春は、香りとともに。




 
 【惟道side:距離のない距離】
 

 お粥を一口、口に運びながら惟道はそっと志野子を見る。

 彼女のまなざしはまっすぐで、言葉にしない思いやりが溢れていた。
 かつて妻だった文子は、気丈で芯の強い女性だった。
 惟道を支えるというより、どこか張り合うように生きていた。

 だが志野子は、違う。
 決して主張しすぎず、それでいて、そばにいることを惜しまない。


 「……どうして、そこまでしてくれるのですか?」


 不意に、惟道はそう尋ねていた。

 志野子は一瞬戸惑ったように視線を揺らし、けれど真っ直ぐに答えた。


 「私は……先生に救われたから、です」
 

 惟道が言葉を失う。
 

 「貴女のような方が、私に?」

 「ええ。……先生が私を令嬢ではなく“ひとりの人間”として扱ってくれたこと、私は一生忘れません」


 惟道は胸が熱くなるのを感じながら、微かに頷いた。

 距離は、確かに近づいていた。
 でも、それは決して軽々しい近さではなく――心に触れる距離だった。