春は、香りとともに。




 ***
 

「……香道家、ですって?」


 一応、お茶を出す。だが、この人は『まずいお茶だわね』と平然に言った。せっかく淹れてあげたのに……しかも結構いい茶葉だったのに。

 茶を啜りながら聞いた相手の名に、志野子は驚きを隠せなかった。


 その名――千原惟道(ちはら・ただみち)――は、志野子がまだ「志野さま」と呼ばれていた頃、令嬢教育の一環で香道を習った師の名だった。

 年は父と同じか、それ以上。
 背筋の伸びた静かな立ち姿と、香炉を扱う繊細な手つきが印象的だった。
 志野子に香の基本を教え、時には厳しく、時には柔らかく問いかけてくれた。でも、奥様がいて病で亡くしたと聞いた。