日ノ本時代男子

「はい、今日も授業を始めていくぞ〜」

今日も進んでいく時計の針。気だるい体育終わりの四限目の古文の授業。

「優れた才能を持つ『千里の馬』は常にいるが、それを理解し活用する名人『伯楽(はくらく)』がいないので、才ある人は埋もれやすい。伯楽は名馬の目利きという意味だ」

先生の話を聞きながら板書をしていく。

人材のことになると目を輝かせる奈良さんを思い出した。

集中しようと教科書に目を向けると、ある一文が目に留まった。

『利を見出だす者は、利用の価値なき者をば、早々に切り捨つ』

奈良さんと関係がないのに、どうしてかこれを読んだ時、すぅっと背筋が冷えた。

奈良さんから、そういう話は聞いたことがない。きっと聞いてもはぐらかすだろうし、知ったとしてもどうにもならない。

チョークが黒板を打つ乾いた音で、思考は一度引き戻された。

「この一文の現代語訳は……利益を見出す立場の人は、役に立たないと判断した者を早い段階で切り捨ててしまう、という意味だ。少し冷たいけど、当時の価値観がよく出てる」

―――切り捨てる。
―――価値がないと判断する。
言葉自体は、ただの教訓文だ。

それなのに、脳裏に浮かんだのは奈良さんの横顔だった。

いつも穏やかで、誰に対しても丁寧で。

才能を見つけた時だけ、異様に嬉しそうな目をする。
(……でも)

あの人は、『価値がない』なんて言葉を使うだろうか。

✳✳✳

「えっ、今日の訪問先……平安時代なんですか?」

「本日は私、平安が案内する番ですよぉ」

そう言って微笑む平安さんは、今日も神秘的な雰囲気に包まれていた。まるで最初からそこに存在していた風景の一部みたいで、少しだけ現実味がない。

「では、行きましょう」

スッと手を差し出され、握った瞬間―――視界がぐにゃりと歪んだ。

目を開けると、私は爽やかで甘酸っぱい橘(たちばな)の香りに包まれていた。

目の前には高い塀。見上げるほどの門。ふわふわと懐かしい気持ちになる橘の匂い。

「……うわぁ……すごい!」

「京の都ですよぉ。栄華を極めた貴族文化が根付いた時代ですね」

隣で優雅に立つ平安さんは、さっきよりさらに神々しく見える。……いや、気のせいじゃない。なんか空気が違う。

「ほら、行きますよ」

手を取られて歩き出す。

辿り着いたのは、平安さんの屋敷だった。

「……屋敷っていうか、迷路みたいな廊下ですね」

「なにせ寝殿造(しんでんづくり)ですから。贅沢が正義の時代ですよぉ」

​美しい絵が描かれた屏風(びょうぶ)がずらりと並ぶ広間、外の光を黒々と反射する見事な漆(うるし)塗りの柱、手入れされた庭から聞こえる心地よい水の音。

どこを見渡しても、ため息が出るほどの贅沢さとこだわりが詰まっている。

「……ぜ、贅沢すぎるでしょ……」

そして突然、和歌の会が始まった。

「我、恋ひつつ……」

「いかにせむ…………」

「……え、なにこれ、恋のポエム大会?」

「そうですね。今から即興で一首詠んでいただきます」

「え、無理無理無理! そんなの心の準備が―――」

「頑張って下さいねぇ」

強制参加だった。

その後、私が全力で捻り出した和歌がこちら。

「カップ麺 待つ三分に 芽生える恋 開けてみたら 具が消えていた」

「カップ麺……ああ、昭和と平成がよく食べている即席ラーメンのことですかぁ」

平安さんは妙に納得している。

そして、他の参加者達はと言うと―――

「これは…………深い」

「わびさびを感じる」

「……無常を詠んでいるのか?」

なぜか大感動していた。

「いやいやいや、具がないってショックってだけで、哲学とかじゃ―――」

「いやー女子(おなご)の飛び入り参加と聞いたから不安だったが、深い。とても深い」

「……あ、ありがとうございます」

(えっ、これで良いの……?)

日も傾き、縁側に腰を下ろす。

涼しい風が、そっと頬を撫でた。

「平安さんって、戦とか全然なかったんですか?」

「戦がないわけではありません。ただ、表に出ないだけです。争いも、恋も、心の内側で起こるのが私達の流儀ですからねぇ」

「心の内側……」

「平安という名前は『平和で安定な世を願う』という意味が込められています。まぁ、藤原氏や武士同士の権力争いはそれなりにありましたが。有名なのは『源氏VS平氏』による対立ですね。最終的に『源平合戦』と呼ばれる大規模な内乱を引き起こしてですねぇ、平安(私)の時代は終わりました」

「意外に物騒!」

「美空さん、幸せになって下さいねぇ」

「……うん、分かりました。じゃあ、そろそろ帰りまーす」

ふと、風に乗って季節外れの桜の花びらが舞い落ちた。

平安さんの髪に一枚、静かにとまる。

「おや、珍しいですねぇ」

その姿は、まるで絵巻の中の人物のようだった。

―――数分後。

「って!帰るって言ったのに!なんで今、十二単着せられてるんですか私!?」

「似合うと思いましてぇ」

「重い!動けない!令和の女子中学生には慣れないです!」

「私の私物なので汚しても大丈夫ですよぉ」

「私物……?男性の平安さんが、なんで女子用の十二単を私物で持ってるんですか……?」

深まる謎。

十二単は、小袖の上に何枚も衣を重ねる、平安貴族の正装のこと。

色の組み合わせは、季節や格式によって決められているらしく、ニッコニコの女房(にょうぼう)さんと呼ばれるお手伝いさんに着せられたのは、夏の色彩―――撫子(なでしこ)を模した薄紅と白、その奥には淡緑の重なり。

「ちなみに正式名称は五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)と言うんですよぉ」

「十二って、枚数のことじゃないんだ……」

ずっと枚数のことかと思ってた。

「ええ、昔の十二は『沢山の』という意味ですからぁ。身近な物だと、ひな人形でしょうねぇ」

「十二単(これ)脱いで良いですか?」

「まあまあ、お写真一枚だけ。はい、明治から預かったすまほ?はここに―――」

しばらく平安さんの写真会に付き合っていたら、廊下の奥から一人の使者が現れた。

深く頭を下げ、控えめに告げる。

「失礼します。内裏(だいり)より、帝(みかど)がお呼びでございます」

「今日は儀式はないはずですし、今は控えさせていただきましょう」

平安さんは、にこりと微笑んだまま扇子(せんす)を閉じた。

「それに、この方は私の客人。無粋(ぶすい)は避けたいですねぇ」

使者はすぐにもう一度深く頭を下げる。

「……承知いたしました。では、後ほど改めて」

静かに去っていく背中を見送り、私は小声で尋ねる。

「今の、偉い人からの呼び出しですよね?後回しにして良いんですか?」

「ええ。急ぎの用事でしたら、あちらから仰るでしょう」

さらっと言うその横顔は、いつものように穏やかで。

「……平安さんって、かなり高い身分ですよね?」

私の問いかけに、平安さんは再び優雅に扇子を広げ、クスリと悪戯っぽく微笑んだ。

「さぁ?ただの古い知り合いですよぉ」