日ノ本時代男子

「今日は奈良と京都に行って来たんですよ〜」

談話室のソファに座ったまま、私は課外学習で貰った観光パンフレットを広げていた。

明治さんにパンフレットを見せると、目を点にしている。

「……読みにくい……ですね」

「明治さん、それは左から読むんだよー」

動画のネタを探していた平成くんが、スマホを片手にちらっとこちらを見て、さらっと教える。

彼はメモ代わりにスマホを活用しているのか、画面を小まめに操作している。

「そうなんですか?現代は外国語と同じなんですね」

「そー」

明治さんは気を取り直し、パンフレットを持ち直す。

「奈良と京都ですか。あの二つが都だった時代があるんですけど、それは知っていますか?」

「はい!奈良時代と平安時代ですよね!」

自信満々で答えると、明治さんは手でバッテンを作った。

え、違うの!?

「奈良は飛鳥時代と奈良時代の二つです。ですが、京都が都だった時代は平安時代から実は江戸時代までなんですよ」

「千年の都……!」

私が歴史の重みに圧倒されて思わず復唱すると、すぐ真後ろから「そうだな!」と大きな声が重なった。

うわっと飛び上がると、ソファの背もたれから、ぬっと幽霊のように顔を出したのは奈良さんだった。

「俺が先に都だったのに、千年ってなにそれズルない?ずるいずるいずるい〜!」

「うわっ!?奈良さん、いつの間に背後に……!」

「え〜、知らぬ存ぜぬ、俺ただの給仕(きゅうじ)ですよ〜」

と、ニマニマしている奈良さんがポケットから取り出したのは……謎の『奈良の大仏キーホルダー』

「俺の方が平安より先なのに、なんであっちの方が人気あるんだ?国使として唐に行った時に優秀な人材をたくさん口説いてたら良かったな……」

「ちょっ、落ち着いて奈良さん!血の涙が出てますよ!?」

「奈良さんはかなり口説き落としていましたよ……」

「うっ……」

そんな奈良さんを横目に、平成くんはスマホ片手にうんうん頷いていた。

「これ、動画にしたらバズるかもしれない!『奈良 vs 京都 どっちが本命!?』とかタイトルつけて」

「奈良の大仏キーホルダー以外にも太陰暦(たいいんれき)ポスターとかあるけど、いるか?」

「そんなのあるの!?」

一方、明治さんはというと、パンフレットを読んでいる。

「僕はこういった紙資料が好きですよ。文字が多くて読みごたえがあります」

「でもさっき右から読んでたよね?」

「明治(僕)の時代は横文字を右から読むのが一般的だったので……クセですね。ああ、書物と言えば平安文化は素晴らしいですよ。現代にも受け継がれる紫式部(むらさきしきぶ)さんとか清少納言(せいしょうなごん)さんとか……」

ふと、話題が平安時代に移ると、談話室のドアがすぅっと開いた。

「お主は我の時代について知りたいのか?あとその二人はとても仲が悪いぞ?」

優雅に入ってきたのは、もちろんこの人、平安さん。

着物の裾を揺らしながら歩く姿は、まるで当時の貴族のように凛としている。

「よいよい、若者が歴史に興味を持ち、学問を進める。これより嬉しいことなどないの」

「だよなー」

しかし次の瞬間、奈良さんと平安さんは正面から向き合い、笑顔のまま一切手加減なしの『都(みやこ)として美しいのはどちらか』という激しい議論を始めた。

両者一歩も譲らない戦い。聞いているだけで底冷えするようだった。

私はそっとパンフレットを閉じ、見ないふりをして背もたれにもたれる。

(……楽しかった奈良と京都の思い出が、今めっちゃ騒がしいものに書き換えられていってる)

「さすが奈良。決着がつかぬな」

「決着がつかないなら、若人に決めてもらえば良いじゃないか!」

「え?」

私は勢いよく二人を見る。

「じゃあ、行くか!」

視界が戻ると、私達五人は見知らぬ広大な敷地に立っていた。

「おー、奈良時代!」

「そうですね。ですが……当時の日本ではありません」
「え?」

(当時の日本じゃないなら一体どこ……?それに、奈良さんがいない)

今、近くにいる人は明治さんと平安さんと平成くんの三人だけだった。奈良さんの姿は見当たらない。

「ここは、恐らく大明宮(だいめいきゅう)じゃの。唐の都の北東にある宮城じゃ」

平安さんが詳しく教えてくれる。

その説明を聞きながら、いつも博識な明治さんまでが「ほうほう」と真剣な顔で手帳にメモをとっている。

平成くんは「これ、歴史の教科書の裏側って感じでウケる」と言いながら、スマホでバシャバシャと周囲を撮影していた。

​その時、宮殿の太い柱の陰から、必死な声が聞こえてきた。奈良さんだ。

「私と共に行きませんか?我々と……いえ私と一緒に歩んでは頂けないでしょうか」

「え、あ……その、歳も歳なので……申し訳ない」

「歳なんか関係ない!ぜひ我々と……!」

誰かに熱弁を振るっているようだ。

奈良さんが話しかけているのは、白ひげが特徴的な文官の人。

「ちょっと腰が悪くて……」

「腰も関係ない!私は、科挙(かきょ)という制度に感銘(かんめい)を受けました!学力のある者が官僚(かんりょう)になれる道を開くことを目的としているなんて!我が国でも参考にさせて頂きたく、こうしてお伺(うかが)いに上がりました」

(あれ、冠位十二階も身分に関係なく役人になれる制度じゃなかったの?)

「奈良時代になる前に廃止してしまったんですよ。奈良時代は国家の権力を天皇に集中させた『中央集権』の時代です」

私の疑問を敏感に読み取ったのか、明治さんが隣でそっと解説の補足を挟んでくれた。

「あぁ、ところで貴方が受けた科挙の試験はどれくらいの難易度でしたか?噂に聞けばかなり難しく、最難関の進士科(しんしか)では競争率が数千倍に達するとのことで。合格平均年齢も高いとか……。良ければじっくり丁寧にお話を伺いたいと思っております」

興奮気味に早口でまくし立てる奈良さん。あまりの勢いに文官の人も少し引いている。

そこへ、既にげっそりした顔の日本からの正規の国使がやってきた。

「奈良さん、まだやってたんですか!?もう帰りますよ!あっちでもお偉い方が待ってるんですから!」

「あと実力ある若手や新人がいたら絶対声掛けてくれ。本当に頼んだから、本気でよろしくな。絶対の絶対だからな。信頼してるからな……!頼んだからな……!専門に特化してれば出身・年齢・職業は問わないからな……!」

ずるずると引きずられていく奈良さん。

その後ろには、さっきまでいた唐の偉い人が呆然と立ち尽くしていた。

「……あれ?なんか帰ってきた国使の人、人数増えてない?」

「あ、本当だ。心霊スポットとか行ったのかな?」

私の持っていたパンフレット片手に首をかしげる平成くん。

「役人さんや僧侶さんを口説いたんやねぇ」

平安さんがしみじみと頷き、明治さんは少し苦笑いを浮かべて説明してくれた。

「奈良さんは年齢や出身に関係なく誰とでも仲良くできて、各分野から優秀な人材をスカウトできたんです。美空さん達の時代風に言えばコミュ力お化けですね」

奈良さんが振り向き、キラキラした笑顔でこっちを見る。微かに体が震えている。

「あと、本件には関係ないものの、朝鮮半島の優秀な人材も口説かせて頂きました。ありがとうございます……」

「人材畑でも作るつもりでしょうかねぇ」

「阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)さんが唐に移住しちゃったのが、よほど悔しかったんでしょうね」

✳✳✳

日本に帰ってきて、奈良さんが机にドサッとぶちまけたのは、山のような木簡の束と金属の塊、古びた巻物。

「これが今回の来唐で得たもの達だ!俺が学んできた仏教ノート!唐の皇帝から贈られた銅鏡!そして律令制関連の本!その他もろもろだ!最新情報だぞ!未翻訳!専門用語だらけで翻訳のしがいがあるなぁ!嬉しいだろ!」

奈良さんは興奮のあまり「ふははは」と怪しい笑い声をあげながら、連れてこられた二人の国使の肩をバシバシと叩く。

「……これを、全部、翻訳……」

「あわわわっ、これは大変そ……いえ、良い腕っぷしになる予感が!」

国使の二人は顔を青ざめ、手に持った巻物や木簡をそっと抱え直す。

明らかにドン引きしているが、奈良さん本人はその反応を特に気にしていない。

​私は、麻紐でいくつも繋げられた重い木簡をそっと一枚手に取ってみた。

ぎっしりと文字が書かれていて、何時間あっても読み切れそうにない。

「これ全部漢字……?ていうか、これ日本語なの?あれ、この時代に日本語ってあったんですか?」

「ふふふ、それは良い質問ですねぇ」

そう言ってドヤ顔で出てきたのは平安さん。

「今のようなひらがなやカタカナは、この時代にはまだ存在していません。この時代の文書は万葉仮名(まんようがな)です」

「まんようがな?」

「ええ。漢字の意味は無視して、ただの『音』として使って、日本語の言葉を無理やり表記していたんですよ。例えば、山という日本語を表すために、夜麻(やま)と書いたり。まぁ、漢字の音読みに頼り切った、当時の人々の力技ですねぇ」

「つまりこれは……?」

「見た目は中国語、文法や意味は日本語……でも、誰も正確に読めない。みたいな感じですね」

「この中に唐の法律・制度まで書いてあるんだぞ」

奈良さんが身を乗り出し、指を指して強調した。

「奈良さんって勉強熱心で凄いですね……」

「誰もやっていないことをやるのに多少の恐れはあった。だが俺には頼れるものがあったからな」

「頼れるもの?」

「人材だよ……!優秀な人材がいるってだけで色んなことが容易(たやす)くなって、心も穏やかになるからな……良い人材は良いぞ……」

うっとりとした表情で、もはや狂気すら感じるトーンで人材の素晴らしさを語りだす奈良さん。

「でも何で唐に行ったの?手紙の方が安全じゃん」

平成くんが、現代っ子らしく素朴な疑問を投げかける。

「手紙だと時間かかり過ぎるし、聞きたいことも山ほどあったからな!実際に現地を見て聞いた方が目標達成まで最速なんだ!」

さすがは元祖・行動派の時代である。

納得した私が、今度はその隣で涼しい顔をしている平安さんに視線を向けた。

「平安さん、何で遣唐使をやめたんですか?」

「必要性を感じませんでした」

私の質問に即答する平安さんに、その場にいた全員が固まった。

「平安(私)の時代は唐の真似事ではなく、独自の文化を築き始めておりまして……これを国風文化と言います」

「唐の情報を未来に繋がなかった男!」

奈良さんがすかさずヤジを飛ばす。

「違います!そもそも当時の唐が衰退していたのと、渡航が危険だから菅原(すがわら)くんの進言(しんげん)を受けて廃止したんですよ……!」

平安さんが反論している横で、奈良さんは納得できないのか目を細めている。

(菅原くんって、学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)さんのことだよね?平安さんの世界線だと、近所の友達みたいな身内感がすごいな……)

「あれ?平安さんの口調が変わった……?」

「レベルが上がったんですよ」

「!?」

明治さんは「おめでとうございます」と小さく拍手をした。