ある春の名残が残る午後。
志野子は、香道教室の畳の上に正座し、惟道が炭を組む手元をじっと見つめていた。
指先は驚くほど静かに動き、炭が置かれるたびに、微かな“音のない秩序”が空間に満ちていく。
「……先生、どうしてそんなにも、火が綺麗にまわるのですか」
「“呼吸”を感じるからです」
惟道は火箸を置きながら、志野子の方をちらりと見やった。
「炭には、一本一本に癖があります。それを読むのです。火が入りやすいものもあれば、頑なに熱を拒む炭もある。……人と、よく似ていますね」
志野子は、思わず口元を綻ばせた。
「それでは私も……熱の入りにくい炭でしょうか」
「いえ、むしろ……中に火を灯すまでが慎重な炭です。そして、一度火が通れば、長く香りを持つ」
その言葉に、志野子はふと目を伏せた。
心の奥が、小さく波を打ったように揺れている。
この人は、どうしてこんなふうに――
誰のことも、そっと包むように言葉を選べるのだろう。
それは、惟道の“香を聞く者”としての本質だった。
言葉に香りを含ませて伝える、相手を乱さず傷つけず、それでいて確かに“心”を届かせる術。
惟道が言う“香を聞く力”というのは、まさにこのことなのだろう。
(わたし、――惹かれている)



