波打ち際の約束―再会した幼なじみと始まるひと夏の恋

 翌日、健心たちは市街地に集まっていた。
  ビルの上空に淡い歪みが広がり、まるで蜃気楼のように景色が揺れている。
 「これ……もう隠しきれないレベルね」早苗が眉をひそめる。
 「普通の人には見えないんだろ?」和希が確認する。
 「ええ。でも、このまま放置すればいずれ全員に影響が出るわ」菜々は拳を握りしめた。
  真由は懐中時計を握りしめ、健心を見上げる。
 「……また使うの?」
 「使わなきゃ、この街は消える」健心は静かに頷いた。「でも、もう二度とお前を失わない」
  その言葉に真由は笑みを浮かべ、手を差し出した。
 「じゃあ、一緒にやろ」
  二人の腕に刻まれた紋様が淡く光る。
  将吾が歩み寄り、真剣な声で言った。
 「今回の残滓は前回よりも強い。中心に“核”がある。そこを破壊しない限り、歪みは止まらない」
 「核?」健心が問い返すと、将吾は空を指差した。
 「上空五百メートル、あの歪みの中心だ。だが……そこには“核の番人”がいる」
  その言葉を聞き、真由の目が鋭くなる。
 「また影……?」
 「いや、もっと古い存在だ。時空の狭間から生まれた“時間喰い”」
  菜々が顔をしかめた。
 「最悪じゃない……あれは普通の攻撃じゃ倒せない」
  健心は懐中時計を握り、決意を込めた声で言った。
 「なら俺たちの力でやるしかない」
  将吾は頷き、空を見上げる。
 「時間喰いを倒すには、“記憶”を対価にしなきゃならない」
  その一言に真由が息を呑む。
 「記憶って……また私が忘れるの?」
  健心は彼女の肩を抱いた。
 「今度は俺の記憶を使う」
 「だめ! あなたが消えたら意味がない!」
  沈黙が落ちたそのとき、早苗が口を開いた。
 「……なら、みんなで分担しよう」
 「え?」
 「誰か一人じゃなくて、全員で少しずつ記憶を出せば、誰も消えずに済む」
  和希と菜々も頷く。
 「いいな、それ」和希は笑った。「思い出ならまた作れる」
  健心は真由の手を握り、深く息を吸った。
 「……分かった。みんなでやろう」
  将吾は目を細め、微かに笑う。
 「いい決断だ。じゃあ、行くぞ」
  五人は同時に懐中時計に手をかざした。
  その瞬間、光が弾け、彼らの意識は空の中心――歪みの核へと吸い込まれていった。


 光が収まると、健心たちは歪みの中心に立っていた。
  そこは地上から切り離されたような異空間で、上下の感覚が狂うほどの重力の揺らぎがあった。
  中央には、巨大な影が浮かんでいる。
  人型にも獣型にも見えるその存在は、無数の時計の針を背中に生やし、体表には歯車が埋め込まれていた。
 「……あれが時間喰いか」
  和希が思わず声を漏らす。
  時間喰いは目に当たる部分をこちらに向け、甲高い音を発した。
  まるで何千本もの時計が一斉に逆回転するような音だ。
 「耳が……っ!」真由が耳をふさぐ。
  将吾が低い声で告げた。
 「気を抜くな。あいつは時間そのものを食らう。触れられたら、存在が削られるぞ!」
  その言葉と同時に、時間喰いが腕を伸ばし、鎖のような針を無数に放った。
  健心は真由を抱きかかえて後退し、和希と菜々が前に出る。
 「防ぐぞ!」
  和希が剣で針を弾き、菜々が鎖で受け止める。
  しかし、触れた鎖がたちまち錆びて崩れ落ちた。
 「うそ……!?」菜々の顔が強張る。
 「時間を腐らせてるのか……!」将吾が歯を食いしばった。
  早苗が指を差す。
 「健心、あそこ! 胸の部分にコアがある!」
  時間喰いの中心で、赤い光が鼓動のように点滅している。
  健心は懐中時計を握り、真由の手を取った。
 「二人で狙う!」
 「うん!」
  二人の腕の紋様が輝き、懐中時計から放たれた光が時間喰いの動きを鈍らせた。
  その間に和希が針の攻撃を斬り払い、菜々が鎖で足を絡め取る。
 「今だ、行け!」将吾が叫ぶ。
  健心と真由は同時に駆け出した。
  コアに向かって手を伸ばし――しかし時間喰いのもう一本の腕が横から襲いかかる。
  将吾がその前に飛び出した。
 「健心、行けぇっ!」
  将吾の体に針が突き刺さり、時間が削られていく音が響いた。
 「将吾!」
 「気にするな……俺は未来だ! お前らが作れ!」
  その叫びに背を押され、健心と真由はコアに手を触れた。
  瞬間、懐中時計がひび割れ、白い光が爆発する。


 白い光が時空全体に広がり、時間喰いの体が悲鳴のような振動音を発した。
  赤く脈打っていたコアが砕け散り、無数の光の粒となって消えていく。
  しかし同時に、健心と真由の意識に強烈な痛みが走った。
 「……ぐっ!」
  真由は頭を押さえ、崩れ落ちそうになる。
  健心が支えながら声を上げる。
 「真由! 大丈夫か!」
  彼女の瞳に迷いが浮かび、その奥に見覚えのある光景が断片的に流れ込んだ――二人で過ごした過去の一部の記憶。
  将吾が膝をつき、肩で息をしていた。
  彼の片腕は半透明になっている。
 「将吾……!」健心が駆け寄ると、彼は弱く笑った。
 「大丈夫だ。これは俺が未来をかけた代償だ。……お前らは、その未来を作ったんだな」
 「でも……!」
 「気にするな。これで街は救われる」
  時間喰いの体は完全に崩れ落ち、空間そのものが安定していく。
  歪んでいた空が元に戻り、揺らぎは消えた。
  真由がゆっくりと立ち上がる。
 「健心……私、少しだけ思い出したよ。あなたと笑ってた時のこと……でも全部じゃない」
  彼女は悲しそうに笑ったが、その手は健心をしっかりと握っている。
 「全部じゃなくてもいい。何度でも思い出させる」
  健心の言葉に、真由の瞳に涙が浮かぶ。
 「ありがとう……」
  将吾が立ち上がり、残った片腕で懐中時計を差し出した。
 「これはもうお前たちの物だ。これからの時間は、自分たちで守れ」
  健心は受け取り、深くうなずいた。
 「わかった。もう二度と失わない」
  菜々、和希、早苗が近づき、全員で見上げた空は青く澄んでいた。
 「終わったの?」早苗が呟く。
 「いや」将吾は微笑む。「始まったんだ。お前たちの新しい未来が」
  その瞬間、真由が健心の肩にもたれ、小さな声で言った。
 「ねぇ、もう一度、教えて。あなたの名前」
  健心は笑って答えた。
 「……健心だ」
  真由は少し照れて笑い、つぶやく。
 「健心……好きになってもいい?」
  その問いに、健心は力強く頷いた。
 「もちろんだ」
  懐中時計が静かに輝き、時間の歪みは完全に消えていった。