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日が落ちるのは早くなり、香の間にも夕闇が差し込んでいた。
志野子は、障子の外に揺れる梢の影を見つめながら、ふとひとつ、蝋燭を灯す。
灯心に火をつけると、柔らかい橙色の光が部屋を満たしていく。
香炉は今夜は焚かない。香の残り香と、ほんの少しの灯のぬくもりだけがある。
(……こんなふうに、誰かと灯りを囲むなんて)
思えば、父が出奔してからというもの、“誰かのために灯を点ける”ということがなかった。
家は冷えて、心も冷えて、いつしか火を扱うことすら面倒になっていた。
でもいまは。
誰かがいて、自分の灯りを必要としてくれる。
その実感が、芯の奥を静かにあたためていた。



