は校庭の片隅で立ち止まり、空を見上げた。青空にはひとすじの雲が流れ、凪紗が残した言葉が胸の奥で響く。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
教室に入ると、机の上に一冊のノートが置かれていた。昨日、凪紗の家族が届けてくれたものだ。
表紙は少し擦り切れていたが、手に取ると微かなインクの匂いがした。
中を開くと、そこには走り書きのようなメモや図、そして一行の言葉があった。
〈未来は飛ぶもの。だから、あなたも飛んで〉
煌生は唇を結び、深く息を吸った。
「……飛ぶよ。必ず」
その声は小さかったが、決意ははっきりとしていた。
ホームルームが始まる前、クラスメイトたちは夏休みの思い出を語り合っていた。海に行った話、部活動の試合結果、家族旅行の写真。笑い声があふれる中で、凪紗の席だけが静かに光を受けていた。
麻友がその席にそっと花を置いた。「おかえり」と書かれた小さなカードが添えられている。
「ありがとう」煌生は小さな声で言い、席に腰を下ろした。
担任が教室に入り、始業式の簡単な話を終えると、凪紗のノートについて触れた。
「これは彼女が残していったものです。内容を皆さんで共有し、次につなげてください」
静かな空気が教室を包んだ。誰もが視線を落とし、凪紗の笑顔を思い出していた。
休み時間、拓朗が煌生の肩を軽く叩いた。
「なあ、これからどうするんだ?」
「俺は……飛ぶよ。凪紗の代わりに」
そう答える煌生の声には迷いがなかった。
放課後、煌生は旧校舎の屋上に立っていた。夏の熱気はやや和らいでいたが、まだ蝉の声が名残を残している。フェンス越しに見上げた空は、どこまでも高く澄んでいた。
「凪紗、聞こえてるか」
呟きは風に溶けた。
そこに拓朗たちが集まってきた。麻友は両手に資料を抱え、真紀は風向計を持っている。拓実は工具箱を肩に担ぎ、少し息を弾ませていた。
「新しい計画、これで行こう」拓朗が差し出した紙には、新型グライダーの設計が描かれていた。
煌生はそれを受け取り、しばらく見つめてから頷いた。
「やろう。今度は俺たちの足で」
その言葉に麻友が微笑み、真紀が空を見上げた。
「今日の風なら、きっと飛ぶよ」
拓実が工具箱を開き、部品を並べる。全員の目が自然と輝き、屋上は再び活気に包まれた。
夜、煌生は机に向かい、凪紗のノートを開いた。ページの隅に残されたメモには、彼女の未完成の計画図が描かれている。
(最後まで空を目指してたんだな)
胸の奥が熱くなり、ペンを握る手に力が入った。
「よし……やろう」
数日後、最初の試験飛行が行われた。校庭に設置した簡易発射台にグライダーを固定し、拓朗が計測器を準備する。
「風速三メートル、問題なし」真紀が風向を確認する。
「じゃあ、いくぞ!」煌生がレバーを引くと、グライダーは空へと舞い上がった。
だが、途中でバランスを崩し、すぐに落下してしまった。
「やっぱり重心が前だな」拓実が機体を拾い上げ、破損箇所を確認する。
「設計変更しよう。もっと軽くして、翼の角度も調整だ」拓朗がメモを取り始めた。
放課後の時間は、再び熱を帯びていった。麻友は全体のスケジュールを組み、真紀は空を眺めて風のデータを取る。誰も弱音を吐かなかった。
夜、煌生は帰宅途中に空を見上げた。星が一つ、瞬いている。
(凪紗、見てろよ。俺たち、必ず飛ばすから)
一週間後、グライダーは改良され、再び屋上に並べられた。翼には軽量素材が使われ、補強部品も外されたことで、ずっと軽くなっていた。
「これならいける」拓朗が頷く。
煌生は深呼吸し、レバーを握った。
「三、二、一……発射!」
グライダーは風を切り、夜空へ一直線に伸びていった。
翼に塗られた蓄光塗料が星明かりを反射し、まるで一筋の流れ星のようだった。
「成功だ!」麻友の声が響き、全員が拍手した。
煌生は空を見上げ、胸の奥でつぶやいた。
(凪紗、届いたよ。俺たち、まだ飛べる)
その夜、煌生は日記に一行だけ書いた。
〈逃げない。空は続いている〉
次の日曜日、煌生は朝早くから屋上に立っていた。まだ誰もいない空間で、昨日の成功を思い返しながら、風の匂いを確かめる。少し冷たくなった空気が、夏の終わりを告げていた。
やがて拓朗、麻友、真紀、拓実が順にやって来た。手にはそれぞれ、追加改良のための道具や資料を抱えている。
「今日で仕上げるよ」拓朗が言う。
「もちろん」煌生は短く答えた。
四人は息を合わせ、最後の調整に取りかかった。翼の端をわずかに削り、重心の位置をミリ単位で変える。真紀が風向を何度も測り、麻友は予定を読み上げて進行を管理した。
夕方になり、機体はついに完成した。軽くなった胴体と広くなった翼は、これまでの試作機のどれよりも美しかった。
「これなら……行ける」煌生は無意識に拳を握った。
夜。町が静まり返った頃、五人は屋上に集まり、最後の発射準備を整えた。
「風向き、北東。問題なし」真紀が声を上げる。
「グライダー固定完了」拓実がうなずく。
「光装置、点灯確認」麻友の声が緊張を帯びていた。
煌生は深呼吸を一つして、仲間たちを見回した。
「ありがとう。みんなで飛ばそう」
その声に、全員が小さくうなずいた。
「三、二、一……!」
レバーを引くと、グライダーは静かな音を立てて発射台を離れ、夜空を切り裂いていった。
白く光る翼が軌跡を描き、北東の空へ伸びていく。その姿は、まるで凪紗の願いが形になったかのようだった。
「届いたな……」煌生が呟いた。胸の奥で、あの日の声が聞こえた気がした。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
翌朝、教室では凪紗のノートが回覧されていた。ページの片隅に小さな文字で書かれた一文があった。
〈未来は飛ぶもの。だから、あなたも飛んで〉
それを見て、誰もが息をのんだ。
煌生は静かにノートを閉じ、窓の外の空を見上げた。青空の彼方に、昨日の光の軌跡がまだ残っているような気がした。
(もう逃げない。凪紗、見ててくれ)
校庭には朝の風が吹き抜け、木々の葉を揺らしていた。その風の中で、煌生はもう一度拳を握った。
昼休み、煌生は旧校舎の屋上に立っていた。誰もいない風景の中で、フェンス越しに見える空はどこまでも広がっている。足元に置かれた凪紗のノートを手に取り、彼はそっと開いた。
そこにはあの日と同じ言葉が書かれている。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
ページの端に残された指の跡を指先でなぞり、深呼吸した。
「なあ、俺……やっと分かったんだ。勝ち負けが怖くて逃げてたけど、本当に大切なのは、誰かと一緒に何かをやり遂げることなんだな」
風が頬を撫で、紙が小さく揺れた。
ドアが開き、拓朗たちが顔を出した。
「ここにいたか」
麻友が微笑む。「授業始まるぞ」
「分かってる。でもさ……」煌生は空を指差した。
真紀がつられて見上げ、優しく言った。
「また飛ばそう、あの光を」
その言葉に煌生はうなずき、ノートを胸に抱えた。
昼下がりの風が五人の髪を揺らし、遠くの雲を押し流していった。
煌生は校庭の片隅で立ち止まり、空を見上げた。青空にはひとすじの雲が流れ、凪紗が残した言葉が胸の奥で響く。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
教室に入ると、机の上に一冊のノートが置かれていた。昨日、凪紗の家族が届けてくれたものだ。
表紙は少し擦り切れていたが、手に取ると微かなインクの匂いがした。
中を開くと、そこには走り書きのようなメモや図、そして一行の言葉があった。
〈未来は飛ぶもの。だから、あなたも飛んで〉
煌生は唇を結び、深く息を吸った。
「……飛ぶよ。必ず」
その声は小さかったが、決意ははっきりとしていた。
ホームルームが始まる前、クラスメイトたちは夏休みの思い出を語り合っていた。海に行った話、部活動の試合結果、家族旅行の写真。笑い声があふれる中で、凪紗の席だけが静かに光を受けていた。
麻友がその席にそっと花を置いた。「おかえり」と書かれた小さなカードが添えられている。
「ありがとう」煌生は小さな声で言い、席に腰を下ろした。
担任が教室に入り、始業式の簡単な話を終えると、凪紗のノートについて触れた。
「これは彼女が残していったものです。内容を皆さんで共有し、次につなげてください」
静かな空気が教室を包んだ。誰もが視線を落とし、凪紗の笑顔を思い出していた。
休み時間、拓朗が煌生の肩を軽く叩いた。
「なあ、これからどうするんだ?」
「俺は……飛ぶよ。凪紗の代わりに」
そう答える煌生の声には迷いがなかった。
放課後、煌生は旧校舎の屋上に立っていた。夏の熱気はやや和らいでいたが、まだ蝉の声が名残を残している。フェンス越しに見上げた空は、どこまでも高く澄んでいた。
「凪紗、聞こえてるか」
呟きは風に溶けた。
そこに拓朗たちが集まってきた。麻友は両手に資料を抱え、真紀は風向計を持っている。拓実は工具箱を肩に担ぎ、少し息を弾ませていた。
「新しい計画、これで行こう」拓朗が差し出した紙には、新型グライダーの設計が描かれていた。
煌生はそれを受け取り、しばらく見つめてから頷いた。
「やろう。今度は俺たちの足で」
その言葉に麻友が微笑み、真紀が空を見上げた。
「今日の風なら、きっと飛ぶよ」
拓実が工具箱を開き、部品を並べる。全員の目が自然と輝き、屋上は再び活気に包まれた。
夜、煌生は机に向かい、凪紗のノートを開いた。ページの隅に残されたメモには、彼女の未完成の計画図が描かれている。
(最後まで空を目指してたんだな)
胸の奥が熱くなり、ペンを握る手に力が入った。
「よし……やろう」
数日後、最初の試験飛行が行われた。校庭に設置した簡易発射台にグライダーを固定し、拓朗が計測器を準備する。
「風速三メートル、問題なし」真紀が風向を確認する。
「じゃあ、いくぞ!」煌生がレバーを引くと、グライダーは空へと舞い上がった。
だが、途中でバランスを崩し、すぐに落下してしまった。
「やっぱり重心が前だな」拓実が機体を拾い上げ、破損箇所を確認する。
「設計変更しよう。もっと軽くして、翼の角度も調整だ」拓朗がメモを取り始めた。
放課後の時間は、再び熱を帯びていった。麻友は全体のスケジュールを組み、真紀は空を眺めて風のデータを取る。誰も弱音を吐かなかった。
夜、煌生は帰宅途中に空を見上げた。星が一つ、瞬いている。
(凪紗、見てろよ。俺たち、必ず飛ばすから)
一週間後、グライダーは改良され、再び屋上に並べられた。翼には軽量素材が使われ、補強部品も外されたことで、ずっと軽くなっていた。
「これならいける」拓朗が頷く。
煌生は深呼吸し、レバーを握った。
「三、二、一……発射!」
グライダーは風を切り、夜空へ一直線に伸びていった。
翼に塗られた蓄光塗料が星明かりを反射し、まるで一筋の流れ星のようだった。
「成功だ!」麻友の声が響き、全員が拍手した。
煌生は空を見上げ、胸の奥でつぶやいた。
(凪紗、届いたよ。俺たち、まだ飛べる)
その夜、煌生は日記に一行だけ書いた。
〈逃げない。空は続いている〉
次の日曜日、煌生は朝早くから屋上に立っていた。まだ誰もいない空間で、昨日の成功を思い返しながら、風の匂いを確かめる。少し冷たくなった空気が、夏の終わりを告げていた。
やがて拓朗、麻友、真紀、拓実が順にやって来た。手にはそれぞれ、追加改良のための道具や資料を抱えている。
「今日で仕上げるよ」拓朗が言う。
「もちろん」煌生は短く答えた。
四人は息を合わせ、最後の調整に取りかかった。翼の端をわずかに削り、重心の位置をミリ単位で変える。真紀が風向を何度も測り、麻友は予定を読み上げて進行を管理した。
夕方になり、機体はついに完成した。軽くなった胴体と広くなった翼は、これまでの試作機のどれよりも美しかった。
「これなら……行ける」煌生は無意識に拳を握った。
夜。町が静まり返った頃、五人は屋上に集まり、最後の発射準備を整えた。
「風向き、北東。問題なし」真紀が声を上げる。
「グライダー固定完了」拓実がうなずく。
「光装置、点灯確認」麻友の声が緊張を帯びていた。
煌生は深呼吸を一つして、仲間たちを見回した。
「ありがとう。みんなで飛ばそう」
その声に、全員が小さくうなずいた。
「三、二、一……!」
レバーを引くと、グライダーは静かな音を立てて発射台を離れ、夜空を切り裂いていった。
白く光る翼が軌跡を描き、北東の空へ伸びていく。その姿は、まるで凪紗の願いが形になったかのようだった。
「届いたな……」煌生が呟いた。胸の奥で、あの日の声が聞こえた気がした。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
翌朝、教室では凪紗のノートが回覧されていた。ページの片隅に小さな文字で書かれた一文があった。
〈未来は飛ぶもの。だから、あなたも飛んで〉
それを見て、誰もが息をのんだ。
煌生は静かにノートを閉じ、窓の外の空を見上げた。青空の彼方に、昨日の光の軌跡がまだ残っているような気がした。
(もう逃げない。凪紗、見ててくれ)
校庭には朝の風が吹き抜け、木々の葉を揺らしていた。その風の中で、煌生はもう一度拳を握った。
昼休み、煌生は旧校舎の屋上に立っていた。誰もいない風景の中で、フェンス越しに見える空はどこまでも広がっている。足元に置かれた凪紗のノートを手に取り、彼はそっと開いた。
そこにはあの日と同じ言葉が書かれている。
〈空は続いている。次は君が飛ぶ番〉
ページの端に残された指の跡を指先でなぞり、深呼吸した。
「なあ、俺……やっと分かったんだ。勝ち負けが怖くて逃げてたけど、本当に大切なのは、誰かと一緒に何かをやり遂げることなんだな」
風が頬を撫で、紙が小さく揺れた。
ドアが開き、拓朗たちが顔を出した。
「ここにいたか」
麻友が微笑む。「授業始まるぞ」
「分かってる。でもさ……」煌生は空を指差した。
真紀がつられて見上げ、優しく言った。
「また飛ばそう、あの光を」
その言葉に煌生はうなずき、ノートを胸に抱えた。
昼下がりの風が五人の髪を揺らし、遠くの雲を押し流していった。



