春は、香りとともに。





 朝の陽光が障子を通して柔らかく部屋に差し込む。
薄く開けられた襖の隙間からは、まだ微かな雨の匂いが漂っていた。

志野子は、昨夜からの疲れを感じながらも、そっと起き上がる。
彼の寝顔を確かめたくて、静かに隣の部屋へ足を運ぶ。

布団の中で穏やかに眠る惟道の表情は、どこかいつもより柔らかく見えた。
まるで、昨夜の熱が彼の内側の硬さを溶かしてしまったかのように。


その顔を見ていると、志野子の胸の中にじわりと込み上げる感情があった。
それは、やさしさでもあり、不安でもあり――そして、少しだけ期待にも似ていた。


「先生は、何を思っているのだろう」


心の奥で問いかけながら、志野子はそっと手を伸ばす。
しかし、ぎゅっと握ることはできず、ただ彼の寝顔を見つめるだけだった。


 志野子はそっと手を引っ込め、ふと部屋の隅に目をやった。
 そこには、昨日使った香炉がまだ熱を残している。

 微かな白檀の香りが漂い、空気に溶け込んでゆく。
 その香りに誘われるように、彼女の思考は再び惟道へと戻った。


 (彼は……私をどう思っているのだろうか?)

 何度も問いかけては、答えのない空白に向き合うしかなかった。