春は、香りとともに。





 (この人は、俺のそばにいてくれるんだ――)

 思いが自然と口をついて出る。
 小さな声で、震えるように。


「志野子……ありがとう」


 志野子ははっと振り向き、顔を真っ赤に染めた。
 その照れた表情に、惟道もまた顔をほころばせる。

 しばらくふたりは無言で見つめ合い、言葉よりも深い何かを交わしていた。

 やがて、志野子が口を開く。


「先生、そろそろお茶をお持ちしますね」
 

 その声に惟道はうなずき、起き上がろうとしたが、まだ体は少しふらついていた。

 志野子はすぐに支え、優しく手を添える。


 湯気の立つお茶と、梅干しをのせたお粥。
 志野子が丁寧に支度した膳を、布団のそばへと運んでくる。


「熱があるときは、しっかり塩気をとらないと」


 惟道は笑みを浮かべる。


 「……こんなに手厚く看病されるのは、初めてかもしれません」


 志野子はお玉を手に、軽く微笑んだ。


「先生は、きっと“人に甘える”ということが、お上手ではないのですね」


 その言葉に、惟道は少しだけ目を伏せる。


 「……そうかもしれません」

 「でも、今は甘えてください。今日は、“病人”なのですから」


 思わず、惟道は彼女の横顔を見つめた。
 髪をひとつに束ね、白い襟元が清楚に揺れている。
 細い指先が椀を支え、優しく、こちらを向いていた。
 

 (この人は、なんて……)


 言葉にはならなかった。
 けれどその優しさが、じんわりと惟道の中にしみこんでいく。