春は、香りとともに。




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 六月に入ったばかりの蒸し暑い午後。
 惟道の香道教室では、小規模ながら格式ある“源氏香の会”が開かれる運びとなっていた。

 畳を敷き詰めた八畳間には、白地に淡い藤模様の几帳が立てられ、香を聞くための静謐な空気が張り詰めている。
 その中心に香炉を挟んで並ぶのは、惟道と志野子――そして数名の来客。

 客の中には、老齢の書家、地元の茶道師範、さらには東京から招かれた女性実業家の姿もあり、志野子はその顔ぶれに圧倒されていた。



(わたくしが、香の読み手を……)


 香席とは、ただの催しではない。
 焚かれた香を記憶し、それがどれと一致するかを聞き分ける。
「正解」や「不正解」だけでなく、香の名をどう“感じ”、どう“言葉にするか”が、その者の感性を如実に映す。

 志野子にとって、それは試練でもあり、祝福でもあった。