⚪︎金曜の午後。病院実習のガイダンス日。
1年生たちは白衣姿で、大学病院の各診療科を短時間ずつ見学する。
整形外科フロアの廊下。
患者のリハビリが行われている一角。
学生たちはガラス越しにその様子を静かに眺めている。
車椅子の患者に付き添う理学療法士が、ゆっくり声をかけている。
澪の視線が、その場面に吸い寄せられる。
表情がふと、かすかに揺れた。
(しずく・心の声)
(朝比奈さん……?)
そのあと、見学先が分かれ、しずくと澪は偶然同じグループに。
エレベーターで二人きりになる。
しずくが、意を決して口を開く。
(しずく)
「あの……さっき、整形のとき……。
何か、懐かしい感じでしたか?」
澪が一瞬黙って、そしてふっと笑う。
(澪)
「……鋭いね。
うん、懐かしかった。
ああいう現場に、7年いたから」
(しずく)
「……理学療法士、ですよね?」
(澪)
「うん。高齢者のリハビリ専門だった」
エレベーターのドアが開く。
話は一度切れる──でも、しずくの胸の中に“知りたい”気持ちが残る。
⚪︎実習後の夕暮れ。
しずくは校舎裏の自販機前で、偶然澪と再会する。
紙コップのココアを手に持つ澪。
その隣にそっと立って、しずくが口を開く。
(しずく)
「さっきの続き、聞いてもいいですか?
どうして、そこから……医者になろうと思ったんですか?」
澪はすぐには答えない。
風が少し吹く。髪が揺れる。
(澪)
「……患者さんに、“ありがとう”って言われることは、何度もあった。
でも──“助けられなかった”って思うことも、多かったんだ」
(澪)
「担当してたおばあちゃんがいてね。ずっと一緒に歩く練習してて。
でも、容態が急変して……。
俺は医師じゃないから、できることが限られてた。
何もできないまま、見送るしかなかった」
その横顔は静かで、でもどこか遠くを見ているようで。
(しずく・小さく)
「……悲しかったですか?」
(澪)
「うん。
でも、“また誰かを見送るとしても、できることがもっとある自分になりたい”って思った。
それで……今、ここにいる」
言葉を聞きながら、しずくは気づく。
この人の背中にあるのは、「夢」じゃない。「責任」と「想い」だと。
(しずく・心の声)
(強くて、やさしくて、静かで……
私、いつの間に、こんなにこの人を……)
⚪︎別れ際、夕暮れのキャンパス。
校舎から出たふたり。
澪がふと立ち止まる。
(澪)
「話してよかったのかな。
ちょっと重かったね」
(しずく)
「……よかったです。
もっと、知れて。
私、話してくれてうれしかった」
澪が、目を細めて笑う。
(澪)
「ありがとう。
じゃあ、また来週。──しずくちゃん」
“その呼び方”がまた、胸に響く。
見送る背中に、小さく手を振るしずく。
空は、淡く染まっていた。
⚪︎しずくの部屋──夜。
机に向かいながらも、ノートは開かれたまま。
手元のペンは止まっている。
(しずく・心の声)
(朝比奈さんの過去を知って……ますます、目が離せなくなってしまった)
スマホを見つめる。
送るべきか、迷って──でも、指が勝手に動く。
(しずく・LINE文)
《今日は話してくれてありがとうございました。
がんばる朝比奈さん、かっこよかったです》
送信を押した瞬間、鼓動が跳ねる。
ほどなくして返信が来る。
(澪・LINE文)
《ありがとう。
“がんばる”って言われたの、久しぶりかも。
おやすみ、しずくちゃん》
その名前の呼び方に、また胸が熱くなる。
恋の音が、夜の静けさの中で、確かに鳴っていた。



