春は、香りとともに。




 
 ――朝。

 志野子は、そっと襖を開けて香の間に入った。
 窓の障子越しに、淡い朝の光が揺れている。

 昨夜の灯は、きれいに消えていた。
 芯は燃え尽き、蝋もすっかり溶け切っていた。


 (……ちゃんと、届いたのね)


 志野子は、小さく微笑んだ。
 直接の返事も、声もなかったけれど、灯りがきちんと朝を迎えていたことが、何よりの“答え”だった。

 誰かのために灯した光が、きちんと届いた。
 それだけで、こんなにも心が温かくなるのだと――

 文箱を開けて、昨夜書いた一筆を取り出す。
 それを折りたたみ、香木とともに仕舞い直すと、志野子はそっと香の間に正座し、手を合わせた。


 静かに、心の中で誓う。


 (先生のそばで、香を聞いていたい。
 その日まで、ここで生きていく――)


 そう決めて顔を上げたとき。
 障子の向こうから、低く静かな声がした。 


「……香の間は、朝がよく似合いますね」