日ノ本元号男子

「はい、今日も授業を始めていくぞ〜」
今日も進んでいく時計の針。気だるい体育終わりの四限目の古文の授業。
「優れた才能を持つ『千里の馬』は常にいるが、それを理解し活用する名人『伯楽(はくらく)』がいないので、才ある人は埋もれやすい。伯楽は名馬の目利きという意味だ」
先生の話を聞きながら板書をしていく。
人材のことになると目を輝かせる奈良さんを思い出した。
集中しようと教科書に目を向けると、ある一文が目に留まった。
『利を見出だす者は、利用の価値なき者をば、早々に切り捨つ』
奈良さんと関係がないのに、どうしてかこれを読んだ時、すぅっと背筋が冷えた。
奈良さんから、そういう話は聞いたことがない。きっと聞いてもはぐらかすだろうし、知ったとしてもどうにもならない。
チョークが黒板を打つ乾いた音で、思考は一度引き戻された。
「この一文の現代語訳は......利益を見出す立場の人は、役に立たないと判断した者を早い段階で切り捨ててしまう、という意味だ。少し冷たいけど、当時の価値観がよく出てる」
先生はそう言って頷いたが、胸の奥に残った冷えは消えなかった。
―――切り捨てる。
―――価値がないと判断する。
言葉自体は、ただの教訓文だ。
それなのに、脳裏に浮かんだのは奈良さんの横顔だった。
いつも穏やかで、誰に対しても丁寧で。
才能を見つけた時だけ、異様に嬉しそうな目をする。
(……でも)
あの人は、『価値がない』なんて言葉を使うだろうか。


「えっ、今日の訪問先......平安時代なんですか?」
「本日は私、平安が案内する番ですよぉ」
そう言って微笑む平安さんは、今日も神秘的な雰囲気に包まれていた。まるで最初からそこに存在していた風景の一部みたいで、少しだけ現実味がない。
「では、行きましょう」
スッと手を差し出され、握った瞬間―――視界がぐにゃりと歪んだ。
目を開けると、私は爽やかで甘酸っぱい(たちばな)の香りに包まれていた。
目の前には高い塀。見上げるほどの門。ふわふわと懐かしい気持ちになる橘の匂い。
「......うわぁ......すごい!」
「京の都ですよぉ。栄華を極めた貴族文化が根付いた時代ですね」
隣で優雅に立つ平安さんは、さっきよりさらに神々しく見える。......いや、気のせいじゃない。なんか空気が違う。
「ほら、行きますよ」
手を取られて歩き出す。
辿り着いたのは、平安さんの屋敷だった。
「......屋敷っていうか、迷路みたいな廊下ですね」
「なにせ寝殿造(しんでんづくり)ですから。贅沢が正義の時代ですよぉ」
屏風が並ぶ広間、光を反射する漆塗りの柱、庭から聞こえる水音。
どこを見ても、ため息が出るほどの贅沢さだ。
「......ぜ、贅沢すぎるでしょ......」
そして突然、和歌の会が始まった。
「我、恋ひつつ......」
「いかにせむ............」
「......え、なにこれ、恋のポエム大会?」
「そうですね。今から即興で一首詠んでいただきます」
「え、無理無理無理!! そんなの心の準備が―――」
「頑張って下さいねぇ」
強制参加だった。
その後、私が全力で捻り出した和歌がこちら。
「カップ麺 待つ三分に 芽生える恋 開けてみたら 具が消えていた」
「カップ麺......ああ、昭和と平成がよく食べている即席ラーメンのことですかぁ」
平安さんは妙に納得している。
そして、他の参加者達はと言うと―――
「これは............深い」
「わびさびを感じる」
「......無常を詠んでいるのか?」
なぜか大感動していた。
「いやいやいや、具がないってショックってだけで、哲学とかじゃ―――」
「いやー女子(おなご)の飛び入り参加と聞いたから不安だったが、深い。とても深い」
「......あ、ありがとうございます」
(えっ、これで良いの......?)
日も傾き、縁側に腰を下ろす。
涼しい風が、そっと頬を撫でた。
「平安さんって、戦とか全然なかったんですか?」
「戦がないわけではありません。ただ、表に出ないだけです。争いも、恋も、心の内側で起こるのが私達の流儀ですからねぇ」
「心の内側......」
「平安という名前は『平和で安定な世を願う』という意味が込められています。まぁ、藤原氏や武士同士の権力争いはそれなりにありましたが。有名なのは『源氏VS平氏』による対立ですね。最終的に『源平合戦』と呼ばれる大規模な内乱を引き起こしてですねぇ、平安()の時代は終わりました」
「意外に物騒!」
「美空さん、幸せになって下さいね」
「......うん、分かりました。じゃあ、そろそろ帰りまーす」
ふと、風に乗って季節外れの桜の花びらが舞い落ちた。
平安さんの髪に一枚、静かにとまる。
「おや、珍しいですねぇ」
その姿は、まるで絵巻の中の人物のようだった。
―――数分後。
「って!帰るって言ったのに!なんで今、十二単着せられてるんですか私!?」
「似合うと思いましてぇ」
「重い!動けない!令和の女子中学生には慣れないです!」
「私の私物なので汚しても大丈夫ですよぉ」
「私物......?」
十二単は、小袖の上に幾重にも衣を重ねる、平安貴族の正装のこと。
色の組み合わせは、季節や格式によって決められているらしく、ニッコニコの女房(にょうぼう)さんと呼ばれるお手伝いさんに着せられたのは、夏の色彩―――撫子(なでしこ)を模した薄紅と白、その奥には淡緑の重なり。
だが見た目の美しさとは裏腹に、重さは約十二キロから約二十キロ。
座っても重い。
「ちなみに正式名称は五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)と言うんですよぉ」
「十二って、枚数のことじゃないんだ......」
ずっと枚数のことかと思ってた。
「ええ、昔の十二は『沢山の』という意味ですからぁ。身近な物だと、ひな人形でしょうねぇ」
十二単(これ)脱いで良いですか?」
「まあまあ、お写真一枚だけ。はい、明治から預かったすまほ?はここに―――」
しばらく平安さんの写真会に付き合っていたら、廊下の奥から一人の使者が現れた。
深く頭を下げ、控えめに告げる。
「失礼します。内裏(だいり)より、(みかど)がお呼びでございます」
「今日は儀式はないはずですし、今は控えさせていただきましょう」
平安さんは、にこりと微笑んだまま扇子(せんす)を閉じた。
「それに、この方は私の客人。無粋(ぶすい)は避けたいですねぇ」
使者はすぐにもう一度深く頭を下げる。
「......承知いたしました。では、後ほど改めて」
静かに去っていく背中を見送り、私は小声で尋ねる。
「今の、偉い人からの呼び出しですよね?後回しにして良いんですか?」
「ええ。急ぎの用事でしたら、あちらから仰るでしょう」
さらっと言うその横顔は、いつものように穏やかで。
「……平安さんって、かなり高い身分ですよね?」
「さぁ?ただの古い知り合いですよぉ」