春は、香りとともに。




「……志野子さん。ひとつ、相談があるのですが」

「はい?」

「あなたに浴衣を一着、仕立てていただけないでしょうか。……お手隙のときで構いません」

「浴衣、ですか?」

「ええ。以前から思っていたのですが、あなたの裁縫は本当に丁寧だ。
 今の季節、家の中で香を聞くときにも、あつらえの浴衣があれば、きっと心地が良いでしょう」


 志野子は一瞬、返す言葉を失った。

 それは単なる依頼ではなかった。
 “あなたの作ったものを、身につけたい”という――
 どこか、それだけで胸が熱くなるほどの意味を含んでいたから。


「……わたしで、よろしいんですか?」

「あなたでなければ、頼みません。……それに」


 惟道は少し目を伏せ、静かに続けた。


「誰かに、衣を仕立ててもらうのは、久しぶりで。……そういう時間も、悪くないと思っているんです」


 志野子は、何も言えなかった。
 ただ頷くと、胸の奥で、雨音と鼓動が重なった。