夕方、港湾倉庫地区。空には重い雲が広がり、湿った風が吹いていた。凪桜は腕輪の違和感を確かめるため、大河と一緒に散歩がてら現場を歩いていた。
  そのとき、甲高い警報音が響いた。「火事だ!」「子どもが中にいるぞ!」という声が周囲に広がる。振り向くと、古い倉庫の屋根から黒煙が立ち上っていた。
  大人たちが慌てて消火器を運ぶが、炎は屋根近くまで燃え広がり、二階の窓に小さな影が見えた。泣き叫ぶ声——子どもだ。
  凪桜は一瞬ためらったが、胸の奥で昨夜の声が響いた。『……誰かを守って』。
  「大河、見てて!」
  言い終わるより早く、凪桜は駆け出した。炎の熱が顔を刺す。足場の悪い壁を蹴り、屋根の梁を目指して跳躍した瞬間——腕輪が光を放ち、身体がふわりと浮かんだ。
  「えっ!?」
  まるで風が背中を押し上げるように、軽やかに二階の窓へ到達する。泣き叫ぶ少年を抱き寄せ、「大丈夫、しっかりつかまって!」と声をかける。
  足場もない窓枠から飛び降りるなど本来は不可能——しかし再び腕輪が光り、風が渦を巻く。次の瞬間、二人は無傷で地面に降り立っていた。
  周囲の人々が驚きに声を上げる。「すげえ……今、飛んだぞ?」稜がどこからともなく現れて叫んだ。
  消防隊が到着し、火は鎮火された。少年は泣きながら母親に抱きつく。凪桜は息を切らしながらも微笑んだ。
  しかし胸の奥では恐怖が渦巻いていた。
  ——私は一体、何をしたの?
  ——この力は、何のために?
  腕輪は静かに光を収め、ただひんやりと彼女の手首に絡みついていた。